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激しい怒り・恨み、憎しみは、心に良くない----1998年10月  何で人は、怒り、恨み、憎むのであろうか。辛いだろうに。  どうして人は他人を怒らせるようなことをしたり、恨まれるよう なことをしたり、憎まれるようなことをするのだろうか。  物事が約束通りなされない、期待通りにならない、そのようなこ とで「むらむらっ」ときている人は最近では少なくなったようだ。  不条理に扱われる、不平等に扱われる、このように扱われた時は 腹を立てるべきかもしれない。  他人が期待通りに活躍してくれない場合も切(せつ)ない。切な いのを通り越すと、応援を止めてしまう。  今年の天候のように、梅雨明けがなかったり、集中豪雨などに見 舞われると、天を仰いで泣きたいような気持ちにもなる。  交通事故などで最愛の人を失ったりすると加害者を恨み、車社会 を呪いたくもなる。  最近では本来の不条理を正す方向ではなくて、小さな事でキレれ る子供や大人が増える傾向にある。  キレるというのは多分「辛抱の限界」に達して、思慮分別を忘れ て突発的な行動をとることだろうと察している。  辛抱の限界には個人差があり、突発的な行動が破壊的であると、 社会から強く非難される。  他人さまに期待しない、欲望を小さく、足ることを知ると、心が 安定する。社会規範を踏み外さないようにすることも大切に思う。  さりとて、これでは進歩とか繁盛とか名声には繋がらない。  ほどほどの塩梅(あんばい)が大切だと思うが、どうすれば怒ら ない、恨まない、憎まない日々を送れるか難しいところだ。  泰然自若(たいぜんじじゃく)として、何が起きても騒がない、 慌てない、そのような日々を送りたい。 塩梅(あんばい) 「塩梅」( アンバイ) はエンバイの転で、本来、別系統の語である が、混同して用いられいる。塩と梅酢で調味すること。料理の味加 減を調えること。物事のほどあいや加減。ほどよく並べたり、ほど よく処理したりすることを昔は「塩梅」といっていた。
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