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佛教談義(ぶっきょうだんぎ)その十六 大般若経(だいはんにゃきょう)の転読(てんどく) 寅さん 大般若経転読法要というのがありますね? ご隠居 藪から棒だな----観音院さんでは、毎月第一日曜日に大般 若経転読法要が執行されるのが恒例だ。で、それがどうした? 寅さん どうもしません。ただ転読(てんどく)とは、どういうこ となのか、それが知りたいんです。 ご隠居 転読というのは、経文の毎巻の初めと、中ほどと、終わり の数行を読むことだ。 寅さん なぜ、そんな独特なことをするんです? ご隠居 考えてもごらん。大般若経は六百巻にものぼる大部なもの だ。そんな厖大(ぼうだい)なお経を全部通しで読んでいては、い つまでたっても終わらない。だから厳かな「法則」によって転読し 功徳(くどく)を祈るわけだ。これに対して、お経を全文、初めか ら終わりまで毎行読誦(どくじゅ)することを「真読(しんどく)」、 または看読(かんどく)というな。 寅さん 真読のお経は、ありがたくて勿体ないかわりに、ただ足が しびれるのが少しつらいですね。 ご隠居 観音院で法要に会うときは、みな足に無理がかからないよ うにさせてもらっているよ。  この大般若会(だいはんにゃえ)は『続日本紀(しょくにほんぎ)』 によると、七〇三年には都の四大寺で行われ、七〇八年には「詔して 大般若経を転じ、恒例と為す(元亨釈書・げんこうしゃくしょ)」 とある。この時期には法会(ほうえ)の「法則」が定められていた といわれている。  国土安穏をはじめ、善願成就・転禍為福・万病平癒・災厄消除・ 五穀豊穣など、国としての大きな祈願が厳修(ごんしゅ)されて、 現世の平安が願われきた。  大般若会は現在でも各宗派で行われているが、観音院は毎月定例 で行われているから凄い。  大般若経は全部で六百巻だが、特に巻五百七十八「理趣分祈祷」 が功徳(くどく)あるとされて重んぜられてきた。  寅さん 毎日の定例法要でもあがっているお経ですね。 ご隠居 大般若会では経典を翻転(ほんてん)といって僧侶が一巻 一巻を頭上で、扇のように経本を開いて翻(ひるがえ)して釈迦如 来真言をお唱えされている。  この経典を開き翻えされる時に起こる浄らかな風は厄難をはらう とさえいわれている。 五台山の転輪蔵 寅さん 大般若の般若っていうのはどんな意味なんです? ご隠居 「般若」は梵語で「智慧(ちえ)を意味している。  真理を認識し、悟りを開くはたらき。最高の智慧で佛智(ぶっち) のことだ。  大般若経は三蔵法師・玄奘(げんじょう)さまにより、インドか ら中国に伝えられ翻訳され、日本へは多くの遣唐使の僧侶によって 伝えられた。  以前、この欄で連載した慈覚大師円仁(えんにん)著の「入唐求 法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)」というのを憶え ているかな? 寅さん そんなのがありましたねなんでもあれは、中国の大旅行の 話でしたか----。 ご隠居 お大師さまが入定された三年後の西暦八三八年、円仁さん が遣唐使船で中国に渡り、揚州から北上して山東半島、そして五台 山、長安と長い巡礼の旅をかさねられた話だ。その円仁さんが五台 山の金剛窟(こんごうくつ)という所で、転輪蔵(てんりんぞう) というものをご覧になった。 寅さん 何です、それは? ご隠居 一切経(いっさいきょう)を収納する書架の一種だな。六角 の柱状で回転ができ、各面に書棚が作ってあって、それを回せば、 ひと所で収納された経典が出し入れできるものだよ。 寅さん 一切経とは? ご隠居 大蔵経(だいぞうきょう)のことだ。大蔵経は、大・小乗の 経・律・論と賢聖集伝を合わせると約六千巻だから、そんな書架を 考案した。  そのお経を回転させることがひとつのヒントとなって、現在の転 読があるのではないかと思う。 チベットだかタイだったか忘れたが、どこかの国のお坊さんが円筒 状のお経、赤ん坊をあやすガラガラの大きなのを手でくるくる回し ながら読経する姿をテレビで見たことがあるが、あれが転読の原型 ではないかと思うな。 寅さん 復習ですが、円仁さんとは、どんなお方でしたかね? ご隠居 十五歳で比叡山に登り、伝教大師最澄さんに師事(しじ) された。  約十年間唐で密教や天台学を修めて帰国し、天台密教の基礎を確 立された延暦寺三世座主(ざす)だ。 寅さん 十年も中国にいらした。 ご隠居 いろんな事情があって帰るに帰れなかったようだな。  ちなみに観音院の書庫は、転輪蔵式になってはいないけど、大正 大蔵経全八五巻がすべてそろっているから、機会があれば見せても らうとよい。 真如(しんにょ)の月 寅さん もう一つ、藪から棒ですが、涅槃(ねはん)とはいったい 何です? ご隠居 涅槃をひとくちに、これだと定義するのはなかなか難しい。 佛教の修行には、三学六度三十七品(ぼん)の行法、八万四千の法 門があるといわれているけれど、その最終目的は、ただ涅槃の境界 にどのようにすれば行き着けるかということにあるようだ。 寅さん 三学、六度、三十七品の行法というのは? ご隠居 布施(ほどこし)、持戒(いましめ)、忍辱(たえしのび)、 精進(はげみ)、禅定(しずまり智慧(さとり)の六度と、さとり への三十七の実践的な修行だな。したがって涅槃というのは、佛教 の最終の目的とするところなのだが、一般的な涅槃の解釈は、お釈 迦様の亡くなったことを、そう言っているようだ。 寅さん でも、お釈迦様の亡くなった日、二月十五日が涅槃会(ね はんえ)でしょう? ご隠居 それはそうだが、涅槃の本当の意味は、佛教信徒が心やす らかに帰り着く場所のことだな。 涅槃は梵語〔ニルバーナ〕を音読みしたもので、漢字に書くと大滅 度(だいめつど)、または円寂(えんじゃく)安楽、寂滅(じゃく めつ)、不生不滅(ふしょうふめつ)、到彼岸(とうひがん)など ともいう。 寅さん 涅槃が、漢字になると、なぜ大滅度なんです? ご隠居 私たち人間の心の本体を真如(しんにょ)という。真如と は、永久不変でしかも現実の真実そのものである。  ところが、その真如が無明(むみょう)の雲に邪魔されて光を失 い、闇に閉ざされている。つまり邪見(じゃけん)や俗念などに妨 げられて真理を知ることができない。人の心についてまわる貪瞋癡 (とんじんち)、むさぼり、いかり、おろかさの三毒に、本来の真 如が眩(くら)まされて、智慧の光が陰っているのだ。  私たち人間は生まれてから死に至るまで、死んでからのち、また この世に生まれてくるまでのあいだ身も心もこの三毒にからまれつ づけている。そういう始末の悪い三毒を退治するのが佛法なのだな。  ところで、人が死んで冥土(めいど)へ行く途中渡らなければな らないという三途の川には、文字通り三つの流れがある。火途(地 獄道)刀途(餓鬼道)血途(畜生道)の流れだ。  この三つの川に落ちないように、三毒を滅して度する、川を無事 に渡るというので、大滅度というのだ。お分かりかな? 寅さん 「度」には「渡る」という意味があるんですね。で、円寂 (えんじゃく)とは? 少欲に涅槃あり ご隠居 円寂というのは、円満寂静(じゃくじょう)ということだ。  無明煩悩の雲が晴れて、真如の月が冴えかえって満天を照らし、 物音ひとつしない静かな風景が、涅槃の境界もきっとこのような世 界に違いないと想像されるから、円寂というのだ。  寅さんにどうせ、ネンダをくられるだろうから、ことのついでに 言っておくが、涅槃を安楽というわけは、私たち人間は平素、際限 のない欲望や、怒りや、愚かさといった煩悩に追い立てられ、責め 立てられてなかなか心が休まらない。この苦痛の原因である三毒の 煩悩をうちひしぎ、制圧したその先には、かぎりない自由があり、 心の安楽があるということだ。  寂滅というのは、一切の煩悩、無明が滅して、心地が湛念(たん ねん)寂静になる様子のことだ。  また不生不滅というのは、真如実相常住不変の佛性は、有為転変 (ういてんぺん)生滅去来にわたらずして、三世不改なるものであ るから、そのようにいう。 寅さん つまり、どういうことです? ご隠居 つまり佛性(ぶっしょう)というものは、万物が常に変化 してやまないこの世とちがって、過去から未来にわたり、生じもせ ず滅びもせず変化しない宇宙のようなものである、というのだ。  そして到彼岸というのは、生死のこちらの岸から、煩悩という濁 流を乗り越えて、あちらの岸へ渡りつくという譬(たとえ)だな。  大滅度といい、円寂といい、このように涅槃というものの意味を 考えてみると、涅槃というのは、いかにも遠くにあって、私たちの 手の届かないもののようだが、決してそうではない。  すべて私たちの気持ちの持ち方ひとつで、どうにでもなるものな のだ。そしてまた、人間の心というものは、わずか方寸、三センチ 四方の間にあるごく小さなもののように感じるかもしれないが、な かなかどうして私たちが本来そなえている妙心というものは、大袈 裟にいえば尽十方の世界、つまり宇宙的世界からミクロ的極小の世 界まで、ことごとくカバーしているものなのだ。  釈尊の大悟(たいご)された本心本性(ほんしょう)は、このよ うな涅槃の境地であって、私たちも釈尊に近づくために、この妙心 を磨かなければならないのだが、貪欲(とんよく)、瞋恚(しんに)、 愚癡(ぐち)に妨げられて釈尊の境地にまで行き着けない。  そこで、せめて少欲を処世の基本とし、少欲をもってことに臨め ば、ついにはこの涅槃妙心を得ることがあるために、釈尊は涅槃を このようにお示しになったのだすなわち「少欲有るものは即ち涅槃 あり」ということだな。 写経の功徳(くどく)と、    寺の物を勝手に使ったことによる報(むく)いの話                  「日本霊異記」より  大伴連(むらじ)忍勝(おしかつ)は信濃の国小県郡のある里に 住んでいた。あるとき忍勝は有志と語らって、その里に佛堂(ぶつ どう)を建立(こんりゅう)し大伴一族の氏寺とした。  そして大般若経の書写(しょしゃ)を思いたった忍勝は人々から 寄進をあおぎ、剃髪(ていはつ)して袈裟(けさ)を着、戒を受け て道を修し、その寺に常住することにした。  光仁天皇五年の春、忍勝は人に中傷されて、寺の信徒たちによっ て打ちすえられ、あえなく死んでしまった。加害者たちはいずれも 忍勝と同族の大伴氏であった。  身内の者が相談した結果、「これは殺人以外のなにものでもない から、亡骸(なきがら)は埋葬せず、小屋を作ってしばらくの間棺 におさめて安置しよう」ということになった。そして五日すると、 忍勝は生き返った。  忍勝が身内に語った話は、こういうのであった。 「あの世からの使者が五人して迎えに来たので、そのあとに従って 行った。道のゆくてに非常に急な坂があった。ようやく坂を登りき り、足をとめて前を見ると三つの大きな道があった。一つの道は平 たく、一つの道は草が生い茂り、一つの道は薮(おどろ)でふさが れている。その三叉路の中央に閻魔大王がいた。 「召し連れました」と使者がいうと、閻魔大王が、平らな道を示し て、「この道を行け」と言われた。  使者に囲まれて行くと大きな釜があり、湯の沸く様はさながら炎 のようであり、煮えたぎる音は雷のようであった。あまりの恐ろし さに身を竦(すく)ませていると使者にひっつかまれてザブンと釜 に投げ入れられた。  ところがどうしたわけか、釜が四つに割れて裂けた。すると三人 の僧が現れて忍勝に訊ねた。 「お前は、何か善をしたことがあるか?」 「私は善をした覚えはありません、ただ、大般若経六百巻を書写し ようと発願(ほつがん)して、昼夜そのことに没頭しておりました が、大半を書き残して、こちらへ参りました」  僧らは、忍勝の生前における善悪の行為が記録してある鉄の札を 調べたが、たしかに忍勝の言うとおりである。  そこで、「お前が発願(ほつがん)して出家となり、修行に励ん だのは誠に殊勝である。しかしながら寺の財物を勝手に私物化した ゆえに、皆からあのような仕打ちを受けたのだ。今は早く現世に立 ち戻って、大般若経書写の願を果たし、使った寺の物の返済につと めよ」と申し渡した。  ふと我にかえってみると、忍勝のそばには誰もいない。  来たときと同じ三叉路をまた通り過ぎ、急な坂を下りたところで 生き返っていた。  そして忍勝はしみじみと述懐したのであった。「それもこれも、 写経の願(がん)をおこした功徳(くどく)であり、また寺の財物 を勝手に使ったことによる災難であった。ただ災難のほうは、自ら の招いた罪だから、誰をも恨むことはできない」と
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