不偸盗、盗みと権力、逆説的な発想、親子関係について、
  盗みが発覚しなければよい?という風潮、技術習得の盗みという問題

鈴の 法話 (4月号-2)


 権力は、腕力と盗人技術が基盤に
      分配と権力の移譲と小さな慈悲で成立

             観音院 法主 鈴之僧正

*最近では、一流大学を出て、官公庁や企業に就職して、しだいに
上り詰めて「権力を掌握」する道。
 今一つは、学歴ではなく商才で事業を起こし、企業の支配者にな
る道があります。
 さらに選挙で選ばれて、次第に権力者の道を歩む方法があります。
 これらは複合的なものが多く、「」にも恵まれなければなりま
せんし、健康も大切です。派閥を作り組合的な組織を作り、談合や
ら癒着やら、贈収賄も必要ですし、面白いことに、衆望を担えるだ
けの人間関係を上手に作ることのできる才能が必要不可欠です。
 武士と幕府と大名の成立を考えてみれば、容易に理解できること
ですね。世の中は奇妙なもので、最近インドで女性で盗賊の首領で
ありながら国会議員になった人がいて、自叙伝が日本でも売れてい
ると聞きました。

 盗人は根絶できません。私は、盗人の倫理が必要だと思います。
盗人に慈悲も必要だと思います。
 心配するまでもなく、日本では公務員倫理規定とかができるそう
で結構なことです。
 しかし盗人は少ない方が望ましいことで、公務員は現在の半分か
三分の一で足りると思います。
 私が極論を言っているのではなくて、皆さんも、公務員のことを
税金泥棒としばしば言われますね。
 文化が進むとともに、盗人の団体にも戒律が必要になって、体裁
も調えるようになって、それが近代国家だと思います。
 複雑になった管理体制を適切に動かすためには、頭脳の優秀な人
材も必要です。公務員の選別とはそのような仕掛けかもしれません。
 ですから、元々傲慢(ごうまん)で、横着で、収賄は当たり前のこ
とです。最近は市民権も拡大して来ましたので軋轢(あつれき)が生
じているようです。
 公務員は盗品管理のための組織であり、税金は盗みに相当すると
申し上げたら叱られるでしょうか。

 ですが、どの組織でも反逆者はいるもので、より良い奉仕や親切
な対応などを志している人も紛れ込んでいます。そのような人たち
は「自分たちは公僕だ」と言い、全体として良い国家のように見え
る、バランスが取れている時代も当然あります。
 厚生省に始まって大蔵省も建設省もガタガタになって、このまま
では公務員専用裁判所や特設刑務所もできるかもしれません。

 経営者もどうかすると、盗人の仲間かもしれません。売買に名を
借りて法外な利益を蓄積し、債務ができると簿外で処理し、取引先
によって売買の価格が異なり、条件が異なる。この組織に就職した
人は、人柄や上げた利益の絶対額で昇進しますが、人柄についての
評価はあまりされていません。
 一にも二にも儲けた額が優先されるようになっています。
 時に人格者が紛れ込む場合もありますが、競争に破れて疎外され
たり、事業が行き詰まったりすることが多いようです。
 適正な利益などは想定できません。場合によっては損失を出して
も市場の占有率を上げます。占有が成功すれば利益の巾を大きくす
る、そこへ又、次の企業の進出する隙ができることになります。

 実際に最初から支払うお金が無いのに仕入れて換金する組織や、
人口が無限に増えない限り破綻する、ねずみ講のような商売が後を
絶ちません。
 飲むだけで痩せることができることを効能とした薬品の宣伝は、
形を変え、経営者を変え、場所を変え、名前を変えて売り続けられ
ると思います。
 多くの商人と話す機会がありますが、原価が二十パーセントであ
ることを、盗人と商人の分岐点として私は考えます。
 不労所得は原則として、盗みと考えます。極端な言い方をすれば、
利息は全て盗まれたものと盗んだ人との関係で存在していると思っ
ていますが、適正な利息の水準が存在するとは思えません。
 運用することによって利息がついて増えたり、元本を割ったりす
る性質は盗んだり盗まれたりするような関係に思われてなりません。
 経済社会は盗人社会と同然であり、一国の経済の発展は、他国の
財物を盗んだ結果のように思えてならないのです。

 貨幣の社会は現実ですから、否定することができません。しかし、
私は百年前の一円金貨や一ドル金貨を知っています。現在の一円や
一ドルの硬貨と比較して、その違う理由を説明できません。
 下落した価値は、誰が盗んだのか想像できませんが、国家と経済
の仕組みに関わる人だと想像しますが、難しくて理解できません。

 国家や地方自治体を支配するのは多分、政治家と公務員と企業で
はないかと思います。
 政治家は公約を掲げて、所属政党を示して立候補するのが普通で
すが、解党したり新党を結成したりすることは、これは票盗人、あ
るいは大衆の心を盗むことと同じだと思います。
 お世話になった人や団体に謝礼をするのは大切なことです。この
際、政治家に対して何かを依頼し相応の謝礼をすることは当然のこ
とと法律を改めることはできないものだろうかと考えます。
  選挙の際に票が買えると貧しい人には何がしかのお金が手に入り
ます。財力がある人が当選できることは必ずしも悪いこととは思い
ません。お金を貯めるためには質素倹約とか、商才とか、さまざま
な優れた能力や辛抱が必要です。
 屈辱に耐えうる人が、政治をすれば活性化し、投票率が高まるか
もしれません。

この原稿は、かなりな皮肉と逆説的な発想で書いています。
 私は私自身の行動や僧侶としての在り方が前述したことに照らし
合わせれば盗人そのものであることを自覚しています。
 他人のものを正当な理由無く受け取らないないように注意したい
と自戒しています。私も含めて多くの僧侶は破戒しています。

 その慙愧(ざんき)の念から出発することが、不偸盗の戒に忠実で
あると思いますが、あまりにも深く思い詰めると、人間全部が盗人
になりかねません。
 不偸盗の戒は、前向きに検討する課題としてもちたいと願います。
 反対給付を期待しないで、他人親切にして上げることができれば、
それで人間として許されると思います。盗むと発覚すれば社会的に
糾弾され制裁を受けます。
 この世で地獄を見ないためには盗まないことが大切です。

※泥棒の代表は、国家かも知れない、政治家も泥棒(嘘つきは泥棒
の始まり)、官僚は小盗人、でないことを期待します。公務員倫理
規定ができるそうですが、遅いですね。嘘つくな、賄賂もらうな、
誤魔化すな、横柄になるな、さぼるな、親切にしろ、悪いことはす
るな。これだけのことを規定するのか、阿呆。

※商人か盗人の分かれ目は、原価が二十%以下であれば盗人、それ
以上なら清浄な商人と思っている。流通経路が複雑で不用な組織や
関係者が多過ぎて、その上五%の消費税。これでは国民は盗人の中
で暮らしているようなもの。

※税金も必要、適正利益も必要--。名目をどのように変えようと、
盗人として、最低の倫理と少しばかりの慈悲をもってもらいたいも
のだ。頭脳の優秀な一握りの運の良い人があぐらをかいて、一般国
民を奴隷の如く扱っている国家。

※経済構造と言えば恰好がよいが、簡略に言えば盗人社会。と言え
ば僧侶も盗人の一員かもしれない、受験戦争と小家族化と、甘えと
責任転嫁で、国民全員が盗人のようになった。盗まない、盗まれな
いようにするには石ころにでもなるしかないが、石ころもいつの間
にか持ち去られる世の中になっていますね。



		
 検察の捜査は万民平等で聖域を認めていない    その努力は称賛に値するが影響が大変に心配 *大蔵省が八十人の捜査員によって家宅捜査を受けたそうですが、 最近の検察の意気込みは凄いものです。日本の省庁の中心であると 畏怖され、尊敬されていた人たちの犯罪が解明されようとしていま す。一九五四年に起った与党に対する造船業界の贈収賄事件のよう に、法相の指揮権発動により捜査が打ち切られた造船疑獄のように 真相が解明されないままで終わることは無さそうです。  国家の基盤ともいうべき金融機関を監督すべき立場の、大蔵省の 職員が逮捕されたり、国会開会中の現役の国会議員の逮捕許諾が請 求されたり、その議員が自殺をしたして国の信用が揺らいでいます。  日本には死んで無実を証明するという考え方がありました。生き 恥を晒したく無いという考え方もあります。  そして、従来であれば、被疑者が自殺したりすると、ともすれば 事件追求が尻すぼみになると思われてきたものです。  三十兆円もの資金を、贈賄で取調べを受けている金融機関を含め て差し上げるような緊急事態ですから、法相の指揮権発動はなされ ないと思います。  巷には何処の銀行が危ない、あそこの信用組合は潰れると、噂が 流れて、金融機関不安説は一人歩きをしています。  大手証券会社である山一証券が廃業しました。このような経済危 機を私は初めて経験します。  金融ビッグバンとかいう事態を迎えるのだそうですが、庶民は大 変です。自衛のために、金庫を自宅に備えつけて、貯金をおろして 現金化し、自分自身で保管している人を沢山知っています。  これでも日本は未だ良い方で、アジア諸国の経済的な秩序は大変 に混乱しています。  その影響は世界的な傾向があります。オーストラリアの大学は学 生の大半がアジア人です。ところが学生が母国の通貨の下落で生活 が苦しい、大学は存亡の危機に瀕しています。  のみならず、観光産業などは致命的な打撃を受けて、飛行機のア ジア向け直行便がガラガラで運行が次々と中止されています。  金融証券の自由化やいろいろな規制の撤廃は、時の流れで避けて 通れないそうですが、これから先がどうなるか予測できません。  行政改革も遅々として、進む様子が見えません。お隣の中国では 公務員の半減とか省庁の統合などを大胆に打ち出してきました。  これも実行できるか否か疑問に思われます。実行できても、その 後については、どのような社会になるか予測がつきません。  世界人口の五人に一人は中国人で、そのような意味では、中国の 動向には相当に注意を払う必要があります。警戒するという意味で はなくて成功を祈りたいものです。  信徒さんの幸せな生き方を助言する立場にある私は、将来に見通 しがつきません。助言ができないことを残念に思います。  ただ一つ言えることは、サラリーマンは「月給泥棒」と言われな いように誠実に生きることが、これからの課題だと思います。  盗まない、盗人と言われないことは、深く考えると大変なことだ と思います。  自分自身が過去を振り返って盗みをしたことが無いと言える人は 立派ですが、在りえぬことですから嘘つきです。  仮に親の愛情を一身に集めて育てられた人が、親の老後の面倒を みないことは盗みに等しいことと思います。  この世は親馬鹿に満ちていますが本当の意味で親の望むような子 供は存在しませんし、子供の期待に添える親もいません。  肉親とは言え、互いに人格が異なり、影響はありますが、子供は 親のコピーではありません。親が子供のコピーであることは不可能 なことです。  親子関係は、虚偽と盗みに満ちた関係でもあります。子供の能力 を親の思う方へ向けたいと願うことは愛情とも言えますし、子供の 人格を盗むことかも知れません。  絶対に盗まないこと、息が詰まりませんか、できれば文章に表せ ない私の真意を汲み取ってもらいたいと願います。清廉潔白が盗み の反対語と受け止めてもらうと、救いが無くなります。  私は、そのように人間は強い精神を持てないと思います。全ての 人を盗人と決めつけたくありません。  私自身も盗人と言われたら良い気持ちはしません。盗みの反対語 は誠実とか、親切とか、あたたかい心と思いたいのです。  私は心に淫らな気持ちをもつことが姦淫と同じとは思いません。 実行に及ばないのは、理性とか良心があることと妥協します。  欲しいと思ったことが、盗むことと同じとは思いません。日本人 は「盗み」という言葉を、奇妙に使い分ける繊細さをもっています。  何かの技術の習得のために弟子入りした者が、技術者から技能に ついて中々教えてもらえない場合があります。苦労して得た技能を 簡単に公開することは矛盾があります。特に日本人は知的所有権に ついては鈍感な傾向があります。  このような環境の中で、師匠は弟子に「技能を盗め」ということ があり、あるいは固く禁じる人たちもいて、その何方が適切か判断 しかねる場合が少なくありません。  日本には特別な技能をもつ職人が少なくありません。多くの精密 さを必要とする技術が職人の手作業でなされています。  宇宙に打ち上げるロケットの先端部分は、職人の手作業によって 作られています。数万トンもある船舶の巨大なスクリューとシャフ トの磨り合わせも手作業です。  これらの技術は先輩の仕事ぶりを見て、長時間掛けて盗むことに よって伝承されて来ました。  この場合の盗みは、習練とか学習と置き換えることができます。 盗みについての熟語が膨大なもので、換言すれば、日本人は盗みに ついて相当神経質であったことが理解できます。  盗み足、盗み聞き、盗み食い、盗竹、盗み鳥、盗み撮り、盗み見、 盗み読み、盗掘、盗作、盗人上戸、盗人宿、盗人連歌、盗人算、 盗難、盗聴、盗電、盗伐、盗癖、など。  そして、盗んだことが発覚すると、白い目で見る、刑罰を課す、 疎外するという方法で、してはならないことと教育してきたのです が、最近の風潮は発覚しなければ良い、場合によっては、盗んだこ とが発覚しなければ幸運と思う人までいて、どのように考えましょ うか。 ※盗人社会は長続きする筈も無い。お役所や金融機関や企業に捜査 のメスが入れられて膿が噴出している。一世を謳歌したバブル経済 がはじけて、今度は不況が停滞。あちこちに飛び火してさまざまな 企業が歪んでいる。行政改革は進まない、自分で自分の首を絞める ような政治家や官僚がいるだろうか。 ※何処までが良識ある生き方か、何処から道に外れて盗人になるか、 それを決めるのは、個人個人の倫理観によります。他人は騙せても、 自分の良心は偽れない。どこらあたりに基準をおいて生きて行くか が大切な課題てすね。 ※運が悪い人が発覚して、運が良ければ善人面して石を投げること ができる。盗むことがいけないので、面沙汰になるか、内緒で済む かということに関心が集まるようでは世も末ですが、この風潮はい けないと考えています。 ※いろいろな物が欲しい、それを我慢し、辛抱できれば、盗む行為 は起きません。盗みは小さなことから始まって、やがて盗癖となり ます。一度知ると忘れられない甘い盗泉の味。  子供のころからの教育と友人関係や人間関係を、慎重に選択した いものです。類は類をもって集まるのは、盗人の人間関係です。                  −月刊観自在98.4月号-2より−

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