古墳の発掘、覗き見や盗撮、自然環境を浪費せず盗まないように
鈴の 法話 (4月号-3)


 キトラ古墳の発掘は死者にとって迷惑
      他人の墓を見せ物にしてはいけません

             観音院 法主 鈴之僧正

 奈良盆地の南部でまた古墳が発掘されて大きな話題になり、学者
から見物客まで大勢押しかけて、村起こしにと考えられています。
 高松塚古墳の壁画は千三百年も昔の風俗を知る上で興味深いもの
とされています。ここからお骨や遺品が発見されましたが、埋葬さ
れている人のことが随分と心に掛かりました。
 考古学者は学問のために、自分のご先祖さまでもないものを発掘
されます。盗掘は昔からあったことで、墓を暴いて貴重品を盗む人
たちがいました。考古学者の発掘と盗掘は異なりますが、似ている
ような気もします。
 どなたが管理し、どなたのご先祖さまか知らないが、私は罰当た
りなことだと思いました。

 中国やエジプトなど、古墳が発掘されて、いずれも観光地として
賑わっていました。ですから、日本だけが特別だとは思いません。
 中国の古墳を見学した際に、かつてこの墳墓を作るために費やさ
れた費用や労働力、危険であったと思われる巨石の運搬など、一人
の死者を葬(ほうむ)るにしては、当時の社会は大変な努力をなし、
多くの人々の苦しみがあったであろうと想像したことがあります。
 古墳の中に入ると、独特の温度や匂いがあり無風です。私はこの
ような場所に入るのを好みません。
 キトラ古墳には今のところ胃カメラのような道具が中に入っただ
けですが、今後、慎重に発掘されることは避けられません。
 何が見つかるか、学者も村民もマスコミも一般人も興味深々です。
何が見つかるかと期待する心理は盗掘者も現代の科学者たちも一般
の人々も似ていると思います。
 墳墓を暴くことに私は強く反対します。死者の立場や遺族の立場
で同意できるか疑問をもちます。
 不偸盗(ふちゅうとう)、盗まないことは、相手の人の心を考えて、
思いやりがあるならば、しない方が永い目で見て幸せだという考え
方です。
 歴史学者や考古学者からは私の考え方は容認されません。しかし
私は気持ちが悪いのです。


 覗き見や盗撮は恥ずかしい
       紳士や淑女のしないことです

 考古学者と覗き見を一緒にするつもりはありません。
 人間には他人のプライバシーを知りたい、暴きたいという願望が
あります。そして、それが下半身のことに関係すると、対象が著名
な人、タレントなどでは週刊誌のネタになります。
 情報開示は大切なことですが、プライバシーに関することは触れ
ない方が相互に幸せです。

 以前、日本の首相が女性問題で失脚したことがあります。現在、
アメリカでも大統領のスキャンダルが詮索されています。
 このような風潮を、私は好みません。不邪淫(ふじゃいん)の項で
詳しく考えを述べますが、他人のプライバシーを詮索することは、
それ自体が淫(みだ)らなこと、と私は思います。
 イギリスの皇室に対する盗撮は、非惨な結末で終わりました。
パパラッチという奇妙な言葉を知りました。カメラが大衆化し、何
かがあると撮影し、それがシャッターチャンスとして価値を持つ、
そのような価値観が生まれていることを悲しく思います。

 私がカメラを持っている時に、目の前で何かが起きた時、それを
写真に撮るか、それとも私に何かできることがあるとしたら、躊躇
無くカメラを捨てます。
 報道に関わる職業的なカメラマンの倫理のことについては、よく
分かりません。しかし一般人までが、写真が売れると考えることは
良くない風潮だと思います。

 昔の建物は機密性が低く、風呂場などは、しばしば覗きの対象と
なりました。
 最近の覗きは、学校の女生徒の体操服を蒐集するなど、小中学生
を対象としたり、変質しているように思います。その写真集が公開
されていますが、被写体の学生の肖像権は侵害されています。
 盗み取りされる写真は体操服などの比較では決してありません。
猥褻(わいせつ)とまでは行きませんが、ある種の劣情をそそるよう
な角度と姿勢を撮影されています。
 写真は扱い方によっては個人を誹謗中傷する手段として使用する
ことが可能です。
 男女一組の食事中の写真を盗撮して、「親子で仲むつまじく食事
をしておられる」とも「食事の後は寝室であれ」とも、好き勝手な
コメントが付けられるからです。

 被写体の同意を得ないで撮影することは、原則として盗みであり、
してはならないことです。日常生活でトラブルを起こさないために
は大切な心掛けだと思います。

 観音院には一面識も無い方が出入り可能ですが、法要中であろう
と、仕事中であろうと断りなく写真を撮る方がありますが、人間の
尊厳を犯しかねない行為で、これを制限したい意向もありますが、
いかがなものでしょうか。


 他人の物を無断ど動かしたり
     写真を無断で撮ることは盗み

 物には置かれる理由があって、そこに置いてあるものです。右の
物を左に動かすようなことなら別として、他の場所に移動して持主
が所在を見失う行為は盗みです。写真も文章も、あらゆるデータも
公開されていない限り、それを自由に複写することは許されません。
 公開されているものを複写するに際して、元のデータを消したり
改ざんすることは盗みです。
 インターネットの世界では、期限付きのソフトの期限を外して、
無期限に使えるようにしたり、他人の苦労して作ったソフトがコピ
ーされて使われるようなことは日常茶飯事の、盗みです。画像や写
真などは簡単に盗むことができます。
 有名税のようなものですが、私が撮影した写真や能島さんの描い
た画像が、日本国内ならともかく、地球の裏側に位置する人などの
ホームページに無断で取り込まれたりして、好き勝手なコメントが
付けられます。さりとて、一々注意したり、警告したり、裁判に持
ち込むようなことをしていますと、際限がありません。不愉快とは
思わず、何処かで諦めないと生きていけないような現状です。

 日本人の倫理観を高めるだけでは追いつかない状態です。法律は
国際法は別として、突然に世界中に向けて双方向性をもって受発信
できるインターネット網の発達は、どの国も対策について困惑して
います。現状は利用する個人の倫理観の問題になります。

※「盗むな」という戒について、盗んでならないのは何かと、広く
考えることが大切です。同時に拡大解釈すると、人間が生きること
の大半は盗みに相当します。深刻に考えると、生きて行けません、
迂闊に生きると、知らず知らずの内に盗んでいることになります。
法律より少し高い水準で、盗まないようにしましょう。

※考古学者や関係町村の人々を盗人と決めつけているのではありま
せん。墳墓を検証するにつけては謙虚な態度が必要だと思います。
文化遺産は国民の大切な資産ですが、同時にどなたかのお墓であっ
たことを考えましょう。

※レンズを知らない人に向けることは、失礼に当たることがあるこ
とを考えてカメラを持って下さい。人権の侵害にならぬよう被写体
の気持ちを考えてシャッターを押しましょう。無断で個人のプライ
バシーを撮るのは盗みです。

※映像の説明を鵜呑みにすることは不用意なことです。事故や災害
のニュースは大体信じてよいように思います。番組の多くは用意さ
れたシナリオに沿って編集されます。その著作権は撮影した会社に
あり、被写体に無いのが普通です。カメラやマイクを向けられたら
望まれることを話して上げましょう。


		
 自然環境を盗まないようすることが大切      静寂や風の音を大切にする、夜の闇を守る  わずか半年くらい周囲を見渡さずにいると、景色が変わっていて 小さな丘どころか山さえも削られて宅地になっていることがありま す。都市部の近郊の野山の私有地は次々と開発されています。海は 埋め立てされて、高い護岸がつくられています。  野の風も、波の打ち寄せる音も聞くことは期待できません。この ような開発で、生態系が変化し、海や川の魚の種類や生息量が変化 しています。  私が昔、ドングリを拾った山は段々に宅地化され、メダカを掬っ た小川は暗渠(あんきょ)になり、沢蟹(サワガニ)と戯れた海は商工 センターになっています。  日本の岸辺の多くはコンクリートで固められ、魚が憩う木陰の岸 辺は少なくなっています。  海辺の多くは、立派に舗装された道路になって、日本は自動車の 通行にとても便利な国になりました。日本列島は、縦貫高速道路が けもの道を断ち切り、瀬戸内海を横断する巨大な橋が掛かっていま す。  多くは有料で、時速八十キロから百キロくらいで車両が走ってい ます。自動車は一家に一台の時代から二台の時代になってきました。  排気ガスで道路にそって、草木が蝕(むしば)まれています。葉の 上や幹に煤(すす)がついて黒ずんでいます。  多くの家庭では、合成洗剤が大量に使用され、川や海が汚染され ています。  家庭から出されるゴミは燃やされてダイオキシンを空気中に出し 続け、産業廃棄物は処理場に埋め立てられ、凹地が無くなったり、 ゴミの島ができたりします。  無計画に作られた工業団地には、進出する企業も無く、自治体の 借金になっています。市町村は次々と巨大な建物を助成金や年金資 金などで建築し、場合によっては、良く利用され、場合によっては 管理人の給与を支払うことも難しいくらい、維持が困難になってい ます。  これらの多くは建設時期に建設業者を富ませ、従業員に良い賃金 を与え、そしてとても豊かな国家になったように思えました。  その資金は、国民の借金という形で今日に受け継がれ、子供たち に残されようとしています。  しかし、公共事業は緊縮財政と言いながら相変わらず熱心に継続 されています。  ところで、日本は人口に占める高齢者の割合が年毎に高くなり、 子供は減る一方です。あちこちで小、中学校が閉校になり、大学は 学生減少で経営危機に瀕(ひん)しています。  農業や水産業は、衰退の傾向にあり、専業者は減少しています。 多くの食品は、輸入に頼り、国内で賄(まかな)うことはもうできま せん。  これらは、言い換えれば、国民全部で、幸せを大量に浪費した、 盗んだといっても過言ではありません。  自然は有限であり、大地も、水も空気も、無限ではありません。 人間一人が生きて行く上で消費できる自然には適量があり、それを 謙虚に使用して生存が可能です。  そして、自国で浪費するなら未だしも、輸入という名で世界中か ら食料や材木や燃料を買いつづけています。  この行為は、日本の自然を食い潰し、外国の国土を侵略している のと同じ行為に思えます。  経済的な侵略行為と同じで、日本の経済行為は暴力的であり、他 国と協調とか共栄を考えているとは到底思えません。  この経済行為は、武力による侵略行為ではありませんが、戦争と 同じように、人を傷つけ、その国固有の文化を変化させ、あたかも 戦争をしたのと同じような終戦処理が待ちかまえています。  これらの商工業や貿易の競争は類似した多くの国家の行為であっ て、決して日本だけの行為ではありません。  自然の浪費は、この五十年間の世界的な傾向でもありました。  核に守られた冷戦構造は軍事費の増大という理由で崩壊するのは 自然の成り行きだったと思います。  原子力の利用は廃棄物の完全処理ができず、自然の摂理を人間が 犯した過ちに対する罰のように思うことがあります。日本人は原子 力発電所の名前に、佛教の理法と修行の面を象徴する普賢菩薩(ふ げんぼさつ)や文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の名前を借りました。  共に釈迦如来の両側にあって、一切の菩薩の指導者として、常に 教化(きょうけ)・済度(さいど)を助ける誓願(せいがん)を持ちます。  それが事故を再三起こして稼働が難しい事情にあります。最近で は原子力発電所の新設は、非常に困難な世論が形成されつつあり、 電力会社は頭を痛めています。  私の住んでいる広島市も、ゴミの処理には大変に困っていて壱千 億円も投じて十年計画でゴミ処理場を新設すると聞いています。  観音院は冷暖房完備で、停電の場合は発電機が自動的に立ち上が るようになっていて、私は一キロ少々で二ギガのハードディスクが ついたモバイル・ノートパソコンを使わされています。寺にはイン テルのCPUによって動く電算機が沢山ある環境、逃げ出したいよ うな快適な環境にあります。  三十年くらい前に五十メガの固定ディスクのついた電算機を信徒 の皆さんと相談して入れて、それが現在のような環境になる前兆で ありました。やがて携帯電話を使用するようになって、これは観音 院だけの現象ではありません。  冷暖房のあることや、車を使用することは普通のことで、携帯電 話は大人の四人に一人は使用し、小中学生まで普及しつつあります。  そして訪れたバブル経済の破綻と、経済の停滞、失業者の増加、 官僚組織や企業の整理縮小など、世紀末の様相を示しています。  子供のころは夏になると縁台を庭に出して、時にはホタルも飛ん でいました。夜遅くなると北の空に北斗七星を見て、その柄に当た る部分が上に向いている時が大体午後九時、西の山に掛かると午後 十二時であったと思っていました。  その星がとても見え難くなりました。夜が照明で明るいからです。  バングラデシュから観音院に遊びに来た青年が、私たちの国には 何も無いが、美しい星が見えると語っていましたが、彼等は自国よ り日本の方が良いと言いました。  その後、彼等の国や、インド、タイ、中国の奥地などを訪ねて、 酷しい自然環境と共生する人たちの環境を見て、そこに住み着きた いような衝動に駆られてものです。  私たちは子供たちの自然を盗んでしまったのかもしれません。  もう、ここらあたりで、自然と共に生きる人間の姿を模索する時 期だと思っています。 ※随分と風景が変貌(へんぼう)しました。丘や山が無くなり、立派 な道路が自動車に都合の良いようにつくられ、海に途轍(とてつ)も ない大きな橋が掛かり、海図が変化するほど海砂が採取されて建設 工事に使用されました。その多くは、維持に大変な費用が必要で、 借金の付けを子供の時代に引継ぎ、世の中は揺らいでます。 ※私の愛していた小さな小島の樹が枯れて裸になってしまいました。 大気の汚染が原因で、樹の生命力が小さくなり、寿命が尽きたので しょう。せめて草でも生えてくれないかと春を待っているのですが、 駄目かもしれません。 ※星が見え難くなったのは、都市照明によるものです。加えて冷暖 房などの影響による都市付近の温度の上昇や、排気ガスなどによる スモッグの発生、塵芥(じんかい)などの乱反射などが複雑にからみ あって大気の透明度を低くしています。 ※昨今の技術が人間に便利と快適さをもたらしているのは現実です。 そのために消費される資源が多く必要になり、浪費の段階に入りつ つあるように思います。地球の資源は有限です。人類が地球の資源 を食い尽くさないように、地球に優しい生活態度を地球的な規模で 考えなくてはならないと思います。              −月刊観自在98.4月号-3より−

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