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佛教談義(ぶっきょうだんぎ)その十七 鏡の中の私は誰? 寅さん お釈迦様は、生まれてすぐ、天上天下唯我独尊、と言われ たそうですね? ご隠居 天にも地にも我ただ独りとおっしゃったな。 寅さん それは少しばかり矛盾していませんか。佛教では本来、自 我という実体はないと教えているのに、お釈迦様は、唯我独尊、と 言われている。この無我と唯我の矛盾を、どのように解釈したらよ いのでしょう? ご隠居 釈尊の唯我は、自我の我のことではない。私たちはどうし ても自己中心に物事を考えて我意を張り、我欲にとらわれて暮らし ている。このために心のやすらぐときがない。佛(ほとけ)は、こ れを憐れんで解脱(げだつ)への方策をお説きになった。  つまり、私たち人間が「自分」と思っている自我とは五つの存在 要素が仮に融合したものにすぎないというのだ。 寅さん 五つの存在要素とは? ご隠居 色(しき)・受・想・行(ぎょう)・識のことで、これを 五蘊(ごうん)という。 寅さん 何ですか、それは? ご隠居 「五蘊」は人間を構成する物質的、精神的要素のことで、 「色」は物質つまり肉体のことだ。 そして「受」は感受作用----外界からの刺激や印象を感じ取るはた らき、「想」は表象作用----何かをぱっと思い浮かべるはたらき、 「行」は意志作用----何かをしようとする心組み、「識」は識別作 用----物事を見分けるはたらき、この五つの要素から成り立ってい るのであって、自我というものがある、という考えは間違いである とされている。 寅さん 自我を解体して分析すると、そんなものの寄せ集めという わけですか。 ご隠居 お大師さまはそのことを十住心論(じゅうじゅうしんろん) において「唯蘊無我心」(ゆいうんむがしん)と名付けられ、存在 を構成する要素のみ実在(唯蘊)とし、個別的存在には実体がない (無我)とする心のありかた、と説かれている。  そして、お釈迦様は、それでもなお、自我は在る、と我に執着す るのは、赤ん坊が鏡に映る自分とたわむれたり、猿が水に映った月 を捉えようとする行為にひとしいと説かれ、無我の道理を私たちに お示しになった。ただし、この無我論は中途で終わって、最後まで 説明がなされていない。水に映った月の無であることは説かれてい るが、天にかかる月の実体については教えていないし、鏡の中の映 像の無であることを教えているが、鏡に映った真の実体、すなわち、 真人(ひと)については言及されていない。  天にある本当の月、鏡に映ったほんとうの真人、これを無我の大 我という。無我の大我は真如----宇宙万有の実体であり、永久不変 の真理であるから、法界(ほっかい)の真我ともいう。  法界の真我とはこの宇宙において二つとない絶対のものであるか ら、またこれを唯我(ゆいが)という。唯(ゆい)は、あくまでも 一つという意味だしたがって、この唯という文字のもつ意味合いを よく考えれば、お釈迦様が言われた、天上天下唯我独尊の意味も、 雲間からぱあっと陽光が差し込んでくるように明白になるのではな いかな。 寅さん なるほど。自我の無であることをさとれば大我となり、そ れが佛法の真理だから真我で、真我は唯一絶対だから唯我ですか。 ご隠居 天にも地にも我ただ独りは、なにもお釈迦様お一人に限ら れたことではない。一切衆生(い っさいしゅじょう)の我々もまた 同じ資格があるのだよ。  私たちはお母さんのお腹から産まれおちたとき、みな唯我独尊で あることを忘れてはならない。私たちは佛様の素質を充分に持ち合 わせているのに、その人間のそなえている尊さを知らない、あるい は忘れているから、必要以上に卑下して、毎日をあくせく暮らして いるということではないかな。 誦経(ずきょう)の功徳(くどく) 寅さん 私はときどき、観音院さんから頂いた「まことの道」を開 いて、見様見まねで般若心経など読むことがありますが、たとえば 私のように経文の意味がよく呑めこめないままに読経したとして、 はたして功徳(くどく)があるものなのでしょうか? ご隠居 ほほう、それはまた殊勝な心掛けだな。信心はその気持ち がいちばん大切だ。何故ならば、佛様(ほとけさま)が病気の治療 のたいそう上手な名医だと仮定すると、お経は特効薬のようなもの だから、どんな読経でも大いに功徳がある。  お医者さんが、その病気を診察し、処方した薬を服用すれば平癒 (へいゆ)するようなもので、お経の種類もいろいろ向き不向きが あって一様ではない。  現世の利益(りやく)となるもの、あるいは未来の利益に資する ものと、その功徳は経文の内容によって異なる。このように経文に は不可思議な功徳があるもので、誰が、どのように読もうと、たと え意味が分からず、書いてある文字だけをたどたどしく読んだとし ても、佛様の世界ではちゃんと聞き分けていらっしゃるから、上手 下手を心配することはない。まして経文に書かれている意味を充分 理解し心を傾けて読めば、かならず不可思議な功徳があるな。  さらに「まことの道」では「十善戒」「朝の言葉」などをはじめ 教えが分かりやすく現代語訳してあるから自分の日常の行動の基準 にすることができる。  名医が、あなたはこういう病だから、それに効くこの薬を服用す ればよくなる、というのと同じことだ。そんなわけだから、精神を 集中して誦経三昧に入れば、必ず佛様のお耳に達し、その功徳があ ることを信じてよい。 寅さん 誦経は、お葬式のときは別にして、たいていの場合、佛様 に対しておこないますが、そこがどうもよく分かりませんが----。 ご隠居 どこが分からない? 寅さん だってそうでしょう。お経というものはどのお経も、佛様 の教えが書かれたものなのに、そのご当人である佛様にお聞かせす るのはおかしくありませんか? ご隠居 尤(もっと)もな疑問だな。でも、こう考えたらどうだろ う。つまり、私たち在家の者が佛壇に向かってお経をあげるのは、 「佛様、私はいま佛様の教えをこんなに恭(うやうや)しく復誦し て守るように努力しておりますから、どうかこの功徳をご先祖様に お与えください」と、佛様にあの世への言伝(ことづて)をお願い しているようなものだとな。 寅さん すると誦経には、佛様に対する私たちの帰依(きえ)の気 持ちと、霊魂を供養する、二つのはたらきがあるということですか。 ご隠居 そうだな。お経をあげるということは、そんな二面性があ るが、しかし誦経はなにもあの世だけに送るメッセージではない。 それはお経に書かれた内容が、私たち人間が正しく生きてゆくため のすばらしい教則本だからだ。 寅さん ということは、私たちがお経を声をだして読めば、自分自 身の心も、将来も、おのずから清浄(しょうじょう)になるという ことですか。 ご隠居 そのとおり。これほど心の浄化に良いものはない。だから 寅さんも努めて誦経することだ。 寅さん でも、誦経するのには、時と場所と場合のTPOがありま すから、何処でもいいというわけにはいかないでしょう。誦経はや はり、朝起きて顔を洗ったあととか、夜寝る前佛壇に向かってする のが最も自然のかたちですよね。 だいいちお風呂の中や、散歩の途中などでお経をあげても、霊界へ 功徳を仲立ちしてくださる佛様がどこにおいでか、その所在がはっ きりしませんしね----。 ご隠居 いやいや。ほんらい佛様はどこにでもいらっしゃるから、 どこで誦経しようとかまわない。 とはいっても、誦経の際に心の乱れるのを防ぐ意味からも、やはり 佛様を前にしてするのが最上といえるな。 寅さん それで思い出しましたが古典落語に、お経をあげながら、 その合間に、女房を口うるさく叱ったり、用事を言いつけたりする のがありましたね。 ご隠居 ああ、そんなのがあるな。あれはたしか、毎朝佛壇にお経を あげるのを日課としている男で、そのことだけは感心なのだが、口 うるさいのが玉にきずで、誦経しながら、家の中に刻々として起こ る様々な事について、あれこれ注意や指示を与えてゆく。  たとえば「猫がちゃぶ台の皿の目刺しを狙っているから気をつけ ろ」と言いながら、自分でも「しっ、しっ」と追ったり、表を通る 豆腐屋さんの売り声を聞けば、「今朝のおみおつけは豆腐にしよう。 早くしないと豆腐屋が行ってしまうぞ」といった調子で、お経をあ げているのか、佛壇の前に座って身辺雑事を処理しているのか、さっ ぱり要領を得ない。  その男にしてみれば、りっぱな朝の勤行(ごんぎょう)のつもり かもしれないが、そんなお経は、いくら佛壇の前とはいえ、心は上 の空だから、功徳のあろうはずがない。 寅さん たんに気休め的なお経は無意味ということですか? ご隠居 そうだ。一心不乱に誦経していれば、味噌汁の実とか、猫 の動静のこととか、雑念が心をよぎるはずがない。誦経は、自分が 自分の声を自分の耳で聞き、自分自身の心に伝えてこそ意味がある のではないかな。  それともう一つ、お経にも種類があって、報恩のためのもの、追 善(ついぜん)のためのもの、あるいはまた心願成就(じょうじゅ) のためのものといろいろあり、そのご利益(りやく)は千差万別だ けれども、要は、誦経する者の心掛けしだいで、受けとめるご利益 の差が生じるということだ。 高い身分の人が僧を打擲(ちょうちゃく)して、                その報いをうけた話                  「日本霊異記」より  奈良を都として大八嶋国(おおやしまのくに。淡路島・四国・隠 岐島・九州・壱岐島・対馬・佐渡島・本州の八島で日本の国のこと) を治めておられた聖武天皇は、ある大きな誓いをお立てになって、 みほとけのご加護(かご)をおねがいになった。  それは天平元年(西暦七二九)の春、二月八日のことであった。  大法会(だいほうえ)は奈良の左京、元興寺においていとなまれ、 盛大に三宝(さんぼう)の供養がおこなわれた。  法会に臨む大勢の僧侶の世話をしたり、食事を捧げる役は、正二 位左大臣の長屋親王であった。  さて、ここに一人の沙弥(しゃみ・沙弥とは十戒を受けた七歳か ら二十歳未満の出家した男子のこと)がいた。この沙弥が不謹慎に も、法会の参加者に供養する食事の配膳でてんてこ舞いをしている 厨房のなかへノコノコ入ってゆき、持っている自分の鉢をにゅっと 出して、飯を乞うた。  たまたま長屋親王がそれを目にしたのである。長屋王は、つかつ かと歩むと、手にしていた象牙の笏(しゃく)で、沙弥の頭をした たかに打った。割れたひたいから血がながれる。沙弥はひたいの血 を手で拭いながら、恨めしそうにしていたが、しばらくすると、い づこともなく去っていった。  その場に居あわせて、その一部始終を見ていた人々は、一様に目 引き袖引きしながらささやき合ったという。 「身分がどんなに高い人であろうと、僧侶をあのように侮辱するな ど、心ない人のすることです。あれでは、さきゆき、きっと良くな いことが起こりますよ」  はたして、その二日後、長屋王は密告された。彼の権勢をこころ よく思わない者たちの策謀(さくぼう)である。 「長屋王は謀叛(むほん)を起こして、皇位を奪おうとしておりま す」というのだ。長屋王の邸は兵によって取り囲まれた。もう逃げ られない。長屋王は、「まったく身におぼえのないことだが、この ようなありもしない謀叛の疑いによって一生を終えるのが我がさだ めか。それならば、刑殺されるよりは、むしろ自殺するほうがまし だ」と、家族に毒をのませて、くびり殺し、長屋王自身も服毒した あと自害して果てた。  長屋親王一族の屍(しかばね)は、都の城外にしばらくの間放置 されていたが、やがて焼いて粉々にされ、海に捨てられた。ただ、 長屋王の骨は、遠く土佐の国へ運ばれた。  その年、どうしたわけか土佐の国の百姓(おおみたから)に死ぬ ものが多くでた。  そのことに不審と危惧(きぐ)を抱いた百姓たちが、文書をした ためて国の役所へ差し出した。 「このところ、土佐の国の百姓がばたばた死んでゆきます。これは おそらく長屋王の霊が災いしているに違いありません。なんとかし てください」、というわけで、長屋王のお骨は、紀伊の国の沖合に 浮かぶ小島に移された。  それにしても悲しいことである。  栄華を誇った長屋親王の全盛時は、その前にみなひれ伏したもの だが、ひとたび密告されて朝敵の汚名をきれば、助ける人もなく、 瞬時にして滅び去ってしまう。それもこれも身分の貴さをよいこと に、沙弥(しゃみ)を打った行為を、佛法を守る神神が嫌ったから であろう。  僧侶には、どんなみすぼらしい姿をしていたとしても、恭しい態 度で臨むべきである。本身を隠し人間の姿をした佛が、あるいは僧 の中にまぎれておいでになるかもしれないからだ。 「前世において、自分より上位にあった人や、お釈迦様の頭を履物 で踏みつける者の罪は、いずれも驕慢(きょうまん)のなせる罪」 であると、お経にも書いてある。  いわんや、袈裟(けさ)を着た人を打ち、侮(あなど)るなど、 もってのほかである。
第十六話第十八話Kanjizai index

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