不殺生,手抜き工事,手入れ,人間関係を育む,孤独,自然の荒廃,
鈴の 法話 (3月号-3)

手抜き工事に、手抜き料理
     ついでに人間関係も手抜き?

             観音院 法主 鈴之僧正

 先の阪神大震災の際に、建物や高速道路の手抜き工事があちこち
で発覚しましたが、「手抜き」は人間関係を破壊するには決定的な
ことでしてはならないことです。
 建設工事の手抜きは、材料や骨格の誤魔化し、建設手順の省略な
どですが、それは酷いものです。

 私の友人は、千平方メートルの鉄筋コンクリートの建物を発注
し、工事の過程を観察し、受領しました。一流ゼネコンにも関わ
らず五十カ所以上の無数の手抜き工事を発見し、慄然としました。
 彼の手許に下請け業者が手抜きをした詫び状を文書で入れていて、
その文書は保存されています。
 日本では毎年のように手抜き談合が見つかり、国民は多くの業者
に強い不信感を持っています。
 彼は発注に際して五千万円の値引きを提示されましたが、反対に
五千万円を余分に支払うので丁寧に建設するよう依頼しました。
 業者の支店長は彼の友人でもあり、設計監督は親しい友人で、そ
の中で起きた手抜き工事です。
 彼は受領に際して天井裏や床下に入り、電気工事の配線まで点検
しました。
 明確に言えば、目に見えないところは最大限に手抜きがしてあり
ました。もちろん回復工事はなされましたが、その工事は半年に及
び、業者にとって手抜きで得られた以上の経費が必要であったこと
は容易に想像が出来ます。

 最近になって、彼は日本は「手抜き社会」であることを、痛烈に
思い知らされました。建築後十年して梁が一本抜けていて、板張り
で形を作り、その上に壁紙が張られているのを発見したのです。
 彼は、たまたま若干の建築に関する知識があり、公共的色彩の強
い用途に供する目的で建築したものであり、彼の責任感で調査した
結果です。家やビルなどを建てられる方なら何方でも見つかる程度
のことで特別な手抜きでは無く普通のことだと推定します。
 設計図に書いてあるダクトが見えないところでは全く無かったり、
「危険だ!触るな!」と警告文が張ってある配電盤の中身が空だっ
たりして、腹立たしいよりは呆(あき)れたそうです。


 設計図通り建設されたことを
        証明する会社と制度が必要

 日本では建築物が設計図通りに工事がなされていることを証明す
る制度が必要だと思いますし、それは商売になるでしょう。
 ところで、手抜きが生じた原因は、下請けから下請けへと仕事が
流されている内に、その都度、利益が搾取(さくしゅ)され、最後の
業者は発注価格や見積もり価格より遙かに低い金額で仕事が移動し
て行きます。
 発注代金の半分近い金額で請け合っている例もありました。そし
て、仕事を取りさえすれば良いのが営業の仕事、下請けに回す費用
が一般管理費、安い工費で何とか遣り繰りするのが現場監督の仕事
であることに気付きました。
 それからは、立派な建物を見ると手抜きと談合の塊のように思え
てなりません。一流のゼネコンは似たような組織と考えています。

 建築主は工事の現場に再三足を運び、鉄筋の本数を数えて見るく
らいの注意力と不審に思うことは遠慮せずに聞いてみることです。


建物に大切なメンテナンス通路

 建物は、構造自体と付属構築物と配電排水、冷暖房設備などから
出来上がっています。これらは各々耐用年数が異なりますから、そ
れらを構造物に埋め込まない工夫が大切です。小さな建物であれば
外部から、大きな建物であればメンテナンス専用の通路を作ってお
くことが大切です。道路に電気や水道、排水、電話などの共同溝が
埋められる傾向がありますが、それと同じ発想が大切です。

 勾配がきわめて少なく、ほとんど水平な屋根を造り、屋上を運動
場や庭園などに利用するのは避けたいものです。雨漏りの原因にな
ります。もし、そのような計画でしたら、余程堅牢な防水工事をす
る必要はありますが、保証は精々十年くらいです。

 外部を塗装する場合は六年に一度は施工した方が望ましいようで
す。建物を建てられる時は管の横引きを少なく、水を使用する部分
を集中し、合わせて耐火耐震について設計士さんに十分に打合せを
して下さい。

 建築物を受け取る場合は、専門知識は必要ありません、天井裏や
床下に潜り、或いは水を流したりして、常識で徹底して調べてみま
しょう。

 観音院は、私自身が指示して三平方メートルに一個の割合で自動
消火器のボンペットを付けさせました。これで火事は一応安心です。
 非常用発電機も非常用水も、各々二回路にしています。非常階段
は常設三カ所、縄梯子は三カ所に用意しています。常に災害に強い
設備であることを心掛け、問題を提起して検討させています。


		
 手抜きが横行する日本社会       料理も育児も男女関係も手抜き  観音院は料理については、医師と保健所と双方の知識を借りてい ます。台所の担当は保健所や医師の講習を受けています。  台所では冷蔵庫は空け閉めに除菌アルコールを使用しています。 布巾は一度で使い捨てです。台所に食品や食器が放置してあること は絶対にありません。接待に出す食事は煮上がった物が原則です。  料理の担当者には千倍の顕微鏡の使い方を教え、同時に衛生思想 を高めるよう指導しています。  食中毒は出さないという決心が日常の手洗いなどに繋がります。  手抜き料理は、担当者の思いやりの無さから始まります。良い料 理を作るためには、材料の選択が大切です。次は料理を習う機会も 与えなければなりません。  料理を手抜きせずに作ってもらうためには、その他の日常の心掛 けも大切になります。台所や便所の掃除は上手な料理の第一歩です。  部屋の掃除も同じことで、良い料理を作るためには、台所や調理 用具の手入れも大切です。 手抜き」とは出来ること、当然になすべき義務があることなどを、 不当な利益を得ることを目標として意図的に簡略化し、それによっ て材料代や人件費を浮かせることです。ただ単に誤魔化しや怠惰に よる手抜きもあります。  手抜きは結果として、物を粗末にすることになり、経費の増大に 繋がります。結果として人間関係が悪くなります。このようなこと を総合して「殺生をする」と言います。  これは夫婦関係でも同様で、日本では夫婦の三組の内一組は離婚 しますが、手抜きと思いやりの無さが原因になっています。  手抜き工事は、業者の信用には致命的です。料理の手抜きは円満 な家族の離反に繋がります。夫婦関係の手抜きは不倫にから離婚に まで至ることがあります。子育ての手抜きは学校に迷惑を掛けるだ けに止まらず親は地獄に陥ちた思いをします。  手入れを良くすることは盆栽を育てることだではありません。  建設工事の際には、面倒がらずに再三現場に顔を出し、分からぬ ことは聞いてみることです。工事を依頼した人が、現場に再三顔を 出すと工事は引き締まります。自分で依頼したものは自分が監督す るくらいの気持ちが大切。  信頼して全部任せてしまうことは、手抜きです。本当に信頼でき ても更に信頼を深めるようにすることが良い結果を生みます。  自分の目で見て触って確かめて、結果を確認して、立派にできた ら誉めてあげるのが大切なことです。 不殺生」は、物を粗末にしないことです。徹底して大切にするこ とです。生かして使い切ることです。中途半端に大切にすることは 甘やかすのと同じことです。人も動物も物も甘やかすと、魔が差し たように暴走したり反逆したり裏切ったりします。このような状態 を「きれる」とか「むかつく」といいます。  一番良くない手抜きは        人間関係の手抜きです  孤独という感覚は人間関係の手抜きが原因で起きてくる心の動き で、不幸の最大の原因です。  子供がいないから、配偶者がいないから、兄弟姉妹がいないから 孤独と言うことは出来ません。親族一同が何百人といても孤独な人 は孤独です。  向こう三軒両隣と仲良く出来ないで、どうして親族と仲良く出来 ますか。もっとも最近では隣の人と交際するのが面倒だと言うよう な人が増えていますが、そのような人は自分で好んで孤独になって いるのですから仕方がありません。  老後は施設で面倒を見てもらうと言われますが、隣のベッドの人 とも言葉は交わしたくないと思っておられるのかもしれません。  同じ職場で十年続くような人がいますが、これは立派です。安定 した職場や住所が定まっていると人間的に信用が増します。  何処に居るか分からない、何をしているか分からない人は気の毒 な考え方です。  私は孤独を知っています。三十歳代に通算七年くらい放浪してい た時期があります。一人でじっくりと考えたかったので人間関係を 持ちませんでした。好んで山野を跋渉し、難しく言えば瞑想、易し く言えば色々と考えていました。  それでも、時には出会った人と会話をすることはありました。私 が言う孤独は、寒さと暗さと風雨に耐える単純なことでした。  その後は広島に住んでいますが、東京に出て来なさい、寺を建て て上げますと言う誘いがあります。  私にとって現在の場所が一番住みやすい場所です。知人に囲まれ て、来客が多くて、とても大切にしてもらい、不自由がありません。  東京や大阪なども、外国も度々行きますが、何方の都市でも、少 し田舎の方が好みです。  もっと極端な言い方をすれば、この寺が一番居心地良いのです。  人間関係にはいろいろあって、安心をもたらす人間関係、利益を もたらす人間関係、知識をもたらす人間関係などがあります。これ らは複合的な場合が普通で、逆な場合もあるようです。    人間関係は、夫婦親子兄弟姉妹というような濃いものから、同じ 電車に乗り合わせたような薄いものまで色々あります。濃い薄いに 関わらず、手抜きは不可(いけ)ません。何処(どこ)で再会するか予 測が付きません。  一番困るのは、片思いの人間関係で、これは鬱陶しいものです。 無関心の同居、押しつけの人間関係など、辛抱も度を過ごすと怒り に変化して来ます。  分かり易く説明すれば、用事が済んだのに中々帰らないお客さま のことです。場が白ける、沈黙の中で居座ることが出来る人は世間 から除外されることが多いようです。  どうしても成立しない人間関係は、約束が無い、約束が守られな い人間関係です。これは壊れる人間関係です。求めてはなりません。  人間関係で過去になされた不実行為は、将来に向けて償うことは 殆ど不可能です。手抜きによる人間関係で親子のように関係を断ち がたいものは大変な苦しみを味会うことになります。  特に幼児期、六歳くらいまでの手抜きの育児は弊害が生涯に及ぶ ことがあります。生涯のみならず次の世代に向けて引き継がれるこ とも珍しくありません。  三子の魂、百までと言う諺がありますが、この百年の期間に普通 は三代の世代交替があり、一人の親の躾の悪さは、以後百年間にも わたり悪影響を与えます。  現在、青少年の残虐な非行が頻発していますが、この遠因は五十 年前にあります。今、これを改めようとしても、今後五十年は社会 は病み続けるでありましょう。  教育は山や川や海を大切にすることと全く同じです。一端荒れた 山は、植林し、下枝を切り、手入れしても回復するのは、早くても 五十年後になります。  川も海も同じです、山が荒れれば川も海も荒れます。この環境の 中に住む人間は相当に心を入れ替える必要があります。  日本の林業は輸入材に押され、大気の汚染で傷つけられ、従業者 は激減し、技術は失われつつあります。世界は無秩序な焼き畑農業 によって大気は汚染され大地は裸になりつつあります。  物事が上手く行かない場合、環境が悪くなる場合、周囲の人々が 冷たい場合、物事が裏目裏目と出る場合は手入れを怠ったからです。  少々の反省くらいでは駄目で、相当な改善の努力が必要で、且つ 時間も費用も掛かるものです。解決は責任を他人に転嫁しないで、 自分が将来に向かって何をすれば良いか考えて、覚悟を決めて努力 することです。そのように実行することが出来れば希望が持てると 思います。 どうしようも無い人間関係と          何とか出来る人間関係がある  人と人の触れ合いは、全てが思うようになるものではありません。  私は性善説で人に接しますが、最初から騙すつもりで、近づいて 来る人も残念ですがいます。嘘を言う人も多く、約束を破る人など、 珍しくもありません。  親切にしても、それを逆手に取る人もあります。思いやりを強要 する人もあります。見え透いた詐欺を掛けてくる人もあります。  一人なら許せるのですが、組織的にこのような目的で出入りする 人たちもいます。  しかし、私は性善説は絶対に捨てません。私の出来る能力の範囲 内なら、相手の申し出に沿って話を聞いて、要求に応じて上げます。  何という馬鹿な話、見え透いた嘘を言うといった態度はとりませ ん。相手の立場があるからです。  但し、世間の皆さんは、私と同じ態度を取られると危険です。  私には監事が付いていて、三万円以上は勝手に支出出来ません。 会話の席でも常に監事が同席していて、許容限度が明確に定めてあ るからです。  金銭で済むことが大半ですが、人間関係とか、紹介などについて は監事が同意しない限り一人で行動することはありません。住職も 私と同じ立場です。  それでも被害を受けることがありますが、その時は「このような 災難も、ご縁の内」と気にしないことにしています。  一番困るのは共同行為で、相談の上で始めた事を、約束に反して 相手が異なることをする時です。  これも仕方が無いことだと思います。人には各々事情もあり環境 も変化して当然です。  ただ、私が税務署や警察から取調べを受けるようなことは最大限 防ぐことができます。  求めてはならない人間関係があります。誠意を尽くしても裏切ら れる、約束は破る、嘘はつく、法律を平気で破る、公序良俗を守ら ない、古いことをいつまでもぐちぐち言う。被害妄想が強い。この ような場合は、多少自分に責任があっても、肉親であっても、残念 ですが人間関係は成立しないものです。  誠意を尽くせば分かってくれる、自分の力で何とかしてやりたい。 あたたかい心に似た思い上がりです。救われない者を救おうとする と無理が起きます。傷つかないうちに、思い切ることが大切です。 人を全て幸せにできない。  人間関係が成立しないものを、片思いで成立させようと願っては なりません。必要以上の思い入れは、相手にとって凶器と同じこと です。早めに見極めをつけて、駄目なものは諦めることです。人間 の精神は弱いものなのです。  多くを期待すると、必ず裏切られます。各個人の考え方や能力や 価値判断には、厳然として相違や差があります。仲良くすることは これらが比較的近い時や全く相反していて補完している場合です。 その上に人は日々成長し、あるいは衰えます。どこかで固定して、 その評価を持ちつづけることは不可能です。                  −月刊観自在98.03月号-3より−

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