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佛教談義(ぶっきょうだんぎ) その十 女性を差別する? 寅さん 最近つくづく思うんですが、いろんな職場に、女性が進出 して、がんばっていますね。 ご隠居 うん。たいへん結構なことだな。これまで女性はずいぶん 社会から冷遇されつづけたからね。  ただ女というだけで、たとえその人が職業を持っていても、家事 と子育ての役目を、否応なく押しつけられ、女性は二重の負担を強 いられてきた。  これらはすべて女性の能力をあなどった、男中心の誤った偏見に すぎない。ところが今は、女性を、女であることを理由に、差別し たり排除し、不利な取り扱いをする、----このような男女の性差に よる社会的不平等は間違いであるとし、ジェンダーを根本から見直 そうという風潮が強くなってきたな。 寅さん ジェンダーとは? ご隠居 男と女の「性差」のことだ。ふつう性差は、ごく自然のも のとして考えられていた。ほら、よく女らしさとか、男らしさとか 言うだろう? 寅さん 男は強くたくましく、女はあくまでも優しく愛らしく---- ですか? ご隠居 女が優しく愛らしく、は、そうあって欲しいという男のほ うの願望だろう。女性の言葉づかいや服装、それに生活習慣のなか のこまごまとしたところから生ずる女らしさは、必ずしも生物学的 な根拠があるわけではなく、それはもっと複雑な、社会的、歴史的 な背景が作用して現在のような女性をつくりだしたのではないか、 というのだ。 寅さん でも、女性は体力的には男性にかなわない。神様が女性を そのようにつくったんですよ。 ご隠居 寅さんが言っているのは生物学的、解剖学的にいうところ のセックスのことだ。  女性は男性より、体力的には、たしかに劣るけれども、それ以外 のことなら男性と同じ能力を持っている。子供を産み、授乳するこ ともできる。  英国首相だったサッチャーをみてごらん。そしてコワモテのする 米国のオルブライト国務長官も相当なものだ。いずれも男性顔負け の力量をみせている。 寅さん 男顔負けと言えば、飛行機のパイロット一号が、広島から でましたね? ご隠居 電車の女性運転士さんもこの間お目見えした。 寅さん タクシーに乗れば女性ドライバー、レストランに行くと女 性のオーナーシェフ、お店によっては、女の寿司職人さんがすしを 握ってたべさせる。 ご隠居 昔かたぎの、あたまの固い男なら、女が握った寿司など食 えるか、と顔をしかめるところだつまりプロの料理人の世界では、 女性を一歩も中に入れなかった。  酒造りの杜氏(とうじ)の現場も同じように、昔は、絶対に女人 (にょにん)禁制だったが、今は大学で醗酵学を学んだ若い女杜氏 さんの働く酒蔵が全国にたくさんある。 寅さん なぜ、料理人や杜氏の世界に女性を入れなかったんでしょ うね? ご隠居 女性はすべからく、プロとして通用する域にまで達しない という男の思い上がりと、もう一つ、女性は生来不浄である、と いった偏見からだ。 寅さん それがここにきて、やっと、女立ち入るべからず、が解禁 されたというわけですか? ご隠居 そうだ。性差----ジェンダーの呪縛(じゅばく)がとけて、 やらせてみれば、女もなかなかやるじゃないか、と、女性の潜在的 能力を見直すようになったのだ。 寅さん 女性がしっかりしてきた分だけ、そのあおりを食った男が 変に女性化し、ニューハーフのようなのが増えています。 女性は成佛(じょうぶつ)できない? 寅さん そのことで言えば、女性差別がいちばん極端なのは佛教で はないでしょうか?  今でも、霊場・霊山などには、女人(にょにん)禁制、女人結界 (けっかい)の場所がたくさん残っている。 そして、特にひどいと思うのは、女性は成佛(じょうぶつ)するこ とができない、という教えです。  女性が成佛するには、変成男子(へんじょうなんし)、つまり、 女の性を離れて男性になり、しかるのちに、はじめて佛(ほとけ) になることができる、などという、ほとんど常識では考えられない ような無茶なことを言っている。おかしな話と思いませんか?  お釈迦様は、一切(いっさい)の衆生(しゅじょう)はすべて佛 になる素質を持っている、とおっしゃっていますよね? ご隠居 ああ、一切衆生悉有佛性(しつうぶっしょう)と説いてお いでだな。 寅さん 女性が佛になれないなら、お釈迦様は、女性は衆生以外の 生き物とみていることになる。そもそも「衆生」とは何ですか? ご隠居 この世の生あるもののすべて、草木はもとより、私たちの 身体を構成する細胞にいたるまでその範疇(はんちゅう)にはいる と考えてよいだろう。 寅さん でしょう。なのにお釈迦様は、女性を衆生ではないように 言っておられる。これは佛の慈悲の教えに反する言葉ではありませ んか。佛教において、特に律僧において、女性を忌(い)むのは、 何故なのか、それもお釈迦様の教えなのでしょうか? ご隠居 釈尊が一代のあいだに説かれた教えは、有(う)の片方に も傾かず、無の片方にも傾かず、有と無のちょうど中間をもって、 その説法の骨子とされているようだ。しかし、世間の者はみな有に 傾いている。---- 寅さん 待ってください。ご隠居はどうも話を難しくする傾向が あって困る。その有とか無とかは何ですか? ご隠居 有とは、私たちの目に見えるもの、物質とでもいえばよい か。つまり存在するもののことだ。無は、実際に目に見えてはいる がそれはあくまで仮のものでしかない、という考え方で、ほんとう はなんにも無いということだ。  人間は、どうしても、この有に偏重して、蜜蜂が花粉まみれで花 の蜜を吸うように、私たち人間も欲望の世界の中で、欲にまみれて 暮らしている。人間社会における悪を考えるとき、悪という悪は、 すべてこの有に執着することから生じている。  なぜか? 私たちは、自分にかかわる一切のものや、事柄に強く 執着して、際限なく欲望を肥大化させ、よこしまな心が、理性を失 わせるからだ。このように、有に執着する煩悩を断ち切るためには、 よほどインパクトのある説得でないと効き目がない。  そこでひとつ、寅さんに訊(たず)ねるが、男がいちばん迷いや すく魅力的なものは何だろう? 寅さん うーん、賭け事と女? ご隠居 そう、やはり、女の色香(いろか)だろうな。だから昔、 修行中の僧は山奥にこもって、見れば目の毒の女性の姿をちらとも 見ることなく、一心不乱に修行に励んだ。その上、女人(にょにん) を見るべからず、女人に近づくべからず、女人と言葉をかわすべか らず、絵に描いてある女性さえも見てはならないと教えている。  これを折伏的な説法といって、とにかく大変禁欲的なものだな。 パンドラの壺 寅さん ふーん、霊場の女人禁制は、そういう意味だったんで? ご隠居 そうとも。佛教は決して女性を差別してはいない。  その点、イスラム教の創始者であるマホメットは、「女性と香料 は移ろいやすいもの、されば、これらは閉じ込めておくべきである」 とずばり女性を差別しているし、ギリシャ神話も女性を悪者にして いる。  寅さんは「パンドラの壺」というギリシャ神話を知っているか? 寅さん どこかで聞いたような気がします。 ご隠居 この世にまだ女というものが存在しなかった時代、パンド ラという美しい女性が地上に降りてきた。そしてある青年と出会う。 これまで見たこともない魅力的な生きものを、一目で好きになった 青年は、パンドラと一緒に暮らすことになった。  パンドラは地上に降りてきたとき、一つの壺をたずさえていた。 それは神様が与えてくれたものだが、彼女自身、何の壺だか知らな かった。ただ、決して壺を開けてはいけないと言われていた。  開けるな、と言われると、見たくなるのが人情だ。あるときパン ドラは、少しぐらいはかまわないだろうと、そっと壺を開いたする と、得体の知れないものが一斉に飛び散った。あわてて壺をふさい だが、あとの祭りだ。  壺から飛散したのは、病気、悪意、嫉妬、災害、暴力、戦争など、 この世のありとあらゆる悪であった。  かろうじて壺の底に残ったのは「希望」。----それまで地上には、 なにひとつ邪悪なものは無かったが、壺から諸悪の根源が飛び散っ てしまっては、もうどうしようもない。様々な悪が地上に広がり、 人間は不幸になった。  が、からくも残った「希望」だけを唯一の支えに、私たち人間は 生きているという寓意(ぐうい)が「パンドラの壺」だ。  古代ギリシャでも、この世の悪は、女性を媒介にして起こった、 と女のせいにしている。 寅さん それは女性に少し失礼だ。で、変成男子のほうはどうなり ました? ご隠居 ああ、女性の成佛のことだったな。梵語で男を那羅、女を 那哩という。そして佛教書の中には、那は無、羅は塵垢(じんく) なり、とあるから、男は無垢(むく)の意味になり、女を塵垢の意 味に読み替えると、女は有垢ということになる。そこで男を無垢、 女を有垢という言葉で代用したにすぎない。  したがって、変成男子という場合、その意味は、煩悩の塵垢を変 じて無垢の菩提と成ることであって、煩悩即菩提(ぼんのうそくぼ だい)なりと了悟(りょうご)したのが、娑婆(しゃば)即寂光浄 土という法華一乗の妙旨であるな。 寅さん 恐れ入りました。 ご隠居 茶化しなさんな。そんなわけで、女身(塵垢)を捨てなけ れば成佛できないと説いているのであって、女性が成佛できないと 言っているのではない。佛に、男も女も、性の差別はないのだ。 「涅槃経」でもこう言っている。佛性(ぶっしょう)を知る者は、 世間では女人であっても、我はこれを男子とみなす。佛性を知らぬ 者は、たとえ世間において男としてまかり通っていても、佛法では これを女人とする、とな。 力持ち女の力くらべの話           「日本霊異記」より  聖武天皇の御世(みよ)、美濃(みの)の国、長良川(ながらが わ)沿いの小川という市(いち)に、力持ちの女が住んでいた。  この女は、剛の男も及ばないほどの巨体であるばかりか、百人力 という強力(ごうりき)の持ち主だったから、それをよいことに、 舟で川を行き来する商人たちを威嚇(いかく)して、積み荷を巻き 上げたりする悪事を働いていた。  その頃、長良川をずっと下った河口近く、尾張の国の愛知郡に、 もう一人、強力無双の女がいた。  ところが、こちらの女は、人並みはずれて身体が小さく、どこか らそんな力が生じるのか、皆が訝(いぶか)るほど、見るからに頼 りなげな外見であった。  あるとき、小さい女は、ある噂を耳にした。それは、長良川の上 流あたりで、他人の物を脅し取る力自慢の悪い女がいる、というも のであった。 そんな噂を聞いては、黙っているわけにはゆかない。 どれほどの女か、力のほどをひとつ験(ため)してやりましょうと、 近くの浜辺で蛤(はまぐり)をたくさん採って舟に積み込み、悪い 大女が我が物顔にのさばっているという市をめざして、川をさかの ぼって行った。舟には、蛤のほかに、振ると、よく撓(しな)う鞭 (むち)も積まれてあった。  船着き場に舟をつけて、待つほどもなく、そこへ件(くだん)の 大女がやってきた。大女は手慣れた動作で、舟に積んだ蛤を分捕っ たあと、持ち主にいう。「お前さん、どこから来た?」  蛤をとられた女は、口をつぐんで答えない。幾度聞いても返事が ないので、大女は意地になって、しつこく同じ質問をくり返した。 すると、今まで黙っていた女が、「くどいお人だ。どこから来よう と、おおきなお世話でしょう」とそっぽを向いてうそぶいた。  大女は怒った。この女、小さいくせに無礼なやつだ。よーし、ひ とつ痛い目にあわせてくれる、とばかり、猛烈な勢いで襲いかかっ た。  ところがどうだろう。女は、大女の両手を苦もなくつかんで取り 押さえ、舟に積んでいた鞭を持つや、その巨体を容赦なく打ちはじ めた。鞭を打つたびに大女は悲鳴をあげ、大きな身体にみみず腫れ が走る。  あまりの痛さに到頭、大女は降参した。「わるかった。許してく れーっ」、大女は泣きわめきながら、世の中には、上には上がある ものよ、自分より強い者がいるなんて----と思った。  呼吸ひとつ乱さず、小女がいう「よいか、これより以後、この市 に立ち入ってはならない。もしもまた、ここに姿を見せれば、こん どは本当に打ち殺すから、そのつもりでいなさい」  すっかりしょげ返った大女は、こそこそと、小女の前から逃げて 行った。  それからというもの、小川の市に平和がよみがえり、元気のよい 商人の売り声が飛び交って、ますます賑わったという。
第九話第十一話Kanjizai index

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