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私が今日あるのは、父母のご恩であり、祖父母のご恩でもある。 ご先祖さまのご恩を感謝し、報恩の真(まこと)を尽くすために、 日々ご供養することについては、人後に落ちないつもりである。 ところで、妙なことが気掛かりになってきた。 子孫からすれば、私はご先祖さまに加えられる一人だが、私がご 先祖さまに感謝しているように、私が子孫にとって感謝される存在 であるだろうかと不安になった。 始末に終えない奴だったなどとは言われたくない。 では、どうすれば子孫に感謝されるようなご先祖さまになれるか、 これは大変な課題である。 相続税などで子孫のために美田が残せるような時代でもない。 借金は相続放棄で済むから、それまでのことだが、これも一種の 破産みたいなもので、債務者は立腹するかもしれない。 もっとも怖いのは悪名高きご先祖さまになることだ。 世間を渡るためには、美徳や人望だけでは無理で、商才とか閃き とか、画期的な便宜を世の中に提供するとか、大勢の人を喜ばせる ことだとか、いろいろと手段はあるが、そのようなことで子孫に 感謝されることは大変なことだ。 私にできることとしたら、せめてものことだが、正直に、真面目 に、勤勉に、神仏を大切にし、無理をしないように、他人の心を傷 つけないよう、それくらいのことしか思いつかない。 私は生涯に一度も嘘を突かない親に育てられた。親は他人の心を 傷つけることがなかった。 日々、年をとってご先祖さまになりつつある、できれば先代のよ うに広い心と相手の立場で考えて生きて行きたい。 平穏な生涯を 生まれて来て、生きて、やがて死に行く。蟻のように、勤勉に 働いて、あれで、何の楽しみがあるのだろうかと思われるような 生き物でありたい。私のことは私が一番よく知っている。回顧し て胸の痛むようなことだけは絶対にしたくない。平穏が願い。