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無目的でなく、目的をもって確かに生きる----  1998年09月  春秋になぜ彼岸(ひがん)があるか考えてみたい。  太陽が真東に出て、真西に沈む日だから、この日、阿弥陀如来の まします西方極楽浄土を偲んで、お念佛を唱えれば極楽往生間違い なしなんて思っておられたら、多分その通りになるだろう。  彼岸(ひがん)は此岸(しがん)の対語である。此岸は現在と受 けとめ、彼岸は将来の望ましい姿と考えたい。  人間は何かをしたいと決心し、目的をもったとしても忘れたり、 覚えていても怠惰になりやすい性質があるから、春秋の彼岸の中日 の二回、何のために生きているか考えてみることは良いことだ。  その上で、できることなら、彼岸に考えることは、世のため人の ために役立つ何かであれば素晴らしいことだ。  最近、何をして良いか分からない人や、何もしたくない人が増え てきて、家族を困らせている。  仕事が嫌いで、人間が信じれないで、自分が無目的になったのは 親兄弟の責任というのが特徴である。極めてわがままな人が多い。  実際のところは、甘やかされて育てられて、大学でも出て、仕事 を与えられて、見習い的な仕事もできない程に怠惰で、根気が続か ずに、頭の程度も悪いのだが、それを棚に上げて、逃避を計画し、 昔のことをぐだぐだと言って困らせる。  多くの場合、能力が小さいことと、努力する心がないことが諸悪 の根源だが、放置すると食欲がなくなり、心臓が不規則に鼓動し、 身体的不調をうったえる。  夜更かしをして、昼は呆っとしている。時には死にたいと言い、 本当に死ぬこともある。  秋の彼岸に際して目的をどうすれば持たすことできるか、真剣に 考えてみたいもの。 「目標をもって生きる」  最近、二十五、六才くらいから、何をしても面白くない、何もし たくない、死んでもよい、と言うような人が増えているようです。 世の中が複雑になったことに関係がありそうですが、放置もできま せん。話し合って、生き方を見つけたいものだと願います。
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