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佛教談義(ぶっきょうだんぎ)その二十ニ 大乗と小乗 ご隠居 今回は大乗と小乗について語られた、ある老師の話を紹介 してみよう。  今から約二千五百年前の二月十五日夜、お釈迦様が、まさに涅槃 (ねはん)に入られる間際に説かれたご遺言がある。これを遺教経 (ゆいきょうぎょう)という。  この遺教経については、昔から大乗経か、それとも小乗経かとい うことでいろいろ議論があったが、馬鳴尊者(めみょう)は大乗経 であると言われた。 寅さん 誰です、その人は? ご隠居 二世紀ごろのインドの佛教詩人で、佛教文学「佛所行讃」 を著し「大乗起信論(きしんろん)」の著者といわれた。  人間の根源は「ほとけ」であって人間は無限の佛心(ぶっしん) を蔵しているという思想、−−−−つまり如来蔵思想をうたいあげ、 大いに人生を肯定した。自分が佛であるという思想ほど人間を力づ けるものはないからな。  一方、天台大師智覬(ちぎ)などは小乗だとされている。  そこで、この遺教経をその老師はどうみられているか、というこ とだが−−−−。  そもそも佛がこの世に出現され私たちを教化(きょうけ)される のは、つづまるところ生死(しょうじ)の一大事を決定(けつじょ う)して、佛と同じ知見(さとり)に開示悟入(かいじごにゅう)さ せるためにほかならない。  言葉をかえて言えば、生死を出離(しゅつり)して涅槃(ねはん) を証得させる------、つまり迷いを離れて悟りをひらくことにある。  ところが、そういった方向に教化しようとしても、人それぞれ機根 (きこん)------佛の教えにこたえる力に違いがあるから、その人 の能力に合うように教え導く必要がある。そこで佛は、大乗、小乗、 権実(ごんじつ)、頓漸(とんぜん)などと、教え方をいろいろ工 夫された。 寅さん なんですか、それは? ご隠居 権は権教(ごんきょう)のことで、大乗を実教というのに 対して、権教は我々のために、方便を設けて、かり(権)に説かれ た教えのことだ。そして頓漸とは、すみやかに、また、だんだんに という意味だ。要するに、これらはすべて大乗と小乗の二つの意味 に集約されている。  では、この大乗と小乗をどのように区別するかというと、大乗と は、佛教の目的を説きあかした理論であり、小乗は、その目的を達 するための実際的な方法であると考えてよいだろう。  あるとき、お釈迦様は伽耶(ガヤ)城の菩提樹の下で、暁天(ぎ ょうてん)の星がきらきらと輝いているのをご覧になって豁然(か つぜん)として宇宙の真理をお悟りになった。そして二十一日間、 悟り得られた真理の精妙さ、おもしろさをお一人で心ゆくまで思惟 (しい)されたそうだ。それがすなわち「華厳経」で、このお経の 中には、佛教の最大目的であるところの理想が、ことごとく説きつ くされている。したがって昔の人は、佛の富貴を知りたいなら、華 厳経を読みなさい、といったそうで、この経典は宝の蔵にのように 譬えられていたようだ。  しかし、いくら宝の蔵を開放し中の宝を好き勝手に取ってよろし いといわれても、その心得のないわれわれ衆生にとっては、換金の 方法を知らない子どもが株券を所持しているように、宝の持ち腐れ でどうしようもない。  われわれ衆生を迷いから離れさせ、さとりへ導くには、やはり修 行の方法をちゃんと教えなければいけない と、お釈迦様が鹿野園 (ろくやおん)という所で、実地修行の方法を分かりやすく説きあ かされ、お授けになったのが「阿含経(あごんぎょう)」で、これ は小乗の教えだ。  ところが、とかく一方に偏るのが人間のつねで、阿含経に心酔し た一部の人たちは、実地の修行にばかり専念して佛教本来の目的を 見失ってしまった。  自分さえ悟りをひらけば、他人のことなど、どうなろうと、かま わないといった考えで、これを俗に声聞根性といった。このように 小乗は佛教の本旨である平等利益(りやく)の目的を逸脱する部分 が少しずつ露呈するようになった。  たしかに小乗における実地修行は佛の至近距離にあるとされる。 しかし自分だけ迷いから脱しても真の目的を達することはできない。  そのためにお釈迦様は方等(ほうどう)部、般若(はんにゃ)部 のお説法によって、やんわりと佛教の目的とする平等の理想をお示 しになった。  そこでだんだんに道理が分かってくると、これまでの修行の仕方 は間違ってはいないけれど、その目的のとらえ方を誤っていたとい うことが次第に明らかになった。やがて法華経が出る。 「汝等所行是菩薩道」 寅さん 法華経はたいへん有名ですが、どういうお経です? ご隠居 法華経のサンスクリット原典は、西暦五〇年から一五〇年 あたりにかけてできたらしいが、四〇〇年の初頭、鳩摩羅什(くま らじゅう)が漢訳した「妙法蓮華経」が名訳として有名だ。  というのもこのお経には、ゆるぎない真理観、世界観、人生観が うちたてられているからだ。そしてお釈迦様は、「汝等所行是菩薩 道」と言われてこの法華経をご承認になった。 寅さん 何です、その汝らとは? ご隠居 つまり、お前たちが今している現実の人間的いとなみその ままが、みな大乗の菩薩の道であるぞ、とおっしゃったのだな。  そこでお弟子たちは、これまでの狭く窮屈な考え方を改めて、大 乗平等の目的に向かうこにとなったというわけだ。  今まで阿含経をやれ小乗だ声聞根性だと陰口をたたいてきたが、 方等経、般若経でだんだん道理がわかり、法華経によって、声聞の 修行そのままが、実は菩薩の目的を達する方法であることも証明さ れた。  そこでお釈迦様のつぎのお仕事として、涅槃経の説法にしぼられ ることになったわけだ。これは最初の華厳経から、阿含、方等、般 若、法華経と順をおい、ことをわけて説いてこられた釈尊の教えの 総ざらいのようなおもむきがあるから、涅槃経のことを桾拾(くん じゅう)の経ともいう。##桾の正字は「手偏に君」 お大師さまご推奨の四分律 寅さん どんな意味です? ご隠居 桾も拾も、どちらも「ひろう」という字義だから、説法の 落ちこぼれを拾い集めるという意味だ。  さっきも言ったように、お釈迦様が小乗について言われているの は、修行の仕方をお叱りになったのではない。ただ、その修行の目 的がどこにあるのか、なんのための修行なのか、そこのところをち ゃんと見きわめなさい、と言われたのだ。目標をしっかり見定めさ えすれば、実際の行法は小乗のままでいっこう差し支えない、とお っしゃっているのだ。  涅槃経のお説法は、その構成が一見したところ小乗のように見え なくもないが、その目的はすべて常住佛性(じょうじゅうぶっしょ う)が説きあかされており、法華経と少しも遜色がない。 寅さん 常住佛性とは? ご隠居 意味は、いつも変わることのない真理、つまり佛様の本性 とでもいえばよいかな----。  また遺教経も、お釈迦様がご臨終のまぎわに、枕元に居合わせた お弟子たちに説かれたご遺誡であるだけに、場面からしていかにも 小乗的な印象がつよい。そのためこの遺教経を小乗とする人が多い ようだが、大乗、小乗どちらであってもよいのではないだろうか。  これはなにも遺教経にかぎらず、すべての経論を通して言えるよ うだ。大乗小乗の差別は佛法にあるのではなく、それは佛法を志す 人それぞれの精神的レベルによって大小という差が生じるのだ。  お大師さまは日頃からお弟子たちに、四分律を守りなさい、と言 われたそうだが、真言宗の教相判釈(きょうそうはんじゃく)は大 乗も大乗、秘密金剛乗だ。 寅さん 教相判釈? ご隠居 意味は、諸経における価値配列づけ、お経のランキングと いったところかな。その最高位の大乗を学ぶ真言宗のお弟子たちで さえも、ふだんの自分たちのおこないは、小乗の四分律を守らねば ならなかったわけだから、あまり大乗だの小乗だのにこだわらぬほ うがよいようだ。以上が、ある老師の大小乗論の受け売りだ。 寅さん 四分律とは? ご隠居 出家して具足戒(ぐそくかい)を受けた僧が守らなければ ならない戒律で、四分律にはその条項が二百五十もある。  戒律にも、教法の小乗大乗と対応して、小乗戒と大乗戒があり、 南山律宗の道宣(五九六ー六六七年)という人が伝えた戒法を小乗 戒とした。  小乗戒は五戒八戒、沙弥(修行なかばの僧)の十戒、十善戒、比 丘(出家した僧)の二百五十戒、比丘尼の三百五十戒など、こまご まとした戒律がびっしり規定されている。これらの戒律は、四六時 中、朝起きてから夜寝るまで、いや、眠っていても守らなければい けないからたいへんだ。  これを大別すると五部に分けられ、一部を四分律、二部を十誦律 三部を解脱律、四部を五分律といい、五部は日本へ伝えられていな いため不明だ。  そして大乗戒のほうは、三帰三聚浄戒、十重禁戒、四十八軽戒な どがある。 閻魔の使の鬼が、娘にご馳走の恩返しをしようとした話                     「日本霊異記」より  讃岐国山田郡に布敷臣衣女(ぬのしきのおみきぬめ)という娘が いた。聖武天皇の御代(みよ)、衣女は疫病(えきびょう)にかかっ た。衣女の家では娘の平癒(へいゆ)を願って、門の左右にご馳走 をかざり、はやり病の神様を一生懸命もてなした。しかし、そんな 願いもむなしく、とうとう地獄から閻魔大王の使いの鬼が、衣女を 召し連れにやって来た。  鬼は衣女を探すのに奔走して、くたくたに疲れていたが、布敷家 の人から勧められるままにご馳走をたらふく食べて、やっと元気に なった。鬼があらたまって言う。 「すっかりご馳走になったので、あんたにその恩返しをしたい。ど こかにあんたと同姓同名の娘はいないか」と聞くので、「この国の 鵜垂郡(うたりぐん)に私と同じ姓の衣女という者がおります」と 衣女が答えた。それではということで、鬼は衣女を連れて鵜垂の衣 女の家へ行った。そして鬼はその家の衣女のひたいにノミを打ち込 むと、そのまま娘を地獄へ連れ去り、山田郡の衣女のほうは無事に 自分の家へ帰ったのである。  さて、地獄では閻魔大王がさっそく取り調べを始めた。が、「こ の者はこちらへ召喚した衣女ではない。どうやら間違って別人を連 れてきたらしい。この娘はしばらく閻魔庁で預かることにして、汝 はすぐ引き返して山田郡の衣女を連れてまいれ」と鬼に命じた。  こうなればもはやごまかすことはできない。鬼は再び山田郡にと って返し、本当の衣女を連れてきた。閻魔大王はその娘を見てうな ずく。「まさしく、この娘こそ私が召喚した衣女である」と。  一方、閻魔庁に留め置かれていた鵜垂の衣女のほうはどうなった かというと、これが大変なことになっていた。  三日間が過ぎて我が家へ帰ってみると、鵜垂郡の衣女の遺骸(い がい)は、すでに火葬されていたのである。  これではどうしようもないから引き返して閻魔大王に訴えた。 「私は焼かれて身体を失いましたので、魂の入り場所がありません なんとかしてください」  閻魔大王はちょっと考えていたが、鬼に問うた。 「山田郡のほうの衣女の身体は、どうなっているか?」 「そちらのほうの娘の身体は、ちゃんと残っておりますです」 「それは好都合だ。お前はこれより、山田郡の衣女の身体をもって 自分としたらよかろう」というこ とで、宙ぶらりんであった鵜垂の衣女の魂は、山田の衣女の身体の 中に入って生き返ったのであった。  山田郡の衣女の父母は喜んだ。死んだはずの娘が、ぱっちりと眼 を開けたのだから----。  しかし、当の娘はかぶりを振って、「違います。ここは私の家で はありません。我が家は鵜垂郡にございます」と言いはってきかな い。父母は困りはてて、「お前がわが娘でなくてどうする。なぜお 前はそのように分からないことを言うのか----」と、懸命に娘をか き口説くが、娘はいっこうに聞き入れようとはしない。しまいには ついに娘と同行して鵜垂郡の衣女の家へ行くことにした。  向こうへ着くと娘が、「ここ、ここが私の家です」と、手をうっ て喜んだ。けれども、その家の父母が奥から出てきて、娘を見て、 「たしかに我が家の死んだ娘にそっくりですが、この娘さんは私ど もの子ではありません。なぜならうちの娘はもう荼毘(だび)に付 し、弔(とむら)いを済ませましたから」と言う。  そこで衣女は、これまでの経緯をすべて話したのであった。  山田郡と鵜垂郡に住むそれぞれの父母は、衣女の語る話に耳を傾 けていたが、なるほど、聞いてみると一々よく得心がゆく。  そういうことであるならば、と双方の父母で相談したあげく、両 家の財産を衣女にそっくり相続させることで話し合いがついた。  こうして衣女は四人の父母と両家の財産を得た。ご馳走を調えて 鬼に施す。これも功徳の一つか。
第二十一話第二十三話Kanjizai index

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