目次 Kanjizai index

鈴の法話 ----全てに愛を光と祈りを----1998.11月(1) 相手の立場で考えるのは簡単なこと      少しの思いやりであなたは菩薩(ぼさつ)になれる    --不慳貪・不瞋恚・不邪見・エトセトラ--               観音院 法主 鈴之僧正  邪見(じゃけん)とは因果の道理を無視する妄見(もうけん)で す。よこしまな見方、誤った考えです。  邪見の角(つの)とは邪見で物事にかど立てることを角にたとえ た語です。邪見の刃(やいば)とは邪見が鋭く人を害することを刃 にたとえた語です。  邪見はとても怖い人の心です。世の中の秩序を乱し、平穏を破り、 人と人を争わせ、冤罪(えんざい)を生み、人を悲しませ、軍備を 拡充し、他国を侵略する、全ての悲劇の根源は、邪見にあると言え ます。邪見な心を持たないのが、不邪見の戒です。 「我が道」をどのように設計するか        途中に思わぬ恵みや落とし穴も ■因果の道理を無視する妄見が邪見です。最近になって、五十歳を 過ぎた人や六十歳を過ぎた人は企業に必要ない、リストラの対象な んて世相を反映した凄まじい妄見です。このような世の中は憎い。  人の歩いている道が突然に無くなるような、随分と殺生な社会的 構造が容認されているようで、該当する人の生死に関わります。  人の一生は、一本の道を様々な生老病死を歩いているようなもの だと私は思います。  人の道には普通の道と同じように道の小草も生えていれば、側溝 もあります。電信柱が道に沿って立てられている場合もあり、照明 が点いていたり無かったりします。  その小草や側溝や電信柱には公序良俗とか法律とか十善戒や因果 の道理などが埋められてありまして、これを無視したり軽んじたり すると道が崩れたり、細くなったりします。  極端な場合には前にも進めず、後ろにも帰れない雪隠詰(せっち んづめ----雪隠は便所のことで、つまり、逃げ道のない所へ追い詰 められること)のような困難なことになります。  人の道は、広く選択出来ます。一度選択したものを途中で何度も 方向を修正することも可能です。  最初に戻って道を選択することも出来ます。峻険な坂道を選択す る自由もあります。  人の道とか考えないで、何となく歩んで行くことも出来ます。  歩き方も様々で、歌を歌いながら、踊りながら歩くことも楽しい かもしれません。黙々と一歩ずつ歩くことが確実かもしれません。  兎と亀の競争のような場合も想像することが出来ます。  峻険(しゅんけん)とは山などが高くけわしいこと。また、厳格 で近づきがたいさまをいいます。  例えば、司法試験や医師の国家試験に合格すること。国会議員に なること。一流大学を卒業してエリート官僚になること。売れるよ うな芸術家になること。スターや歌手になること。これらは努力に 加えて才能と運が必要です。  一市民として生涯を過ごす道も決して平坦ではありません。峻険 な坂道は、どなたの道にも有るのが普通です。  最近の経済状態などは誰の責任か分かりません。アメリカの大手 ヘッジファンドの事実上の破綻が影を落としていることは事実です。  設備投資が減った。住宅建設が減った。物流が悪くなった。金融 危機である。失業率は史上最高。これらが皆さんの歩いている道に 土砂降りの状態です。これは選択とはいえません。四季の移り変わ りのようなものです。夏は熱く冬は寒い、そのようなことです。  これらの困難から逃れたいのは万人共通の願いです。しかし逃げ 方が法律に触れたり、公序良俗に反する行為であったりすると、そ の行為の基になる考えは妄見であり邪見であることになります。  同じ道を歩く場合でも、み佛の慈悲に照らされている場合と暗闇 では随分と違います。  暗闇とは具体的には神佛の存在を否定する考え方で、自分自身で 倫理の物差しを構築しなくてはなりませんから大変な作業です。  個人の設定した倫理観は、容易に揺らぐもので大変に危険です。 公務員には倫理規定が厳然とありますが、贈賄に負けるのは人間の 弱さを証明しています。  法律で業務上の横領とか背任の罪が定めてありますが、多くは最 初の内は速やかに元に戻すことが可能な範囲で、一時や一日の流用 とか、一寸した権限の乱用による親切です。  詐欺も同じことです、一寸した嘘が通用してしまう、最初は詫び を言えば済む範囲のことが少なくありません。  俗にいう不倫も同じような傾向があるように思います。  悪事は「ほんの少し」の公序良俗違反が「回復不可能」な金額や 役得や継続的快楽にまで走ってしまう場合が大きいようです。  公序良俗を跨いだくらいの状態は有りがちなことです。両足を道 から踏み外さない内に止まれば人間として合格だと思います。 「我が道」と「わがままな道」の相違          筋道が立ててあるか、ないか  人は時として家族や親族、周囲の人たち、社会や国家に、受け入 れられない我が道を選択することがあります。  言論の自由、宗教の自由、思想の自由など、私たちは多くの基本 的人権を保証されています。これらのなかで突拍子もないことを主 張しても特段の咎(とが)めを受けることは先ずありません。  ところが、自由の度合いをはき違えて、世間に大きな迷惑を掛け ると規制するように世間が動いてきます。これらの規制は非常に強 いもので、出来るだけ多くの人が「我が道」を疎外されることなく 歩んでもらいたいと願います。  「我が道」を選択するにあたって大切なことは、側溝に公序良俗 をしっかりと敷いていただくことが優先的に大切なことです。  人生を考えて見る上で、小学校や中学校の義務教育は非常に大切 な「我が道」を確定する下敷きの要素となる時代だと思います。  二〇〇〇年から義務教育は週五日制に移行すると聞いていますが、 昨今の教育は不用な知識の詰め込み受験教育です。  昔流にいえば、ここでは「読み書き算盤・英語と修身」を小中学 校で徹底して教育してもらたいと私は願っています。  中でも「修身」の科目の大切さは子供の生涯に関わります。 修身は自分の行いを正す国民道徳の実践       身を修め、徳性の涵養を目的とした科目                   日本の戦後教育の最大の欠陥は、修身の科目を無くしたことです。  修身斉家(せいか)平和な国家をつくるには、まず自分の身を修 め、家庭を平和にし、国を平和にし、世界平和に協力する行動の在 り方をいいます。  昨今の親子間の葛藤、学校教育の崩壊は一言で言えば、親に孝養、 教師に対する尊敬心が子供に見られないことです。  このことは、やがては社会秩序に対する反乱、わがまま放題な生 き方、親の老後に対する無責任と単純に繋がって行きます。  日常の食事が作れない、掃除が出来ない、洗濯も嫌い、整理整頓 が出来ない、物の言い方が無礼である、公衆道徳を無視する、働く のが嫌い、何をしてよいか分からない、何かの責任を持たされるの は嫌い、まるで野良犬と同居しているような悲哀を感じておられる 方々は多いと思います。  そして、今、小中学校でやっていることは野良犬の大量生産です。  親孝行とかお年寄りを大切にと言うと、吹き出す教師が多いので はないでしょうか。  教師自身が親不孝で思いやりに欠けています。  高齢化社会のコストを増大しているのは孝行心の欠如です。  少子化と核家族は大人の「わがまま」に大きな原因があります。  先生は子供を可愛がってくれる人が好ましいですね。厭な先生の 科目は子供も大嫌いになります。 教員養成過程で子供に好かれる訓練は徹底して仕込みたいものです。  先生の服装はラフ過ぎます。制服とまでは言いませんが、茶髪に ピアスなんて、先生の親御さんが嘆いておられます。男の先生は気 の毒だけどスーツにネクタイくらいは常識です。どの先生も教員室 の机の上と、ご家庭の居間の掃除くらいは自分でして下さい。  今、先生たちに必要なのは、子供に対する「いたわり、いつくし み、思いやり、子供の立場で考える」ことです。  先生も足りないように思いますね。一クラス十五名くらいが人格 を把握するには最大です。だから教員に同情する余地もあります。  大きな意味では社会全体に責任があって、小学校の入学時が相当 な問題児です。家庭の躾けがされていない、これは親の責任です。  地域社会にも責任があります。 子供たちのことを真剣に考えている町内会長は少ないようです。町 内会自体が崩壊しつつあります。  大人の子供に対する視線も気になります。仮に子供が道路に倒れ ていても、飲酒喫煙していても、それに口を出すことに大人はしな くなりました。  日本の社会全体が他人のことをかまわないようになりつつあり、 これは嘆かわしいことです。  さりとて全ての日本人が無関心の自分さえ良ければよいというよ うになっているとも思えません。  時たま出入りする住居群では昭和初期のような挨拶が交わされて いたりします。周囲の人間の干渉を煩わしいと私たちが感じるよう になったのは戦後のことです。  向こう三軒両隣は人間関係の基本みたいなものですが、家族構成 や職業、収入などに類似点が無くなりつつあります。共通の話題が 無ければ夫婦関係でも破綻を来すくらいですから、近所関係が無く なるのも無理はありません。  ですが、防災とか、良い地域社会をつくることなど、決して共通 の話題が無くなったとは言えません。外で話し合うよりは家の中で テレビを見たりゲームをしている方が面白いのかもしれません。  詳しい原因は想像出来かねますが、他人と協調したり話したりす ることが下手になったのでしょう。  ただ町内会の世話人のなり手が少なくなった、後継者が育たない ということはよく聞きます。  少子化も困った現象です。町内で秋祭りに神輿(みこし)を出そ うと思っても、神輿を担ぐほど子供がいない。子供会が無くなった 地域もあります。  小中学校が過疎化やドーナツ現象で消滅する時代ですから、問題 の根は深いと思います。 幼児期から身につけたい勤労精神        三つ子の魂百までも影響を及ぶ  子供の性格は不思議なもので、同じ両親の子供でも三人いれば三 通りで「もって生まれた性質」と「後天的に加えられた性質」があ るように思われてなりません。  概して言えることは「何でも買えるだけの収入や資産」のあるご 家庭の子供さんの勤労意欲は低いようです。物も大切にしません。 勉学も勤労と同じことですから、 勉強嫌いが多いようです。  誤解が無いように言い換えますが、豊な家庭の子供に横着者が多 いといっているのではありません。 ご両親の考え方、日常生活の在り方が子育てに影響しています。  子供は一緒に風呂に入って洗ってやり、髪を梳いてやり、「あい うえお・かきくけこ」を教えてやり、掛け算の九九くらいは親の教 える範囲です。  万引きをしてはならない、嘘を言わない、約束を守るくらいの公 序良俗の範囲は親が教育すべきだと思います。ご飯の炊き方や少し くらいの料理も親の責任、食事後の食器を洗うくらいは当然に躾け なければなりません。  一番大切な家庭教育はお爺さんやお祖母さんを大切にすること、 朝夕、食事の前後、出掛ける時や帰ってきた時の挨拶、他人に何か を貰った時の礼の言い方、掃除や洗濯、洗濯物のたたみ方などは家 庭で必要な教育です。  親も学校も一生懸命になって協力して慎重に適切にして欲しいの は純潔教育です。これは相当難しいことです。  中学生の多くに性的経験があるのは承知しておられると思います が、小学生高学年に及びつつあります。このままで行くと小中学校 が動物園になりはしないかと真剣に心配しています。  小中学生の私服に性的にアピールが無いよう、厳重に選択して与 えて下さい。  家庭で子供に個室を与えることは慎重にして下さい。電話を与え るのも反対です。  ご両親や学校の先生、大人の全てが公序良俗について真剣に考え ないと日本は大変な国家になります。後悔は先に立ちません。  どうすれば、自分の子供を真面目に育てられるか、先生とも一緒 に是非とも考えて下さい。  多くの家庭で不幸が芽生えつつあります。今なら間に合うかもし れません。間に合うことを祈るような気持ちで願っています。 ※相手の立場で考えることが、人間の証明です。自分勝手に他人を 利用し、騙し、嘘をつくようでは人間とは言えません、悪魔です。 少しばかりの思いやりであなたも菩薩になれる。  災難をもたらし他人を悲しませるような存在にならないで下さい。 いたわり、いつくしみ、思いやり、相手の立場で考えましょう。 ※子供の時から十分な公序良俗の教育と、自分のことは自分でする 躾け、お年寄りや親を大切する礼儀を仕込んでおきましょう。この ままでは日本人は野犬の群れに成り下がりそうです。多くの家庭は 崩壊に瀕(ひん)しています。子供が期待に背いているなら、子育 てに反省されなければならない親馬鹿の証拠ですが。 ※怒る前に愛を、恨む前に相手を生かすことを、憎む前に相手の立 場で考えることが出来れば素晴らしいことです。親切は人を育てま す。恨みや憎しみは敵をつくるだけです。自分の心の動きを当然と 考えないで、反省してみることも大切です。  正しいことをやり過ぎて、怨嗟(えんさ)の声が巷(ちまた)に 満ちることさえあります。 ※今、多くの事業はリストラの最中です。事業の生き残りのために 採算の取れない部門が切り捨てられたり、縮小されたりします。そ こには大切な人が当然おられます。残るも地獄、去るも地獄という ような流れがありますが、時代の変遷と技術の進歩、需要と供給な どの関係は大変に理解が困難なことです。 -------------------------------------------------------  邪悪な心をもつ人もいるから注意を         もしも触れ合うことがあれば逃げる ■善意は悪意を清める大きな力をもっていますが、それでも悪意が 一時的にしろ善意を踏みにじることがあることは確認しておかねば なりません。 ▼非常に奇妙なことですが、主導権というかリーダーシップをもっ ている高齢者がいて、自己保身のために事実無根の嘘を証言される 例に出会った経験があります。相当な人格者であり地位もある人で すから驚きました。  この例は裁判なら有罪で、事と次第では極刑もあり得るのですか ら、世の中の真実はなかなか見つけられないものです。  この人の属するグループは事の善悪を判断することなく、この人 の主張に従って行動し、若くて善良な人が大変な迷惑を受け、いわ ば苛めに近い取扱いを受けました。 ■私も満六十五歳、年相応の知恵を身に付けていますが、悪知恵は 絶対に働かせたくありません。  出来れば公序良俗を固く守って十善戒を拠り所として余生を送り たいと強く願っています。  年寄りの屁は臭いと言いますが、本当にそうだと思います。食後 に「エチケットビュー」という九十錠三千円の薬を毎食後一錠飲ん でいますが、これが曲者で、屁はおろか糞の臭いもしない妙薬で、 変な世の中になりました。外国人は屁をひることは不作法とされま せんが「げっぷ」は不作法とされます。  これも対策があって食後に「ブレスケア」を二錠飲めば大丈夫と いうことになっています。 シ※「エチケットビュー」ダイリン株式会社で九十錠三千円くらいで 購入出来ます。「ブレスケア」は小林製薬で値段は知りません。一日 分が百円くらいだそうです。  人は加齢とともに、人間が円満になるとか、理解力が高まる、包 容力が大きくなることが望ましい姿です。  しかし、加齢と共に猜疑心が強くなり、短気で頑固になることが 多く、困った傾向だと思います。  年を取ることは、必ずしも賢者を意味するものでもなく、時には 妖怪扱いされている人も少なくありません。  年を取ることは本当は若い人に思いやり深く、若い人に自分たち のした苦労はさせたくない、苦労の少ない道を用意して上げようと 考えるのが望ましいことです。  現実に老人手帳をもらって、中に印刷されてあることを見ると、 美術館の常設展示物を見るのは入場料免除とか、映画館が子供並 みとか、相当がっくりするようなことが平気で書いてあります。  年を取ることは相当難しいことで、その上年金までもらえるよう になることは運の良いことです。 ▼大体三ヵ月に一度は主治医に診てもらって、私自身の健康状態は 把握しているつもりですが、体調には相当な振れがあります。  特に誰かのことを思いやることは相当負担が大きく、心配事は少 ない方が良いようです。  私の希望はわがままなことで、多くの人から相談を受け、年齢相 応の賢明な返事を用意することが日常的で、眠れない夜が続きます。  しかし、これは私の選択した道ですから、用事の多いことを幸い 多きこととして受け止めます。 ▼辛いことは、多くの年寄りと共通することですが、若い人の金銭 的需要を供給して上げれないことです。今更努力して収入を上げる ことも出来ないし、欲望もそれほど多くない。特に私は資産を持た ない考え方で過ごして来ましたから、十万円単位の無心に応ずるこ とも不可能です。  社会的存在と金銭については僧侶の場合には一致しないものなの で理解して下さい。いくら高徳のの僧侶と持ち上げられても、寄付 したり、無駄に使う金銭は持っていません。無駄遣いはしませんか ら、多少の小銭はもっていますがクレジットカードを使わないため の心掛け程度です。  ともあれ金持ちとか貧乏という次元に私を置いていません。金銭 的には禁治産者並みだと思います。  どうして、このような話をするかと申しますと、お年寄りの暮ら し方の一つとして、安全で苦労少なく過ごす私なりの工夫を説明し ているのです。  人間は金銭的には臨終において多少の相違が生じます。借金を残 して死ぬようなことはしません。 余れば観音院に自動的に寄与するよう、これは臨終ではなくて日常 的に配慮しています。 お年寄りは親切にしてもらえる       思い込みをしないことが大切 ■私は両親を大切にしました。親孝行には自信があります。これは 妹弟も同様で、良かったと思っています。父親七十五歳、母親は五 十八歳で亡くなりましたので看病も葬儀も丁重にする時間や経済力 も十分にありました。  ところで、昨今は寿命が伸びてきまして、子供が先の場合も多く あることで、大きく期待すると子供の迷惑になることもあります。  家業を継ぐことなどは、もう願望として成立しません。家の仕事 自体が時代から取り残されて、自分一代持ちこたえられれば良いと 思っておられる方も増えました。  大手企業や銀行が倒産する時代ですから、家業が傾いたり、廃業 されたとしてもご先祖さまに申し訳ないことにはなりません。 ▼皆さんは驚かれるかもしれませんが、この世の形有る物、名前の あるものは何時か無くなります。 これは寺院とて例外ではなく、歴史を調べてみると沢山の寺院が消 滅し、或いは興亡しています。  観音院も同じことで百年もすれば信徒さんは全員が亡くなられて しまいます。全てのお寺も例外ではありません。同じ運命に置かれ ているのです。  観音院については、少し仕掛けをして置きました。経理を公開す ること、世襲制を廃止すること、つまり、希望者があれば何方でも 観音院のトップになれるように組織が作ってあります。これについ ては信徒会で決定されれば、本山などから口を入れられることは絶 対にありません。ここらあたりは世間一般の寺院とは著しく運営方 法が異なる法人にしてあります。  建物は百年建築にして、見かけに似合わず要塞同様です。運が良 ければ、観音院は皆さまと市民の運営される寺院として相当永く存 続することが可能です。  今一つ、観音院の運営に関しては、公序良俗をしっかりと埋め込 んでありますので、市民化することはあっても割合に永く存続する だろうと推定しています。  老獪(ろうかい)とか老害は、邪見な考え方です           若輩とか未熟者は、謙虚な発言です ■老獪(ろうかい)とは永い間世俗の経験を積んで狡猾なこと。世 故にたけて悪賢いことです。「老獪な政治家」とか「老獪に立ち回 る」というように使われます。 ▼若輩者(じゃくはいもの)は経験が浅く未熟なことですが、人が 新しい任務につく時などには適切な挨拶だと私は思います。 ▼姥捨山(うばすてやま)の伝説をご存じですか。おばすて山とも 言います。転じて周囲から疎外されて老後を送る所。また、高齢者 などが配転された働きがいのない職場を言います。 ▼年寄の冷水(ひやみず)と言う言葉もあって、老人が不似合な危 ういことをすることや、また、老人が差し出たふるまいをすること を言います。 ■確かに老獪と言えるような不気味な雰囲気が年寄りにはあります。 ▼最近の漫画では妖怪の平均年齢が若くなりました。お蔭さまで老 獪は若い者にも被せられる形容詞になってきたようです。 ■年取って歩き方がヨタヨタしてくる。皺(しわ)が増える。フケ (角質)が自然に落ちる。歯が抜ける。小便が漏れる、当然に変な 臭いがする。布袋(ほてい)さんのように肥満体になることもある。 ぼける。徘徊する。このような老化現象は確かに厭なことでしょう が、順調に年取れば皆さんが同じことで諸行は無常なんです。これ 自体が成長産業で若い人に利益をもたらす仕掛けです。 ▼前歯が欠けるのは、年寄りのみならず若い人でも容姿に関わりま すので歯医者に行きましょう。  入れ歯も最近では氷をバリバリ噛み砕けるくらい良いものが作っ てもらえるようになりました。  胃が悪い時や歯周病による口臭は老人臭より強烈ですから早めに 治療することが大切です。  皮膚の角質化の進み具合は無理矢理落とさずにボディローション を入浴後に使うことです。  余裕があればオードトワレを常用されるのも一工夫です。  小便が漏れる、困ったことですが、仕方がない、パットや下着の 良い物がありますので、再三はき換えることが対策です。  着衣は若造りにすることが極めて大切です。ワイシャツの襟など は綺麗にしておきましょう。  白髪は簡単に染められます、禿げてくれば「かつら」も良いこと です。こと髪に関しては、僧侶は苦労しないで済みます。  私は丸い縁の眼鏡と縁無しと鼈甲(べっこう)をもっていて、時 に応じて使い別けていますが、鼈甲が一番趣味が悪いようです。実 は眼鏡屋で売り込まれて、買って後悔をしている代物です。  腹を立てないで生きて行く         なるようにしかならない  私に不平不満が無いかと聞かれれば何も無いと答えます。  ところが、先般、職員に後二十五年、九十歳までは生きて欲しい と希望され、改めていろいろと考えてみました。  私自身は怖いものも無く、何時死んでも大した事とは思いません。 欲しい物は何も有りません。したい事も御座居ません。不安は一切 有りません。           ですが、二十五年といえば、適齢期の方が結婚して子供をもうけ て、大学を卒業させることが出来る年月です。  今から小学校に入学しても大学を卒業出来る、随分と大きな可能 性を秘めている次第で、少しばかり迷ってみても、いいえ、より覚 るよう努めても良いなと思いましたような次第です。  東京事務所を設置しましたのは自然の成り行きだったのかもしれ ません。  私の知っているお寺の九十四歳のお祖母さんが若い頃の事を書き 留めておられるそうで、その後編は私が執筆させてもらおうかと考 えたりしています。  二十五年と言えば四分の一世紀ですから粗末に出来ません。若い 職員だと思っている人が六十歳になるころでもあり、考えてみると 吹き出しそうになるくらい可笑しい出来事もありそうです。  先般ですね、ゲームセンターへ職員を連れて行って、何かの得点 争いをして、どの程度老化しているか比較してみたいと思ったので すが、職員の方が辞退しまして、そのような意味では私にも「やる 気は十分」あると思いました。  将来の事を語ることは、明日をも知れぬ我が身なれば慎みたいの ですが、明日を考えずに今日を行動するのも無謀です。  人間関係は計画の説明で協調関係とか離反がなされ、良き計画に は人や金が集まり、計画が実行されて良き成果が上がれば次の計画 も生まれる循環作用があります。  そこで少し夢を語った次第で、粉飾決算のような誤魔化しではあ りません。  人が集まるには何かの目的があるのが普通です。主動者には説明 義務があります。一番いけないことは言った言わないという揉め事 です。人は忘れることはありますが、都合が悪くなると、言った覚 えは無いと言うのは罪悪です。  他人を動かす動機付けをして、他人が動き出してから、知らない と言われると困ります。これは年寄りも若い者も言ってはならない ことで、自分の発言には責任をもつことが公序良俗に適うことで、 言動に責任をもたないと離反や疎外を招きます。  これからの世の中は言動についての契約、それも書面のような動 かぬ証拠が必要になりそうです。  人間の寿命に関する予想は極めて外れやすく、その意味では、私 の申していることは、多少は夢の膨らまし過ぎかもしれません。  最近の人たちを実感で捉えれば宗教を必要とする人は一割にも満 たないように思います。  公序良俗を殊更に必要と意識する人は少ないかもしれないと思う ことが少なくありません。  青年よ大志を抱けと言った人がいますが、青年と年寄りを区別す るものは何でしょうか。  年寄りも精神年齢は若く持てます。最近は年々平均寿命が延びて いるので、実際の年齢から三十歳くらい引いて考えられても良いと 私は思います。  しかし、行動するにつけては公序良俗を心得た大人として多くの 人々の模範を示すのが年寄りの責務だと思います。況んや興味の対 象から外されつつある宗教を知っている高度な倫理観をもっている 人たちとして、お年寄りは活躍して欲しいと願います。 ※何も欲しくない。何もしたくない。何も未練はない。寺にも、地位 にも、布教にも関心はない。私は覚りの境地にあるといっても良い のですが、それでは薄情と言われても仕方がない。 そこで、皆さまの願望を常に私の願望とし、皆さまの悩みを私の悩 みとして、これから先を生き行くことを考えました。 ※永遠不滅の物はありません。寺も信徒さんも何時かは無くなりま す。観音院も例外を免れません。そこで所有の主体を僧侶から信徒 さんへ、信徒さんから市民へ移行させておく手続きを完了させてい ます。観音院は宗教法人ですが、維持できない場合は、公共団体に 主体が移るように規則に定めています。 ※老いることは別段のことではありません。年月が経過するだけで す。問題は、誰かの世話にならなくてはならない事態になることが 予想されます。そのような時に介護者の立場に立った、出来るだけ 気持ち良く世話をしてもらえるように身辺を清潔に、出来れば無臭 に近い状態で年を取りたいと願います。 ※公序良俗を持たない動物は、人間とは言い難い人類です。躾けや 公序良俗、高度な倫理観は宗教と家庭の果たすべき生活態度の訓練、 ないし責任と言うべきだと思います。  二十一世紀の日本人にとって最も必要なことは公序良俗の徹底で す。ご家庭で宗教を大切になされることが、公序良俗の教育になり ます。
Kanjizai index98109812

KAN NON-IN English version

e-mail:kanjizai@kanjizai.com