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鈴の法話 ----全てに愛を光と祈りを----1998.10月(1) かっかっとしないで落ち着いて     腹を立てずに穏やかにしたいもの ----不慳貪・不瞋恚・不邪見・エトセトラ----                観音院 法主 鈴之僧正  瞋恚(しんに)の炎(ほのお)の燃えたつような、激しい怒り や恨みに憎しみは、精神衛生上良くありません。  世間も家族も、自分の思うようにはならないものです。気に入 らないからといって、一々かっかとしていては身が持ちません。  不瞋恚(ふしんに)とは、「腹を立てるな」ということです。 それも事と次第では、かぁっと燃え上がる必要もあります、怒れ と仕向けられたら怒るのが自然です。だから不瞋恚は他人を怒ら すようなことはしないで欲しい、み佛(ほとけ)さまの願われる 平常心のあり方です。 青筋を立てるなといっても無理         立つものは立つし、生まれつき ■怒髪(どはつ)天を衝(つ)く、という凄まじい怒りの表現があ りますが、実際に見たことはありません。  青筋を立てている人は、よく見ます。本当に腹を立てておられる 場合は、顔面の他の筋肉にも緊張を及ぼしますので、罵詈雑言(ば りぞうごん)を伴わなくてもご本人の胸中は理解出来ます。  それほど腹を立てておられなくても、青筋が立つ人は気の毒です。 周囲の人が怯(おび)えますから、人間関係が本人が望んでおられ ないのに壊れてしまいます。  青筋は眉間の血管が見えやすい人で、怒れば誰でも血圧が上がっ て太くなっているのですが、見え難い人は得をしています。  青筋が見えやすい人は、心を読まれやすいので損をしています。  一面では、誰でも怒れば、心臓が脈打って多くの血液を運び、そ れだけ負担が掛かっているわけですから、腹を立てぬ方が健康上は 良いということになります。  腹を立てるには、理由があります。  誤解に基づいて青筋を立てるのは、本人の理解力を問われます。  寛容でない人は腹を立てる機会が多く、損をすることになります。 辛抱する習慣が無い人も、青筋を立てやすいといえます。 嫉妬と被害妄想と皮肉は駄目         精神的な修行が大切ですが ■これは難しくて、人類の永遠の課題かもしれません。嫉妬と被害 妄想と皮肉に耐えることは、無意味に近く、これに対して動揺しな いで、腹を立てないで、愛想を尽かさないで、とお願いするのは、 無理難題というものです。  普通の人間関係なら縁が切れます。悲劇なのは隣近所、配偶者な どの場合です。簡単に引っ越ししたり、離縁することも出来ません。  対策はありません。出会いは大切にしたいものですが、疫病神に 出会ったようなもので、弁護士さんに相談するなり、身内に相談す るなりして、協力してもらって縁を切りなさい。  問題は、あなたが嫉妬深く、被害妄想気味で皮肉屋さんであった 場合です。  これは、何処に出しても、どんな寛容な人と出会っても通用しま せんから、是非とも自分自身を矯正(きょうせい)するよう心掛け て下さい。  嫉妬心は、独占欲とわがままと押しつけと自信過剰です。被害妄 想は、手抜きをして自分のすることに自信がない、善意を尽くして いない、期待が過大である、相手を信用信頼していない、噂話に巻 き込まれたり、週刊誌の読み過ぎなど、複雑ですが、半分は愛想を 尽かされかかっている認識があります。  皮肉は根拠のないこと、確信のもてないこと、面と向かって言え ば大事になることを遠まわしに意地悪く弱点などをつくこと、あて こすりとも言います。  言われた方は事実であれば、骨身にこたえるような鋭い非難にな ります。グサリとナイフで突かれたような痛みが残ります。何度も 言われると再起不能なほどに落ち込むか、脱走するしかありません。 事実で無ければ、運が悪ければ、暴力沙汰にもなりかねません。  このような人間関係を俗に「腐れ縁」といいます。切らなくては ならないのに中々切れません。  中々切れない間柄ですから、片方が性格を矯正して、円満にやっ て欲しいと願います。  折角この世に生まれてきて、良い人間関係になって、しばらくし て、嫉妬や被害妄想や皮肉で、相手の腹を立てさせる毎日を過ごす ことは、み佛さまも厭われます。 リスク管理と被害妄想の違い         被害妄想には根拠がありません ■被害妄想は明確な根拠がありません。そのような「誤解」でキレ る、むかつく、沈黙する。子供の教育で大変に困っておられるよう ですが、周囲の人間関係、上司、同僚、部下、取引先、配偶者、兄 弟、子供、親戚などに「キレられる、むかつかれる、沈黙される」 と大変です。  誤解も、多くの人から再三されるようであれば、誤解されやすい 言動をしていることになります。  これらの場合は、なぜ誤解されるか、考えてみて下さい。粗暴な 言葉、癖のある行動など、本人が気付いて直すことが大切です。  世の中に例えるなら、現代の社会の仕組みは、真実が見えない、 誤解されやすい一面があります。これらは社会の仕組みを改善しな くてはなりません。 ▼普通の人が不幸になるとしたら世の中の改善が必要です。世の中 は人で構成されていますから、世間の人全部に変わってもらわなく てはなりません。多くの場合、誤解されやすい人は世間ではなくて ご本人に責任があります。 ▼リスク管理は、予測されざることが次から次へ起きている現代で は大切なことです。これには的確な情報収集と分析が重要で、被害 妄想でリスク回避をしようと考えると経費が大きくなり、不必要に 他人を悪人にしてしまいます。  被害妄想の大きな弊害は、周囲の人を悪人と受け止めることです。  世の中は悪人と善人で構成されていますが、被害妄想は性悪説だ と思います。周囲に対して極悪非道な態度になりかねません。  周囲に対する期待が強く、殆どの人がその期待に添えません。  他人を疑うことは極めて攻撃的な行為です。冷静になること、な るべく善意に受け止めること、皮肉やあてこすりは喧嘩をしかける のと同じです。  万一、根拠の無い妄想で他人を悪人に仕立て上げると、他人は腹 を立てるのは当然で、場合によっては痛烈な反撃が待っています、 裁判沙汰になることもあります。 恨(うら)みに報いるに徳をもって        瞋恚の炎は一切の善事を焼き尽くす ■怒りや恨み憎みは、もちたくないものです。自分の身体を損なう のみならず、他人を不幸にします。  冷静に考えれば誤解に基づく場合が多く、腹を立てるべき相手の 行為に対しても、これを鎮める方法がないか考えたいものです。  出る杭は打たれる、足を引っ張られると開き直ってはなりません。 何も悪いことをしていなくても、善事で成功しても、場合によって は周囲を悲しませ、大きな迷惑を掛けていることが少なくありませ ん。錦の御旗(みはた)が常に世間の人々にとって喜びをもたらし ているとは言い切れない現実があります。  他人の成功を素直に喜ぶほど世間は単純ではありません。国家の レベルの成功であっても周囲の国家の脅威そのものになることがあ ることを知っておきたいものです。  人生も国家の歴史も、競争である部分が少なくありません。競争 に負けて、勝者を讃えていれば無難ですが、スポーツマンシップは 現実社会では通用しないようです。  これらの瞋恚に対しては「徳」をもって望むしか対応策がありま せん。それでは「徳」とはどのようなことを意味するのでしょうか。  道を覚った立派な行為を「徳」といいます。人を感化する人格の 力や恵み、神佛の加護も「徳」といいます。 「徳孤ならず必ず隣あり」という言葉も有って、「徳」ある者は、 孤立することがない、必ず共鳴する人が現れるともいいます。  徳をもって怨みに報いる・・・「怨みのある者に怨みで報いず、 かえって恩報を施す」とは有名な言葉です。 成長が並ばないときの瞋恚        これで困っている人は多い ■夫婦で苦労して事業を育てる。数人が協力して事業を始める----。 失敗すればして瞋恚を生じますし、成功すれば多くの場合に複雑な 瞋恚が生じるようです。  その多くは、事業の成長に、人の成長が追いつかない場合です。 立派な社長さんの足を配偶者が引っ張る場合は多く見られることです。  発起人間で格差が生じることは珍しくありません。  事業を、配偶者であることや親族であること、子供であることを 理由として、何らかの特権的地位や支配を及ぼすと、瞋恚を生じる 理由となります。 ▼後継者に肉親を想定すると悲劇になる場合が多いようです。悲劇 を避けるためには、後継者に想定される人の能力や人望があれば問 題はありません。 ▼成功するためには、ある意味では「猛烈人間」になっている場合 が少なくありません。猛烈人間でなくても「人格者」として通用し ている場合もあります。多くの場合は家庭を省みる余裕がないのが 普通です。  成功は単純に財力を伴う場合が多く、配偶者や子供は甘やかされ ます。  配偶者が努力している保証も子供が人格者である必然性もありま せん。所詮は虎の威を借る狐に過ぎない場合、周囲の瞋恚や不快感 は相当なものです。  それだけなら事業の縮小とか失敗などで現世で応報(おうほう) の結果がありますので、周囲との調和もとれます。  問題は、成功する人間は、不瞋恚ということを体得している場合 が比較的に多く、配偶者や子供が瞋恚を振り回す例が少なくありま せん。  瞋恚に巻き込まれれば災難です、瞋恚には瞋恚で報われるのが 法則で、このような状態はこの世の地獄ともいえましょう。いかに 成功していても充実感も幸福感も味わうことが出来ず、空しさのみ が去来します。世の中は瞋恚の中に幸せな人を認めないのでしょう。 瞋恚を呼ぶ言動をしないこと        怒った方が不幸になります ■怒り、恨み、憎しみは、自分自身の精神状態や健康を害します。 同時に相手も同じ目に会います。  この世の中から瞋恚を無くせば平和になります。  怒りは、約束を破る、相手を差別する、損害を与える、侮辱する、 傷つける、誤解する、付きまとう、排除する、黙殺する、無理難題 を押しつけることなどで、簡単に呼び起こせます。これらの行為は 同時に恨みを買い、憎まれることになります。  相手からこのような取扱いを受けて怒らない方が不思議で、怒る ことで世の中が平和になることもあり、相手が反省する場合も期待 出来ます。  しかし、怒らない方が良いと私は思います。このような悪い人間 関係は悪循環です。  基本的には相手や世間さまに迷惑を掛けない生き方をする。相当 な仕打ちでも寛容に受け止める。  なかなか出来ないことですが、努力してみて下さい。  寛容に生きて行く上で大切なことは、脇が甘くならないことです。  よく世間では、騙す方も悪いが、騙される方も悪いといいます。 甘い話に乗らないこと、何かをする時は自分の許容範囲の予算をた てておくことです。  脇が甘いという具体的な例は、許容範囲に予算が無いことです。  そこから受け入れようのない大きな損害が生まれて、打撃を受け るから、瞋恚が生まれてきます。  瞋恚の原因にしばしば金銭の貸借があります。貸す場合は返済さ れなくても笑っておれる程度にしておくことが大切です。加えて、 自分が持っているお金は決して自分だけで自由に出来る性質のもの ではありません。  そのお金には家族とか社員などの期待が掛かっていることを忘れ てはなりません。  つまりは、金銭を貸す場合には、家族なり社員と相談して、了承 が得られた場合に限定しましょう。  借りる場合も、返済には家族や社員の生活が圧迫される場合が起 きることを想定して相談しましょう。  無限の連帯責任が生じるような保証人はこの世にいません。  不幸は連鎖するものです。融通手形などはルール違反です。不渡 り手形などは話にもなりません。  瞋恚は信義信頼を欠いだ行為の上に起きるものです。人と人との 間の怒りは逃れられる場合もありますが、法律を怒らすと大変なこ とになります。  公序良俗を怒らすと社会から排除されることがあります。  生きて行く上で、どの角度からも怒られないように、尚且つ自分 も怒らないで済むような日常が過ごせるように、慎重に、相手の立 場で考え、速度制限の範囲内で過ごしたいものです。 ※世の中には改善すべき事が沢山あります。女性差別、出自による 差別、学歴差別、職業差別などは無くなって欲しいものです。交通 戦争も受験戦争も弊害が大きく、改善したいものです。環境破壊も 放置出来ません。平和で暮らしやすい世の中にするために黙認出来 ない事も多々あります。改善に努めましょう。 ※簡単に立腹する人がいて「瞬間湯沸器」などと揶揄(やゆ)され る場合もあります。物事の前後や背景を冷静に考え、自分の力だけ で改善出来るか、世間の協力が必要か、直ちに改善すべき事か、 冷静に判断し、感情を軽率に顔に出さないよう、物事はあせらずに 良くして行きたいものです。立腹では片づきません。 ※怒る前に愛を、恨む前に相手を生かすことを、憎む前に相手の立場 で考えることが出来れば素晴らしいことです。親切は人を育てます。 恨みや憎しみは敵をつくるだけです。自分の心の動きを当然と考え ないで反省してみることも大切です。正しいことをやり過ぎて怨嗟 (えんさ)の声が巷に満ちることさえあります。 ※今、多くの事業はリストラの最中です。事業の生き残りのために 採算の取れない部門が切り捨てられたり、縮小されたりします。 そこには大切な人が当然おられます。残るも地獄、去るも地獄とい うような流れがありますが、時代の変遷と技術の進歩、需要と供給 などの関係は大変に理解が困難なことです。
腹を立てる馬鹿に、腹立てぬ馬鹿           無責任で無目的で注意力散漫かも ■腹を立てぬ方が精神衛生上良いことは皆さんご承知の通りです。 腹を立てれば血圧も上がるし、胃も痛くなる。場合によっては血の 雨も降るし、事と次第では戦争にだってなることがあります。 ▼私は、大概のことはでは心を動かすことはありません。「それが どうしたの」と自分を埒外(らちがい)に置いて考える余裕があり、 物事の大半は思うようにならない、と、そのように思っているから です。  なるようになる、ケセラセラと斜めに見ている訳ではないのです が、冷静に憂慮し、対策を考え細心の注意で受けとめているのです。 ■不正については、それを知っても私は告発すべき立場にありませ ん。これらは取り締まるべきその筋の官吏によってなされるものと 考えています。 ▼倫理道徳にもとる行為を知っても、話すようなことはしません。  全て守秘義務の範囲で、自分が被害を受けようと、他人さまが悲 しい思いをされようと、決して口外しないことにしています。  私の言動が原因で、皆さんに怒られたり、恨まれたり、憎まれる ようなことはしたくありません。  それでも難癖をつけられたりして弁解しなくてはならないような こともあり、面倒な浮世です。  厄介も結構降りかかってくるもので、人間は不思議ですね。 常識で交際して下されば        お互いに楽が出来ますが ■私は社会的に引退して以来、何の権限ももちません。社会に対し ては最大限の好意をもっています。  困るのは、好意以上の出来ないことを期待される場合です。  一人では生きて行けませんので何かとご一緒にすることが多いの ですが、私が隠忍自重我慢できても、組織の原則や税法が認めてく れないようなことを要望、又は押しつけられますと、これは全て私 の個人的負担となって、無理矢理飲み込むことになります。 ▼行き先が不明で、目的が明確でなく、相手が望まないことで、倫 理的な要件を満たしてない行動はしたくありません。税務上経費と 認められないようなことを、経費として支出を望まれると最終的に は私個人が壊れてしまいます。 ▼使い方が不明なもの、使えない物、用途が明確でない物は一つで も購入することは出来ません。 ▼これらは、常識で考えられれば理解出来ることで、私の周囲には 美味い話はありません。 ▼世間には私が豊かでケチで無いと評価しておられる向きがありま すが大変な誤解です。私は富を持ちませんし、大判振る舞いをする ような傾向は全くありません。 ▼不用な物は持たないし、不必要な蓄えはしておりません。 ▼何かを頼まれて応諾出来ない時に、相手に瞋恚の心をもたれるこ とがあるのは大変に辛いことです。その依頼の多くは、私の能力に 対する過大な評価によるものです。 ■これらは、私の行動原則についての情報開示です。これを超えた 期待をなされると、気の毒ですが、そえません。強いて要望される と惑乱することになります。 不正の定義は難しいですね       その人によって異なります ■不正は瞋恚(しんに)の原因になります。善を勧め悪を退けたい と願いますが、善悪を決めるのも困難です。  音楽など芸術についての好悪も、人によって極端に意見が別れる 場合があり、時代によって評価が異なることは少なくありません。  制作者が好きでやっていて満足しておられる分には一向に差し支 えがありませんが、世間とか大衆とか専門家の評価を得ようと願わ れたら、歯がゆいことも起きるだろうと思います。  表現が、世間に受け入れられる否かについては、「運」に左右さ れることも多く、直ちに実力を表すものでもありませんし、将来に わたって評価を定めるものでもありません。運は善意に基づく場合 に強くもたらされることが多いように感じています。 ▼誉められる、怒られる、好かれる、憎まれる、感謝される、恨ま れる、これらの関係の中に幸運と不幸があるとすれば、大変に難し いことになりますが、善意の提供が幸不幸を決定する重大な鍵だと 思っています。 ▼誰にも怒らせない、自分も怒らない、憎まれないし、憎まない、 恨まれないし、恨まない、不瞋恚(ふしんに)の戒を守るのは容易 ではありません。大方の人に瞋恚の心を起こさせなければ、それで 良いと私は考えています。 ▼真面目に人知れぬ努力をして、仕事が評価されたり、コンクール で入賞したり、何かのきっかけで新聞に取り上げられたり、テレビ で報道されたりすると、同じことをしている人から妬まれ、憎まれ ることがあります。場合によっては、組織的な妨害行為を受けるこ とも珍しくありません。  これらを逃れる「徳」のようなものは存在しません。謙虚にして おくことが大切でしょう。  自分が不瞋恚の戒を守ることは比較的に容易ですが、他人に不瞋 恚を期待することは無理だと考えておきましょう。 ■他人に悲しい思いをさせたり、心配を掛けたり、場合によっては 瞋恚を生む言動は沢山あります。 ▼物を叩く、投げる、散らかす、汚す、辞職する、物を粗末にする、 他人の話を聞かない、誹謗中傷する、罵詈雑言を吐く、行儀が悪い、 不潔、沈黙など、これらの行為に出会って、不瞋恚の戒が守れたら 立派だと思います。 ▼買ってない物を届けられる、呼ばないタクシーが来る、無言電話 は再三掛かってくる、ここらあたりまでは辛抱出来るかもしれませ んが、毒薬を盛られる、清涼飲料に農薬が入れられて自販機に放置 してあるようなことなどを辛抱することは不可能です。もちろん、 警察も捜査に来ます。 ▼育てた花を盗まれるのはまだしも、泥棒に入られる、性的な乱暴 を受ける、などは怒らずにはおれません。このようなことまで心を 動かせるな、瞋恚の心を起こすなと言うのは無理なことです。  辛抱し、寛容であることが次の犠牲者を出すことになります。 ▼交通事故の関係者になることも、厭なことです。過失の度合いが 低いほど、被害者が可憐な子供であるほど、生活の責任をもってい る人であるほど、被害者の家族の怒りや憎しみ、恨みの度合いは高 くなります。自動車は慎重に運転することは重要な社会の課題です。 多くの人の瞋恚を集めると大変です           内乱も起きるし、戦争も起きかねない ■過去を振り返ってみても、訂正出来ないのが歴史の厳粛さとでも いえましょうか。人間の歴史は、瞋恚と瞋恚の葛藤みたいなものが 多分にあるようです。それだけに将来に向けて怒りや恨みや憎しみ の種を蒔かぬよう慎重に、良く考えて行動したいものです。 ▼昔のことを何時までも引っ張り出して怒っても恨んでも憎んでも 大半は改善されません。例え賠償されても詫びを言われても死んだ 人が帰って来ることはありません。 ▼物事にはけじめをつけることが大切で、侵略戦争などでは虐殺、 虐待、拉致など、その記憶が五十年も百年も残ることがあり、これ らを丁重に詫びる気持ちにならないと、子々孫々に至るまで、強く 非難し続けられます。済んだことだからでは許してもらえません。 ▼怒りや恨みや憎しみには、そのような気持ちになる出来事、言動 があります。それに該当するようなことを避ければ瞋恚を起こさず に済むという単純なものではないようです。  無差別テロなどは、辛抱しようもありませんし、理解することも 困難です。他人が困り苦しむのをみて喜ぶ愉快犯の存在は人間の心 の内に潜む複雑な陰湿さを知る手掛かりになります。  世間を騒がせて、それを楽しむ愉快犯は、他人さまの郵便受けに 現金を投げ込むような手口と、食品に毒物を混入して売場に置くよ うな生命に危険を及ぼすような手口に分けられますが、被害者の苦 悩を見なくても愉快と感じるのですから無差別テロと同じてす。  火事で炎が上がって消防車が来れば満足する人もいて、動機とし て「ムシャクシャ」としていた、では被害者はたまりません。 ▼食品に毒物を混入したり、放火魔といわれる人たちは、何処の国 でも何時の時代でもいて、大変に残念なことです。 ▼このような大きなことでなく、他人が丹精を込めて美しい花を咲 かそう願い、明日は蕾が開くというような時に通りかかって折った り摘み取ったりする人もいます。 ▼瞋恚の炎を燃やすなといっても瞋恚の元を造りつづける人たちが おられるのも事実です。 ▼美しい物を傷つける、新車にクギで傷つける、所有出来ない怒り を破壊で埋める。物の場合は諦めもつきますが、人間に対する片思 いは解決することが出来ません。 ▼美しい物を造りたい、良い物を生産したい、楽しい音楽を作曲し たい、これは人間にとって望ましい傾向ですが、盗作とか著作権の 侵害とか、難しいことですね。 欲望が満足されない瞋恚        世情が意にそわぬ瞋恚など ■多くの憎しみは、物事が思うようにならないことから瞋恚の心が 起きているようです。  商売が失敗した人の多くは、時の政権を批判し、恨み、憎みます。 ところで、世紀末の不景気は、失業者を量産し、企業を整理統合縮 小効率化させました。  世界的な経済恐慌は普通の人には先ず責任はありません。端的に どうして良いか分かりません。  恐らくは時の政権担当者にも根本的解決策は無いだろうと思いま す。好況や不況、低迷や混乱は、人間全体の息吹のようなものがあ るように思えてなりません。異常気象の発生する理由の解明が難し いように、経済不況を活況に向けることは大変に困難でしょう。  ですが、金融機関の破綻、貸し渋り、予想出来ない株価の動向、 為替の不安定、企業のリストラ、失業者の増大など、不安定要素は 多く、苦しみに直面した人の怒りは鎮めようもありません。  人間の瞋恚の情は、自然現象や経済のみならず、極端な変化は全 て怒りの対象になり得ます。昨年のパソコンの進歩は目ざましいも ので、一ヵ月もすると旧機種になるようなことでした。  人は進歩や技術の発達を願いながらも急激な変化は望んでいない ようです。結果として買い控えとか、旧機種工場の経営悪化なども 起きて先端産業で財務体質が悪化しリストラが行われ、サービスも 低下しているようです。  せめて一年程度の期間を置いて画期的商品を供給して欲しかった と思いますが、企業間競争は共存は選択されないようです。  腹を立てる、恨む、憎むには相当な理由が必要です。ある程度の 不合理は容認されるものです。  それに加えて、人間は辛さや貧しさには耐えられても不平等には 耐えられない特質があります。  世の中には不平等が蔓延しているようにも思えてなりません。 病気の立腹などは免責される         適切な理解と看護が大切です ■誤解し易い人、面倒を起こしやすい人、簡単に立腹する人、異常 に執念深い人がおられます。  これらを非難し排除することは簡単なことですが、迫害妄想とい う病気があります。被害妄想とほぼ同義に使われています。  他人や外界から害を加えられるという妄想で大部分は、一次妄想 体験が内容的に具体化したもので、精神障害に多くみられるます。 そのほかアルコール幻覚症、慢性覚醒剤中毒、老年痴呆、うつ病な どでもみられるます。  詳しくは知りませんが、被害妄想としては関係妄想、注察妄想、 追跡妄想、迫害妄想、被害妄想、嫉妬妄想、つきもの妄想、好訴妄 想などと複雑なようです。 ▼これらについて、現代人は、理解と寛容さをもちたいものです。 家族や他人が怪我をして血を流していれば誰でも心配し、それなり の同情をしてくれます。同様に外見は健康そうに見えても、頭の中 で血を流していてる人に対して、適切な配慮があってしかるべきと 思います。 ▼現代は複雑でストレスも多く、精神的に参っても不思議ではあり ません。  私の知っている多くの経営者や管理職は、心療内科で面倒をみて もらいながら仕事をなさっています。  また、受験戦争などで、子供の心もしばしば蝕(むしば)まれま す。  これらに瞑想(めいそう)は、非常に有効のように思われます。 写経も読経も落ち着きを取り戻す良い手段です。 ▼喧騒に満ちた日常、異常気象、低迷する経済、受験戦争など。そ の上にお金さえ出せば何でも手に入る不平等、凄まじい技術革新な ど、全ての人がこれらの社会に適応出来る筈がありません。  弱い人たちの立場になって考えて上げて下さい。 ※腹を立てないこと、憎まないこと、恨まないことは、精神安定上 大切なことです。悪いことは勧められて実行しないような強い倫理 観をもたないと、言いなりになって共同責任を問われることがあり ます。他人の言いなりになれということでは、決してありません。 断固として反対すべきことも当然あります。 ※粗暴な態度や乱暴な物言い、不作法や不潔は、避けるべきです。 礼儀作法を忘れると、悲しい思いをすることがあります。ものには 程度というものがあり、度の過ぎた丁重な言葉使いは相手を馬鹿に するのと同じ効果があります。潔癖過ぎるのも、世の中を狭くしま す。相互に相手の立場を大切にしましょう。 ※腹を立てる、他人を立腹させることは良くありません。腹が立つ 原因を作らぬことが大切です。教育や育て方も大切です。我慢する、 辛抱する、そのような性格とか、不平等なことに出会った時の是正 の仕方、暴力を避けることなど、腹を立てる前に、問題を理解し、 分析し、冷静に対処したいものです。 ※月経前緊張症といって月経一週間ほど前くらいから便秘、頭痛、 乳房が張る、いらいらする、情緒不安になることがあります。ホル モンの急激な変化によって起きる自律神経失調症状です。便秘の際 には下剤、いらいらの際には精神安定剤などが有効です。女性の神 秘にはもっと配慮がなされるべきです。
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