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佛教談義(ぶっきょうだんぎ)その十九  利剣不動明王(りげんふどうみょうおう) 寅さん 観音院さんに利剣不動明王という怖いお姿の佛様がいらっ しゃいますね? ご隠居 ああ、ご本尊子安観音(こやすかんのん)様の向かって左 にお立ちになっているな。 寅さん あの尊像を拝見すると、右手に剣(降魔の利剣)をふりか ざし、左手に縄(羂索=けんさく)、後ろに火炎があって、見るか らに恐ろしいお姿ですが、あれは一体なぜなんです?  佛様はふつうやさしいお姿のはずですが……。 ご隠居 それは、人々のわざわいの根源の悪魔と煩悩(ぼんのう) を調伏(ちょうぶく)するため、あんな怖い姿をされているのだ。  佛教には摂受(しょうじゅ)、折伏(しゃくぶく)と、わたした ち衆生の教化(きょうけ)の仕方にふた通りの方法がある。 寅さん 摂受と折伏? ご隠居 摂受とは、いつも善いおこないを心掛けている人には、佛 様がやさしく教え導かれる。  これに対して、折伏というのは、ふだんから佛様の教えにそっぽを 向いて、なかなか言うことを聞かない人には、まず視覚でもって相 手を畏怖(いふ)させ、その威力でもって、よこしまな心をくじき 伏せるというものだ。こういった二つのタイプの衆生を教化するこ とを摂受門、折伏門というな。 寅さん それは子供の一般的な躾(しつ)けに似ていませんか?  親の言うことをよく聞く素直な子には、ごく自然な教育のしかた で十分ですが、屈折した性格の子に対しては、そんなわけにはいか ない。どうしても口うるさく、親の威厳でもって従わせようとしま すから・・・・。 ご隠居 たしかに子供の教育にも二通りあるな。観音様のように優 しさであたるのと、お不動様のように恐い顔で厳しく躾けるのと。 寅さん イソップ童話の「太陽と北風」的にいえば、不動明王はさ しずめ北風の役どころですか。 ご隠居 いや、それはちがう。あれは、太陽と北風が、旅人の着た マントの脱がせくらべをする話で、北風は、ただやみくもに寒風を 吹きつけるだけだから、旅人はますますマントの衿(えり)を固く 閉じてしまい、失敗する。  が、不動明王の形相(ぎょうそう)の恐さは、単に相手を威嚇し て、ちぢこませることにあるのではない。  かたくなにみずからの殻のなかに閉じ籠もって、聞きわけのない 衆生をなんとか教化し、救いあげたいという一心が、そのまま表情 にあらわれているのであって、不動明王の内面には、慈悲の心が一 杯に満ちあふれているのだよ。  だから非情な北風の話など持ち出して、お不動様と比較するのは よろしくない。 寅さん ごめんなさい。  それにしても子どもの躾けとか、教育というものはむつかしいで すね。そのときどきにおいて、観音様になったり、お不動様になっ たりしなければならない。 ご隠居 とくに教育現場の学校は大変だな。先生が型通り規則ずく めの指導に終始すれば、生徒は反発するし、少し甘やかすとブレー キが効かなくなる。 寅さん それで自分の感情の抑制がきかない先生が、ついかっとな って、生徒に体罰を加えたりするわけですか。 守り本尊 ご隠居 昔から言われるように、不動明王は父の厳しさを、観音菩 薩は母の慈愛を、そして地蔵菩薩は子どもの純真さをあらわす守り 本尊とされている。  したがって不動明王は、教化(きょうけ)するのに困難な衆生を、 父親のような厳しさで済度(さいど)されようとして、折伏の門に 怒りの形相でお姿をお見せになった。  お不動様は、大聖不動摩訶威怒王とも、無動尊ともいい、じつは 大日如来様の化現(けげん)なのだ。 寅さん でも、大日如来は本来、法身佛(ほっしんぶつ)でしょう。 それがなぜ、私たちに見えるんですか? ご隠居 衆生を利益(りやく)するために、時に応じて私たちの前 に出現されることもある。  利剣不動明王がそうで、あのご尊像の背後の火炎は、智慧(ちえ) のあきらかなことをあらわし、左手にお持ちになっている縄は、私 たちの迷いをそれでもって捕縛し、右手にふりかざした利剣によって、 一切の煩悩を断ち切り、私たちに大いなるご利益を授けようという 姿勢が、利剣不動明王の、あのお姿なのだよ。 寅さん へえ、ありがたいものなんですね。 ご隠居 「聖無動尊大威怒王秘密陀羅尼経」というのにこうある。 要約すると、この不動大明王には大いなる威力がある。  智慧(ちえ)の利剣をとって貪瞋癡(とんじんち・むさぼり、い かり、おろかさ)をすっぱりと断ち切り、禅定(さとり)の縄をも って、教えにそむく者をからめ取る。  もしわずかでも、この不動明王を祈念すれば、一切のわざわいを ことごとく断ち、一切の不幸を近づけない。・・・一切衆生の機根 (きこん=ほとけの教えを聞き分ける能力)は同一でない。  したがって大日如来は、あるときは慈悲深いかたちで姿を現し、 またあるときは忿怒(ふんぬ)の形相で衆生を教化する。  このように不動明王は、それぞれ衆生の希求するところに応じて 利益を授け、悪を退治したのちに法楽を与える。見かけはいかにも 恐いけれど、その心のうちは慈悲に満ちあふれているのである。 --------この経を受持する者は、まさに知るべし。その人は不測の 事故などで死ぬことなく、また、その恐怖におののくこともない。 諸天の護持(ごじ)をこうむって、もろもろの障害を心配すること もない。まして、このお経を念誦(ねんじゅ)すれば、その福は無量 である云々・・・・とある。 寅さん ほう、それはすごい。 ご隠居 しかしだな。不動明王にあやかるためには、まず自分を高 めて、不動明王と自分が感応(かんのう)しあうぐらいにならなけ ればいけない。そうなれば、どんな災厄が身にふりかかろうと、そ のわざわいを根源からザンバラリンと断ち切ることができる。  不動真言は「のうまくさまんだばざらだん せんだ まかろしゃ だ そわたや うんたらた かんまん(まことの道112頁)」と いう。お不動様を念じてお唱えすると強き御力が頂ける。 寅さん こんなお方が「守り本尊」として、自分についてくだされば、 これほど心強いことはありませんね。 ご隠居 まったくだ。できることなら、いま日本を覆いつくしてい る閉塞感とか不況感なども、よく切れる不動明王の利剣でもって、 一刀両断してほしいものだな。 寅さん たしかに最近の日本は、ひところの元気が失せましたね。 ご隠居 不動明王の本当の凄さは世の中のあらゆる悪を断固排除し 寸分もゆるぎない正義感でもって我々を庇護(ひご)してくださっ ているのだから、私たちもそのご慈悲に報(むく)いるためにも、 気持ちを引き締めて、正しく生きなければいけないな。 寅さん 自分で努力しないで、不動明王に頼りっぱなし、というの はだめなわけですね。 ご隠居 ダメだな。そもそも佛法において、不動明王がいらっしゃ るわけは、私たち人間が本来持っている自分の内なる不動明王を見 つけだし、愛の忿(いか)りの力によって自分自身が不動明王とな ることを暗に示されているのではなかろうか。そしてまた、不動明 王はどこにいらっしゃるかというと、その法身は法界(ほっかい) に満ち満ちておいでになる。  聖不動経に「無相法身虚空同体なれば、その住処なし。ただ衆生 (しゅじょうと)心想の中に住す。衆生の意想おのおの不同なれば、 衆生の意にしたがってしかも利益をなし、所求円満ならしむ云々」 とあるように、不動明王は私たち衆生の心の中にお住みになってい る。  したがって不動明王は、念ずる人の願いに応じて、いたる所にお 姿を現し、ご利益(りやく)を授けて、求める所ことごとく満足さ せてくださる。  だから商売繁昌や交通安全祈願は、利剣不動様によくお願いする といいな。 寅さん 観音院さんの利剣不動様のご縁日はたしか毎月二十八日で したね。それでは早速に----。 一大事(いちだいじ) ご隠居 寅さんは、ほとけの知見(ちけん)という言葉を知ってい るか? 寅さん 聞いたことがありません。 ご隠居 知見とは、佛のさとりのことだ。法華経の方便品(ほうべ んぼん)にこういうくだりがある。 「諸佛世尊は、ただ一大事因縁があるために世に出現する。 舎利弗(しゃりほつ)よ、どうして諸佛世尊はただ一大事因縁があ るために世に出現するのか。 諸佛世尊は衆生をして佛の知見をかしめ、清浄を得さしめようと して世に出現するのである。 衆生に佛の知見をそうとするために世に出現する。 衆生に佛の知見をらせようとして世に出現する。 衆生をして佛の知見の道にらせようとして世に出現するのである。 舎利弗よ、これを諸佛は一大事因縁のために世に出現する、」 といっている----。  これは開示悟入(かいじごにゅう)といって、私たちに、佛の知見 を開かしめ、佛の知見を示し、佛の知見を悟らせ、佛の知見に入ら せる、その四つの目的のため世に出現されるということで、これを 四佛知見ともいう。 寅さん 一大事因縁とは? ご隠居 私たちは、自分のことさえよく知らず、まして、これから 何分後に起こる先のことなど何も分かっていない。それが凡夫の境 界というものだ。したがって一大事とは、そんな私たちが、一生の 目的として、自心を磨き高めようとする自己啓発といってよいし、 諸佛世尊が私たち衆生を啓発するために、佛法を縦横自在にお説き になっている、と解釈してもよい。  諸佛世尊は、法界にあってご自身の境地をお楽しみになり、同時 にまた、一切衆生のために世に出現し、さまざまな方便によって、 私たちの心と眼を開かせようと一心にお説きになっている。これを 佛教では一大事因縁といい、佛教が存在する究極の意義も、じつは そこにあると言ってよいだろう。  この一大事因縁のことわりを理解するのは、なかなか容易でない が、それでも佛祖釈迦よりこのかた、これを会得した人間は少なく ない。  禅門の見性悟道、浄土門の往生そして私たち真言宗の即身成佛も これらはみな一大事因縁なのだ。   亀を放生(ほうじょう)して、亀に助けられた話                     「日本霊異記」より  その頃、朝鮮半島では、百済(くだら)が唐と新羅(しらぎ)に よって侵略され、友好国の日本に救援をあおいでいた。斉明七年 (西暦六六一年)、日本は百済(くだら)の要請をいれて、遠征軍 を派遣した。  備後国の三谷郡(広島県双三郡)の大領(一等官の役人)も百済 遠征軍に徴兵された一人であった。  大領は出征にさきだち、「もし無事に帰国することができたなら 神佛のために、そのお礼として伽藍(がらん)を建立(こんりゅう) いたします」と、誓願(せいがん)して故郷をあとにした。  百済での戦(いくさ)は、さんざんな敗北であったが、神佛の加 護か、ともかくも大領は無事に故郷に帰還することができた。  その際、大領には一人の連れがあった。戦地の百済で知り合った 百済僧で、名を弘済法師という。  三谷寺は、大領の誓願をうけてその弘済法師が建立した寺である。  見るからにきよらかな伽藍で、近在の人々の厚い信仰をあつめた。  あるとき法師は、尊像の造立(ぞうりゅう)を思いたち、京にの ぼって金丹(佛具などに塗る絵具)を買い求め、難波の港へたどり ついた。  折しも、浜辺では、四匹の大きな亀を、道ゆく人に売っていた。 法師はその亀を買い取ると、さっそく海に放してやった。そうして 法師は上機嫌で、二人の供の童子を連れ、仕立てた舟に乗って備後 三谷寺への帰途についたのだ。  夜更けの瀬戸内海を波にゆられて、ちょうど備前の沖合にさしか かった時のことであった。難波の港で舟といっしょに雇った六人の 舟人が、悪心を起こしたものか、突然に、童子たちを海の中へ投げ すてると、眠っていた法師の枕を蹴飛ばして、わめいた。 「お坊さま、あんたもだよ。早く海へとびこむんだ」 「ばかなまねはよしなさい」と、一生懸命、法師が言い聞かせるが 俄(にわ)か海賊たちは、いっかな耳を貸そうとしない。かくなる うえはやむなし、と、覚悟をきめて海へ入った。するとどうしたわ けか、腰が海水につかったところで、足の先が底に届いた。なんだ、 背がたうほど浅いのか、やれ助かったと夜が明けて見ると、これが なんと法師は亀の上にいたのであった。  やがて備後の海辺にあがると、その亀は、法師に三度お辞儀して 沖へ去っていった。法師が放生した亀の恩返しであった。  さて、六人の海賊のほうだ。彼らは法師たちを海へ捨て、まんま とせしめた金丹を、当の三谷寺に持ち込んで売買の交渉をしていた。  何も知らない三谷寺の檀家たちが、ひたいを寄せて金丹の値踏み をしているところへ、弘済法師が帰ってきたのである。  法師を見て、海賊たちはがたがたふるえだした。てっきり海に溺 れ死んだとばかり思っていた法師が目の前に立っているからだ。  しかし法師は、この悪人に刑罰を加えることなく許してやった。  そして佛像を作り、塔をかざり供養につとめた。晩年は備後の海 辺に住んで、往来の人を教え導き、春秋八十有余で卒(そつ)した という
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