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佛教談義(ぶっきょうだんぎ)その十四 ああ神様、佛(ほとけ)様 寅さん このあいだからご隠居にぜひ聞こうと思っていたんですが、 ふつう神様は、佛様と、どこがどのように違うのでしょうか?  ご隠居 なぜそんなことを聞く? 寅さん いえね、実は、うちの子どもが今年、受験でしてね。合格 を神様にお願いしたものか、佛様におすがりしたものか、どちらが こっちの頼みごとを良く聞いてくださるだろう、といま思案してい るところなんです。 ご隠居 なんだ、そんなことか。 寅さん そんなことか、という言い草はないでしょう。受験生を持 つ親の身になってごらんなさい。神佛(しんぶつ)のご加護(かご) を今なによりもいただきたいときですからね。 ご隠居 笑ってわるかった、謝るよ。たしかに日本には神様と佛様 がいらっしゃるから、どちらを主にしてお願いすればよいか、少し 迷うかもしれないな。 寅さん でしょう? これがキリスト教やイスラム教だと、神様が おひとりだから、ことはいたって簡単なんですがね。 ご隠居 私たちが急場に立ったときなどに、よく口にするのが”神 様、佛様、お願いです、助けてください、どうかお守りください”だ。 苦しい時の神頼み、と言ったり、念持佛(ねんじぶつ)守護佛(しゅ ごぶつ)ということもある。  神佛とのご縁はさまざまで、小さな時に親と一緒にお参りしたと いうこともあるし、口コミを聞き御力を慕ってお参りすることもあ るし……、多くの人が直感的に親しく感じた佛様を信心するように なり、縁のあった僧侶が拝まれているご本尊さまを共に拝むように なるという場合も多いわけだ。  神佛との出会いは実に不思議なもので、人間のはからいを超えた 「ご縁」によることが多いと言われる。現世のさまざまなご祈願が 機縁(きえん)となり、善き心を起こし、しだいに佛道(ぶつどう) に導かれることもある。  観音院には、御霊験あらたかな有名な萬倍様がおまつりしてある が、この萬倍さまにお願いする時は「世のため人のために尽くせる よう御力をお授けください」とお願いするのが大切なことだよ。  萬倍様には宇賀神(うかじん)さまといって、五穀豊穣の穀物の 神様、「福の神」様がおまつりされている。お大師さまが一刀三礼 (いっとうさんらい)の作法で御神体をご謹刻され、礼拝されたと 伝えられている。  何かを願う時、願望の成就(じょうじゅ)が世のため人のために なり、社会の幸福に尽くせることが大事なことだ。 寅さん ご隠居のお話を聞いて、やっとすっきりしました。そうい うことなら、萬倍様にうちの子の合格をよくお願いします。 本地垂迹(ほんじすいじゃく) ご隠居 良い結果がでることを期待しているよ。 寅さん ありがとうございます。  ところで神様とは一体どういった存在なんでしょうね? 私たち は何かあると、手をたたいて気安く願い事を頼みますが…… ご隠居 江戸時代の国学者、本居宣長(もとおりのりなが)は、神 を定義して〔尋常(よのつね)ならず、すぐれた徳(こと)のあり て、可畏(かしこ)き物〕とし、「迦微」の字を当てている。つま り人間の能力を超越した異常さ、非凡さが、日本の神様の基本的性 格であるというのだ。  大昔には雷などの自然現象から山や岩や大樹や、特異な人格や、 蛇のような動物まで、人間に対して威力のあるものが神であった。 そして人間は、それらのものを神様とあがめ、供物を捧げることに より、おだやかに鎮まってもらうように祈っていた。  このように、日本の神様のルーツをたどってゆくと、私たちの身 近にあるものからご神体ができている関係で、外国の神様のように 天上の存在ではない。日本の多くの神神はそのほとんどが、私たち の目の高さにいらっしゃる。  さて、今から約千四百年以上前これまで見たこともない美しい偶 像(ぐうぞう)が日本に渡来した。 寅さん へえ、さようで。 ご隠居 ぴんとこないかもしれないな。それが佛像だったのだ。い わゆる佛教伝来だな。  古代の日本では、もともと偶像崇拝の観念がなかったから、神様 はそのありのままの姿かたち、山や岩や樹木があがめられていた。 そこへ急に神々(こうごう)しい佛像や佛像画が渡来したから、当 時の人々はたいへんなカルチャーショックを受けた。  で、佛様を蕃神(そとつかみ)と呼んで、神様の一種として見な した。そして佛教が興隆するにしたがって、佛と神がしだいに融合 するようになる。 寅さん 神様と佛様がドッキング(結合)した? ご隠居 これは佛教の観点からだが、本地垂迹といって、神は佛の 化現(けげん)、つまり佛様が神様に姿をかえてこの世に現れた、 という考え方がある。  萬倍様の「ご本地」のみ佛さまは薬師如来様で、病める人々をお 救いくださるという誓願(せいがん)がある。寅さんの親心も癒し てくださるだろうよ。 巻き寿司まるかじり 寅さん 年の始めから縁起の良いお言葉、感謝します。  では、明日にでも、早速観音院さんの「厄よけ一本うどん」を頂 きに行くことにしますか。  ところで験(げん)をかつぐといえば、最近節分に巻き寿司を食 べるといった変な習わしがはやりだしたようですね? ご隠居 節分と巻き寿司にどんな因果関係があるか知らないが、流 行の発進地はどうも関西あたりらしい。おおかた寿司屋さんの陰謀 (いんぼう)だろう。 寅さん その日は恵方(えほう)に向かい、包丁しないままの巻き 寿司を丸かじりしてお祈りすると良いことがあるそうですが、恵方 とは何です? ご隠居 恵方は、天文・暦・占いなどをする陰陽道(おんみょうど う)からきたもので、その年の干支(えと)により、歳徳神(とし とくじん)にあたる方角を吉の方向としている。  昔は恵方参りといって、元日は恵方にある神社やお寺にもお参り して、その年一年の幸せを祈っていた。今年は卯年だから、したが って恵方は、東だ。 寅さん そういうことなら、節分の日には巻き寿司を頬張って、東 の方角をよく拝むことにします。 ご隠居 ちょうど受験時期だけに節分と巻き寿司と恵方をセットで 結びつけた寿司屋さんか、何屋さんだか知らないが、その人は頭が よいよ。 寅さん すると聖バレンタインデイは、外国の神様にチョコレート 屋さんがスポンサーとして付いたわけですか? ご隠居 あの仕掛人は、どうもデパートの宣伝部あたりらしいな。 バレンタインの日は、本来、恋人にせいぜいカードを贈るくらいの ものだったそうだ。 寅さん チョコレートでなくて、ラブレター交換の日ですか? ご隠居 二つ折りの恋文が花の番地を探している----。 寅さん ご隠居も、なかなか洒落たことをいいますね。 ご隠居 人の話の受け売りだ。寅さんも読んだ記憶があると思うが 〔にんじん〕という本、母と不和だった幼児の不幸を題材とした自 伝的小説を書いたフランスの作家ルナールという人が、蝶々を表現 した言葉だ。 寅さん いずれにしろ、うちの子には恋人も恋文もまだ早いから、 そんな雑念などは捨てて、とりあえず、一生懸命受験のほうに取り 組んでほしいものです。  で、神佛に合格祈願すると、願いが叶いますかね? ご隠居 それは受験生一人一人の問題だよ。受験勉強を目一杯した 子どもは、そのぶんに見合うだけの、運の良さも引きつけているは ずだから、神佛もその子どもの努力にお応えになろうとする。した がっておのずから合格率が高くなるのではないかな。 お祈りと願望(がんもう) 寅さん じゃあ、結局は本人の実力しだいで、神佛のご霊験(れい けん)のほうは、掛け捨ての保険のように、気休めでしかないわけ ですか? ご隠居 その気休めが、私たちに大きな安らぎをあたえてくれる。  たとえば、ある願い事を持つ人間の行動パターンを考えてみると よく分かる。その人は、その願い事を達成するため、可能な限りの 努力をする。人事を尽くして天命を待つ----人がなし得ることは、 すべてやり終えた。あとはせめて神佛のご加護をお祈りしようとい う気持ちだよ。それが祈りというものの本質ではないかな。 寅さん だとすると、拝むことと祈りとは、少しニュアンス(意味) が異なりますね? ご隠居 そのとおり。拝むのは、佛様なり、神様を、ただただ尊び 敬って礼をすることであって、そこには何の私欲もなく、お返しも 求めない。だから雑念を捨てて無心に拝めば拝むほど、心が洗われ て清々(すがすが)しい気分になれる。  そして祈りのほうは、この場合祈願の意味で解釈すると、その行 為のなかに、こうしてください、ああしてください、といった目的 が込められている。  目的がかなった時に、世のため人のために尽くし佛恩に報いるこ とが大事だし、人徳が高められることが大切なことなんだが…。 寅さん それでは頼まれる神様や佛様としては、人間たちはいつも 虫のいいことばかりお願いに来て仕様のない者たちだ、と、こちら のいじましい心根を観(み)られているんではないですかね。 ご隠居 うん。その点は人間も抜け目がない。いつも一方通行のお 願いばかりでは神佛に申し訳ないというので、祈願の代償として、 昔の人はよく茶断ちや、塩断ち、好物断ちなどをしたな。 寅さん 何ですか、それは? ご隠居 願をかけたその期間中はお茶を喫みません、塩を取りませ んと、飲食物などの断ち物をすることで、これだけ当方も不自由を 我慢してお願いしているのだから神佛も応分の見返りをくださるは ず、といった考え方だ。 寅さん 時代劇によく出てくるお百度参りというのもそれですか? ご隠居 願い事が叶(かな)うように、お寺や神社に参り、一定の 距離を百回往復して祈願する。雨が降ろうと雪が降ろうと、神佛の 前を行ったり来たりして、一生懸命な自分の姿をどうぞご覧になっ てください、というわけだ。 拝みの質と量 寅さん それでその人たちは、それぞれ自分の祈願が成就(じょう じゅ)したんでしょうか? ご隠居 「人間の一念は岩をもとおす」、という諺があるくらいだ から全部とまではいかなくても、けっこう達成率は高かったのでは ないかな。  観音院の入り口の山門の地蔵堂には「日切地蔵(ひぎりじぞう)」 さまがおまつりされているが、この「日切」というのは、七日とか、 二十一日、百八日など日数を切って心に決めて、参拝し、願掛けを お願いする習わしがある。  日切地蔵さまの前には浄水がはられていて、お花などお供えされ ている。このお地蔵さまにはお水をお掛けするので「水掛け地蔵さ ま」とも呼ばれておられるが、これはお地蔵さまが自分に代わって 水をかぶって下さり、罪障を清めてくださるといわれる。くれぐれ もお地蔵さまのお顔などに強くかからないように、ていねいにお掛 けするようにしたいものだ。 寅さん ああ、あのお水にはそういう意味があったんですか。これ からはもっとていねいにお掛けするようにしなくては。 ご隠居 このお地蔵さまというのは子供をご守護くださる佛さまと しても信心されてきた。  観音院の子安観音(こやすかんのん)さまは、昔から「子供を思 う親心を叶えてくださる」み佛さまとして有名だ。「親心」という ものは自分の身に代えても子供の幸福を願い、なによりも尊いもの で、親族は代々その慈愛を受け継いできたものだ。 寅さん ところで、会社や商店がお祀りしている神様の祠(ほこら) も、自分のところだけの商売と繁栄を祈っているわけですね。 ご隠居 萬倍様をご分霊としてお迎えされている会社もある。社業 の繁栄が従業員の幸福と、消費者の利益になりたいものだ。  昔はどこの家にも神棚があって神様におまいりし、佛様には佛壇 に向かって手を合わせて拝み、ご先祖への感謝と冥福(めいふく) を朝晩祈っていた。けど核家族化が進み、マンション住まいの多い 昨今は、難しいかもしれないが、小さくても佛壇はおまつりしたい と思っている人は多いようだ。 寅さん たしかに、何かの行事や願い事があって詣でるのと、毎日 佛様を念じ拝むのとでは、量的に差がありますね。 ご隠居 継続は力なりと言われるが、願い続けることが大事だな。 拝むことは無償の行為で、ひたすら拝むことによってその人の心も 浄化され、周囲にも慈悲をもたらすものだ。  神様は、人間の畏怖(いふ)と尊敬によって祈られた存在であり、 佛様は、人間の真心から拝み続けた最も尊貴で理想の御姿、という ことを忘れてはならない。そして神佛はいつも、私たちの幸せと、 日本の行く末をあたたかく見守ってくださっていらっしゃる。
第十三話第十五話Kanjizai index

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