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佛教談義(ぶっきょうだんぎ)その十三 在家(ざいけ)の五戒(ごかい) ご隠居 しばらく見なかったが、元気にしていたか? 寅さん それが、ここのところ年忘れだの、なんだのと飲み会つづ きで、少々くたびれてます。 ご隠居 この季節は、どうしても酒を飲む機会が多いから仕方ない が、”人の身に酒は薬となるものを、毒となるほど飲むは身知らず” というように、ほどほどにすることだな。 寅さん けど、酒飲みの通弊として、その、ほどほどが難しい。  これはあまり聞きたくないんですが、在家の五戒(ごかい)とい うのがありますね? ご隠居 在家の信者が守るべき五つの戒めで、不殺生、不偸盗(ふ ちゅうとう)、不邪淫、不妄語、不飲酒(ふおんじゅ)だな。 寅さん その不飲酒の項目が、どうも気にくわない。酒は昔から、 百薬の長といって、血液の循環をよくして、快眠を促し、ストレス を解消してくれるし、また、祝い事や不祝儀にも欠かせないもので す。そして、何よりも飲んで美味しい。その人間社会に欠くことの できない酒を、佛教は出家ばかりか我々にまで、在家の五戒として なぜ酒を禁じているのでしょう?お釈迦様が本気でおっしゃったの なら、その真意は、はたしてどこにあるんでしょうか? ご隠居 たしかに酒を良薬と持ち上げたり、人を狂気にさせる水と けなしたり、人によって酒ほど評価に落差があるものも珍しい。  でも、毒になったり、薬になったりするのは、なにも酒だけとは 限らない。およそ私たちが飲食するものはすべてそうで、ある場合 は毒にもなり薬にもなる。  つまり飲食には程合いというものがあり、度に適(かな)えば薬 となり、度を過ごせば毒となる。  その点、酒というものは、つい調子にのって度を過ごしやすくで きているからよくないのだ。だから、お釈迦様はある場合は飲酒を 許し、ある場合はこれを戒められた。けれど飲酒を大目に見られる ことは稀で、たいていの場合はいけないとされた。つまり原則は禁 酒で、開酒は”括弧(かっこ)付の容認”といったところだな。 寅さん それだと、お釈迦様は、どうも禁酒に消極的だったような 感じがしますが----。 ご隠居 いや、それは後世の偉い僧たちがそれぞれの経論に注釈を 加え、佛説を世間が受入れやすいものに書き換えていったから、酒 に対して寛大になったのだ。  考えてみると、酒の功罪(こうざい)をあれこれ言っているが、 酒そのものに責任があるわけではない。酒ではなくて、酒を飲む人 自身にすべて責任があることを忘れてはならないな。 寅さん では、お釈迦様は、酒のどの点をよいとして許し、どこが 悪くて禁じられたのです? 酒がなによりの薬 ご隠居 開酒----酒を飲んでもよい例としてぴったりの話がある。  釈尊在世のころ、祇園精舎に一人の僧がいたが、六年間も病床で 患っていた。  あるとき佛(ほとけ)の十六大弟子の中の一人、持戒(じかい) で有名な優婆離(ウパーリ)尊者(そんじゃ)が、その僧を見舞っ て病気の原因を訊ねた。  病僧がいう。私は元来酒好きだけれども、佛弟子となっては飲む わけにはいかない。しかし持って生まれた体質ゆえに、明けても暮 れても酒のことが心にかかり、その誘惑とたたかっているうちに、 とうとうこんな病気になってしまいました、という。  話を聞いた尊者は、それは誠に可哀想だ、酒を薬として飲んでよ いかどうか、佛に伺ってくるからしばらく待っていなさい、とその 由を佛に問うた。  すると釈尊が言われた。私が酒を制する真意は、酒によってひき 起こす病苦を除こうとするためである。その酒をもって薬とするこ とができれば、なんの差し支えがあろう、とおっしゃった。  聞いた優婆離は病僧の所へとって返し、酒をもとめて飲ますと、 病気は薄紙をはぐように平癒(へいゆ)したという。そののち、そ の僧はそれまでの自分を大いに反省し、ついに阿羅漢果(あらかん か)の悟りを得た。 寅さん 阿羅漢(あらかん)? ご隠居 阿羅漢とは、一切の煩悩を断ちつくした聖者のことだよ。  これは病僧を済度(さいど)した優婆離のおこないを、佛が賛嘆 されたという故事で、このように酒は、大酒家にとっては毒となり 害となるけれども、その僧には大層有益な薬となった。酒を禁ずる ばかりが、決して佛の真意ではないという意味だな。 寅さん 酒好きの私などには大変結構な話ですが、ふしぎなのは、 酒は本来、お釈迦様が禁じられているのに、何かの佛事のときは必 ずお酒がふるまわれる、あれは何故なんです? ご隠居 「十住婆娑論」に、酒を施すのもまた在家の菩薩行(ぎょ う)である、と出ている。つまり菩薩の布施は、衆生の願望がなん であれ、それに応えるものであって、酒好きに酒を施して相手に喜 びを与えれば立派な善行となる。したがって酒を施す者は福を得る。 ただし、酒を貰った者は、どうだか知らない。 寅さん ご隠居も意地わるだね。法事でお客に酒を出しても、佛制 に背かないのなら、それを飲むのも供養というものでしょう。 性戒(しょうかい)と遮戒(しゃかい) ご隠居 それは佛様に聞いてみないと分からない。ただ、これまで の話は、すべて権教(ごんきょう)方便の説であって、大乗実教はそ んなことは言っていない。 寅さん 権教というのは? ご隠居 権教とは、一般の庶民のために、分かりやすく方便を設け て権(かり)に説いた教えのことだ。したがって権教は、真の佛道 大乗にはいるための初歩的な講座のようなもの、と考えればよいだ ろうか。  佛教はこれをみても分かるように、つねに世間に即応し、社会通 念から逸脱するような教え方はしない。そんなところが佛教の度量 の大きさともいえる。 寅さん だから酒によって弊害が生じないかぎり、祝儀不祝儀に酒 を出してもかまわないわけですか。 ご隠居 それにも限度というものがある。わきまえのある人は上手 に酒を飲むが、酒に卑しい人は後先のことを考えず、酒におぼれて 大失態を演ずることになりやすい。 酒は飲むとも呑まれるな、だ。 寅さん はじめは、人が酒を飲むやがて酒が酒を飲む、ついには酒 が人を飲む、ですか。反省します。 ご隠居 お釈迦様が、括弧付で酒を飲むのを許された理由を考えて ごらん。それは私たち衆生に善心を起こしてもらうためだ。 寅さん 酒を飲んで善心ねえ---- 酒の効用といえば、朗らかになって人間関係が円滑になったとか、 または気が大きくなって女房や子どもに何かを買ってやる約束をす るとかそんなところですか。 ご隠居 寅さんは性戒と遮戒というのを知っているか? 寅さん 知りません。 ご隠居 佛が、戒律によって守らなければならないと規定されてい るのが、その二種の戒だ。  性戒(しょうかい)とは、すべての人間が共通して戒め慎まねば ならぬものだが、遮戒(しゃかい)は、たとえばAには必要だが、 Bはあえてその必要を認めない、といった性質のものだ。  分かりやすくいうと、不飲酒などがその遮戒の代表的なものとい える。なぜなら、人間には体質的にアルコールを全く受けつけない 人が世間には大勢いる。そういった人に不飲酒戒など無用だろう?  したがって十善戒の中に不飲酒戒(ふおんじゅかい)は含まれて いない。「十善戒」は人間に共通する普遍的な戒律、つまり性戒だ から、酒を禁ずる項目がないというわけだな。 寅さん できたら私は、その十善戒のほうを固く守りたい。 ご隠居 しかしだ、十善戒に不飲酒戒がないといって安心するのは 早計だな。不慳貪の戒が不飲酒を兼ねているから、酒をむさぼり食 らってあとから後悔しないことだ。 寅さん やっぱりいけませんか。十善戒に不飲酒がなかったんで、 しめしめと思ったんですがね。 ご隠居 つまり在家の五戒のうち殺生、偸盗、邪淫、妄語の四戒は 人間が共通に犯す性戒だが、飲酒の一戒は、寅さんのような酒飲み のための遮戒なのだ。 御神酒(おみき)上がらぬ神はなし ご隠居 大乗戒の中に、酒を売ってはいけないという戒めがある。 売りさえしなければ飲めぬからだ。酒を飲んだばっかりに、五戒を 破った例は数え切れない。  涅槃経にも”酒は不善諸悪の根本たり。もしよく断除するときは、 もろもろの罪を遠ざける----”とある。 寅さん アメリカに禁酒法の時代がありましたね。アンタッチャブ ルのエリオット・ネス隊長とシカゴのギャング、アル・カポネが、 酒の密造密売をめぐって渡り合う。 ご隠居 禁酒法は、十九世紀、プロテスタントの始めた社会改革運 動から発展し、一九一九年に米国は、禁酒に関する法律を制定した。 ”酒は不善諸悪の根本”と民衆に酒を禁じたが、ますます密造密売 が盛んになり、ギャング団の資金源になって社会秩序が乱れたな。 寅さん 人間の嗜好品を、法律でもって禁止するというのが、そも そもの間違いですよ。で、禁酒法は何年つづきました? ご隠居 一九三三年に撤廃された。 寅さん 酒飮みのアメリカ人は、さぞ嬉しかったでしょうね。 ご隠居 キリスト教は”酒に酔うな。放蕩(ほうとう)はそのうち にあり”といっている。面白いのは、飲むな、でなくて、酔うな、 のところだ。  その点イスラム諸国は、今もって酒は絶対いけない。 寅さん 日本人に生まれてきてよかった。 ご隠居 たしかに日本は神様からしてお酒好きの国だな。酒は古代 神に供える神聖な飲み物で、祭りの酒盛りも神様と一緒だった。 寅さん その酒は誰の発明です? ご隠居 コノハナサクヤ姫。ニニギノミコトの妃で、この姫が天甜 酒(あまのたむざけ)を造ったとされている。 寅さん なんです、それは? ご隠居 口嚼酒(くちかみのさけ)といって、塩で歯を磨いた乙女が 水を十分吸わせた生米をかんで壺に吐き溜め醗酵させた酒のことだ。  日本語で酒を造ることを〔かもす〕というのは、その〔かむ〕か らきたとする説もある。 寅さん その酒は遠慮します。 飲酒の十のあやまち ご隠居 しかし、考えてみると酒こそいい迷惑だな。人間の犯す過 ちは、身口意がひき起こす間違いであって、酒そのものではない。 身口意(しんくい)を誤らせるもととなるのが往々にして酒の上で のことが多いから、酒が諸悪の根本といわれる。  そこで、人を誤らせる原因が、酒によってどのようにして起こる のか「四分律(しぶりつ)」にある飲酒(おんじゅ)の十過、とい うので説明してみよう。 〔一に顔色悪し〕酒飲みは赤くなったり青くなったりして大変に見 苦しい。特に人の上に立つ者は、自分の酔態を注意しないと人格を 疑われる。 〔二に力少なし〕酔っぱらうと馬鹿力が出る人もいるが、たいてい の人は身体がだるく、眠たくなる。 〔三に眼視明らかならず〕酩酊(めいてい)すれば、目の輝きが失せ て視線も定まらない。 〔四に瞋(しん)相を現ず〕大声でけんか口論に及び、ふだんの親 睦を破って取り返しのつかない罪科(つみとが)を招く。 〔五に田業資生を壊(やぶ)る〕田業とは農耕のこと、資生(しし ょう)とは、その稼ぎによって生計を立てることで、昔の日本は農 業が産業経済の根幹であったからこんな表現になる。つまり酒を過 ごして仕事を怠けると、暮らしがたちゆかなくなり、哀れなことに なるという意味だ。 〔六に疾病(しっぺい)を増す〕適度な酒は薬にもなるが、度を過 ごせば病気をひき起こし、すでに病のある者はさらに病状を悪化さ せる。 〔七には闘訟を増す〕争いごとの原因が、すべて酒によるものとは 限らないが、酔うと心のタガがはずれて気分が大きくなり、平素の 不満が噴きだして、つまらぬ訴訟にまで発展しかねない。 〔八に悪名流布(あくみょうるふ)す〕酒を飲んでけんかをしたり、 仕事を怠けたり、品行をみだしたり、人を困らせてついには悪い噂 が広まって信用を失う。 〔九には智慧減少す〕酒飲みはよく、酒を”知恵の水”などとあげ つらうが、これまでみてきたように、酒を飲んで頭が冴えることは まずない。飲み過ぎるとたいていは頭が働かなくなる。 〔十には身壊(やぶ)れ命終わって三悪道に堕つ〕三悪道とは地獄 ・餓鬼・畜生道のことで、以上が飲酒の十過だ。 寅さん いちいちご尤もさまで。今日から酒は心して飲みます。 ご隠居 ながながと、こんなことをいうと、佛教を信じない人は、 またぞろ抹香くさい説教、と耳うるさく聞こえるかもしれないが、 これを単に、教訓的な佛教説話と受け取らないで、大酒をかさねて いると、人の人たる道をいつか見失って、あとで後悔のほぞをかむ ことになるから、その点を心に深く刻みつけてもらいたいものだ。 寅さん アルコール依存症も年々増えていることですしね。 ご隠居 その人たちの救済のために日本禁酒同盟、全日本断酒連盟 などががんばっているな。
第十二話第十四話Kanjizai index

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