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佛教談義(ぶっきょうだんぎ)その二十四 慈雲尊者と「十善法語」   ご隠居 以前、十善戒(じゅうぜんかい)の話をしたとき、慈雲尊 者という人についてほんの少しふれたと思うが、今回は、その慈雲 尊者の著述した「十善法語」を、もうすこし詳しく見ることにしよ うかな。 寅さん その人は、たしか----人の人たる道は十善にある----と説 かれたという、江戸時代の偉いお坊さんでしたね? ご隠居 ほほう、よく憶えていたな。慈雲尊者〔一七一八ー一八〇 四〕の偉大さは、宗派の垣根を超えたところにある。  自分の信仰する宗派がすぐれているとか、それにくらべて他宗が 劣っているとか、そんなことにこだわっても、信仰の何のたしにも ならない。  それはお釈迦様が生きていらっしゃる頃、宗派など無かったこと を考えてみればよく分かる、と説き、まっすぐ純粋にお釈迦様その 人の心のなかへ入ってゆこうとしたことだ。  このような超宗派的ともいえる慈雲尊者の考え方は、ある意味で 聖徳太子の教えにも通じるところがある。  そんな慈雲さんの純粋な求道心(ぐどうしん)、けだかく衆にす ぐれている見識、広い学識が、当時の人々に非常な感化を与え、い つしか慈雲さんは尊者と呼ばれるようになったというわけだ。  幕末維新、剣道の達人といわれた山岡鉄舟も、慈雲さんを「今釈 迦」とたたえて大変尊敬したということだし、また大内青巒居士と いう人は、慈雲尊者の十善法語を次のように評している。大略する と、「近頃、世にもてはやされている十善法語を書いた慈雲尊者は 唐代宋代以後の人の説など、おおむね取るにたりないとし、十善法 語に引用する諸書佛典は、主として経律によっており、馬鳴(めみ ょう・本名アシュヴァゴーシャ。竜樹以前の大乗佛教の思想家)、 竜樹(りゅうじゅ・本名ナーガールジュナ。西暦一五〇年ころ南イ ンドに生まれ、大智度論を著す)あたりの説は時々引用するが、中 国僧の説を引用することはほとんどない。  また、一般の書籍においても左国史漢〔春秋左氏伝(さしでん) ・魯(ろ)の左丘明が書いた「春秋」の注釈書、そして司馬遷(し ばせん)の「史記」、班固(はんこ)の「漢書」のこと〕のような ちゃんとした歴史書は尊重するが、そうでない書物については、あま り重きをおいていない。  このように十善法語に説かれている内容をみると、宗派の臭気が つゆばかりもなく、ただちに佛法を丸はだかにして見る心地がする あれこれ、いろんなことが書かれている雑書を読むよりも、このよ うな優れた書を何度も熟読したいものである」とな。 十善法語にみる断常二見 寅さん では、十善法語のさわりのところを話してください。 ご隠居 歌や芝居ではあるまいしさわりというやつがあるか。  慈雲尊者は十善法語でこうおっしゃっている。 「ひとくちに邪見(じゃけん・よこしまな考え)といってもいろい ろあるが、要するに邪見のおこるもとは「断」と「常」、この二つ の見解にすぎない。 「断見」にもいろいろある。まず、善をなしても善の報いがなく、 悪をなしたとしても悪の報いがない。  神というもの、ほとけというものを実際に目で見ることができな ければ、これを無いものと、簡単に思い込むことを断見という。  また、「常見」もいろいろあるが、とりあえず、人間は常に人間 となり、犬や猫は常に犬、猫となる。  人間が犬や猫に生まれ変わる道理がなく、犬や猫、また蝶や蟻の たぐいが人間になる道理のあるはずがない、などと思い込むことを 常見という。  この断常の二見に対して、正知見(しょうちけん)というのは非 常に深い意味合いが含まれているが、とりあえずはこうじゃ。  佛菩薩も現実におあします。むろん賢人聖者も世間にいれば、天 の神、地の神も、肉眼でこそ見えないけれども、ちゃんといらっしゃ る。善いおこないをすれば、はっきりとそのことの報いがあり、悪 いことをすれば、これまた、たちまちにして悪の報いを受ける。  このことを信じることができるならば、この不邪見戒は全(まっ た)きじゃ」 寅さん 待ってください。その、「不邪見戒はまったきじゃ」、と は、どういう意味です? ご隠居 不邪見----つまり、よこしまな考えはいけないよ、という 戒律をよく理解し守ったということだ。 寅さん では、慈雲尊者のいう邪見のうち、断見というのは簡単に いうと どういうことです? ご隠居 慈雲尊者の言われているこの場合の断見の意味は、神佛の 存在を信じることなく、だから誰はばかることなく、自分勝手にや りたい放題をしながら生きている人間のことと思ってよいだろう。 寅さん では、常見は? ご隠居 前世も来世も信じず、したがって因果(いんが)応報(お うほう)も信じず、人間が六道の世界など輪廻(りんね)するはず がないと考えていることだ。  十善法語の本文に戻る。「この邪見の罪の軽くない道理を、まず よく肝に銘じておくことである。  一般的におしなべて、普通の人を凡夫(ぼんぷ)という。我々は、 生まれた朝から夕べに死すまで、たいていの人はこの凡夫のままで 一生を送る。  人間は身体に五官という感覚器官をそなえている。そして五官の 働きによって良いこと、悪いことなど、さまざまな事柄が伝わって、 香りや味覚を感じたり、あるいは心が動いて喜んだり、ふさぎこん だり、苦しんだり、楽しんだりして、満足し、あるいは思いどおり にいかなくて不平たらたらといったことが起こるのである。  ここで問題なのは心の動きだ。 自分が満足したとする。すると、さらにもっと満足したいといった 欲深いむさぼりが生じたり、反対に、心に叶(かな)わぬいらいら した気分に、怒りと憎しみが生じる。  つまりこれらは、自分の気持ちに反して、思うようにいかなかっ たら、そのことを他人のせいにしたり、人を羨(うらや)み、 妬(ねた)んだり、また、他人にくらべて自分のほうがずっとすぐ れているのに不公平だといった自尊心のやりばに、どうしようもな くなる気持ちのことだ。  左氏伝にも、血の気の多い者は必ず相争う、とあり、これらを 貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、愚痴(ぐち)、驕慢(きょう まん)、などという。  このようなことは誰が教えたということではなく、生まれたとき すでに心身にぴったり寄り添うようについた煩悩なので、これを 「倶生(くしょう)の惑」という。  この煩悩の落ち着き場所としてどこが最もふさわしいかをめぐっ て、生死(しょうじ)輪廻(りなね)を繰り返し、人間界だの天上 界などに生まれ変わることになるのである。  考えてみれば嘆かわしいことではあるが、これが一切凡夫のごく 当たり前の心の動きとも言えるので、まず悪趣(あくしゅ=悪いお こないをした人々が死後落ちていかねばならない苦悩の世界)には 堕(お)ちぬ、ということじゃ」 倶生の惑と分別起の惑 寅さん 「倶生の惑(わく)」をもっと具体的に話してください。 ご隠居 簡単にいうと、人間が生まれながらにそなわっている迷い のことだ。 「そして人間が生まれてのち、だんだん成長するにつれて知恵がつ き、たとえば、よこしまな考え方をする師に従って、その邪法を受 けたり、あるいは自分自身のよこしまな考え方で都合良く判断して 断常の二見をおこし、極端な者にいたっては、殺生や偸盗(ちゅう とう)をしてどこが悪いか、と思うようになったり、父母や師僧の 教えにそむくこととなる。  神も佛も恐れはばかることなく、聖人、賢者をもないがしろにする ようになる。因果(いんが)も信じず、人がおこなうべき道理も義 理も廃するようになる。  これは、人間が生まれながらにそなえている迷い----倶生の惑と ちがい、成長する段階で身につけた煩悩なので、これを分別起(ふ んべつき)の惑という。この種の者が悪趣に堕す、ということじゃ。  この倶生の惑と、分別起の惑に差別のあることを考えれば、いか に邪見というものが恐ろしいものかを思い知るだろう。  我々人間は、普段から日々の暮らしによって、また、佛法の教え にしたがって、これらの邪見を遠ざけることが、こんにち説くとこ ろの戒めの実相じゃ」と、慈雲尊者は十善法語で説かれているな。  このように、倶生の惑もむろん恐いものであることにちがいない が、それより注意しなければいけないのは分別起の惑だ。いわゆる 断常二見は、すべてこの分別起の惑から起こる。この世の見・思の 煩悩にしてもそうだ。 寅さん 見思の煩悩? ご隠居 「見」とはつまり分別のことだ。自分の卑小さ、程度の低 さに引き比べ、はるか彼方にそびえる法の世界の近寄りがたさに反 発して、さまざまな邪見を起こすことをいう。 寅さん では、「思」とは? ご隠居 この思とは妄想のことだ。  人間の感覚器官が、その対象に対してつよく執着することだな。  これらの見・思は、必ずしも迷いのもとであるとは言えないが、 私たち一般人の見・思は、たいていの場合、迷いとなることをまぬ がれ得ず、理性をくもらし、感情の乱れるもととなるから、私たち にとって一つも益にならない。  それは善悪の因果(いんが)を信じず、神佛の存在を信じないか ら、日常において悪いことを平然として全く反省なく、来世におい て悪趣(あくしゅ)に堕ちて無限の苦しみを受ける。したがって世 の中を害し、人心を害することになるのである。  十善戒は私たち佛教徒の日常生活の基準となるものである。そし て今の社会の状況に即して現代語で分かりやすく解説しておられる のが観音院の鈴之僧正だ。   尼僧が四恩のために作った佛の絵の不思議な話                  「日本霊異記」より  河内の国若江郡弓削村に、精進一途な一人の尼僧がいた。  やがて尼僧は、大和の国生駒郡平郡(へぐり)の山寺に移り住ん だ。そして近郷の信者を集めて講(こう)を結成して、四恩(しお ん=父母、国、衆生、三宝の四つの恩恵)のために、佛の絵を作る ことにした。  その絵のなかには六道(ろくどう=一切の生き物がそれぞれの業 因によって至り住むところ)も描かれていた。できあがった絵を講 中のみんなで供養したあと、その山寺に安置することにした。  さて、尼僧が所用のため、しばらく寺を留守にしたときのことで ある。その間に、信者たちで作った大切な絵が人の手によって盗ま れたのか、紛失したのである。  尼僧をはじめ信者たちは、心ない盗人の行為に嘆き悲しんで、八 方手を尽くして捜し求めたが、ついに絵は見つからずじまいだった。  尼僧は、それでも彼女を中心に信者たちの講はそのまま存続する こととし、ある日、生き物たちを自然に放つ放生(ほうじょう)を 思いたって、講中で難波まで足を伸ばすことにした。  難波の、大勢の人でにぎわう市(いち)をまわって帰る道すがら ふと見上げた樹上に、竹で編んだ背負い箱がぶら下がっていた。  何やら箱の中から、さまざまな生き物の啼(な)き声がする。こ れはきっと中に生き物がいるにちがいない。それならば、代価を払 って手に入れ、生き物を放してやりましょうと、箱の持ち主が現れ るのを待つことにした。  ほどなくしてやって来た持ち主に、「この箱の中から生き物の声 を聞いたので、私はこれを買おうと思って、あなたを待っていた。 これを売ってください。お幾ら」 すると持ち主が首を横に振って 「いいや、この箱の中にそんな生き物などいやしません」 と、懸命に否定する。  こうして二人が、しばらく押し問答していると、市の辻にたたず んで両者のやりとりを見物していた人々が相談して、 「箱の持ち主がそんなに言うのなら、いっそのこと、その箱の中を 開けて、この場に居合わせたみんなに見てもらうのが上策というも のではないか」ということになった。それを聞いたとたん、悪事が 発覚し、言い逃れはできないと観念(かんねん)したのだろう。持 ち主は後も見ず一目散に逃げ出したのである。  こわごわ箱を開けてみると、これは一体どういうことだ。  山寺で紛失したまま、行き方知れずの、あの大事な大事な佛の絵 がそこに収まっていたのである。  尼僧と信者たちは、ともに手を取り合って小躍りし、涙を流して 喜び合った。 「私たちはこの大切な絵を失って以来、昼となく夜となく、その所 在が気にかかって仕方がなかったけど、いま、佛(ほとけ)様のお 導きによって奇蹟的な再会を果たすことができました。こんな嬉し いことはありません」  難波の人々もその噂を耳にして尼僧たちの厚い信心を褒めたたえ たということである。  絵は、尼僧たちと元の山寺に帰り、道俗すべての篤い信仰の対象 として、熱心に拝まれたという。  これも奇異な話ではある。
第二十三話第二十五話Kanjizai index

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