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[駆け込み寺 楽書帳]


如是我聞 其の二(抜粋)

                  文責 能島慶華


−法主さんは戦禍と乱世と豊潤を生きて 
      感受性が高く、悲喜こもごもから引退−




 お釈迦様は俗に生老病死を体験して、それから王子の地位と妻子を残し
て城を出られたと言う伝説が残っています(詳しくは知りません)。
 法主さんにも似たような過去があると、昔の信徒さんから、いろいろと
聞きました。
 観音院は、かっては福王寺を有し、借家を数10軒も持ち、裕福で広島で
は指折りの寺の長男として生まれられました。
 原爆が落とされて全てが灰塵に帰しました。
8月の16日には現在の場所に帰られていて、その時は未だあちこちで煙
がくすぶっていて、焼け死んだ人がごろごろと転がっていたそうです。
 3坪くらいのトタンのバラックに下痢に苦しむ父親と、大怪我をした母
親を看病する小学6年生。
 翌年に、軍人だった叔父が復員して来て、借家の跡地を叩き売りされ、
貧困のどん底で中学へ通われたそうです。小学6年から中学1年までは呉
市で進駐軍相手のギフトショップでアルバイトをされたそうです。周囲に
は売春婦が沢山いて、相当に悪い環境だったようです。
 2年の時に家を出て広大教授の書生として働きながら通学され、卒業す
ると夜間高校に進学、昼は焼け跡整理のドカチンをされていたそうですか
ら相当に辛い中学高校時代だったのでしょう。
 過去の話は殆ど話して下さいませんが、この頃に大工の腕を身につけて
おられます。
 高校3年末に普通高校に転学、それから大学へ進学されたのですが、こ
のころに喫煙の悪習慣がつかれたそうです。
 僧侶としてのスタートは、遍路以外は外出せずに国訳大蔵経を何度も読
み返されていたそうです。
 37歳で高野山真言宗の本山布教師、その間に、父親である先代住職の
遷化(せんげ=亡くなること)、住職就任と目まぐるしいことで、随分と
ご苦労されたとのことです。
 昭和54年に現在の観音院を復興される大役を勤められました。56年
に観音院を本山から独立させて、観音院を事実上の本山にされたそうです。
ところが6年後に突然に住職を寛恵僧正に譲って引退、満52歳の時のこ
とです。
 社会人の時の女性関係はお釈迦さまより艶福であったことは確かですが、
30歳以後には酒をやめられ、女性に関する話はさっぱりと聞くことが出
来ません。
 豊かな家庭に生まれ、戦禍の残酷さを目にし、肉親の財産分けの争い、
重労働の学生時代、沈黙の読書と遍路の修行期間、実はこの間に8回も四
国霊場を本物の乞食(こつじき)として巡礼されています。
 現在は観音院の法主(ほっす・儀式、行事を主宰)という立場ですが、
法律上の権限は何も持っておられません。
 正直に言えば、また巡礼に出られても、乞食(こつじき)をされても困
りますので、観音院の全職員が付きっ切りで、目を離さないようにしてい
ます。

■10年前に過労で、危篤状態で入院されるようなこともありました。
 世間一般のご僧侶のように経典を読んで生老病死(しょうろうびょうし)
を勉強されたのではありません。文字通り四苦八苦を体験され、毀誉褒貶
(きよほうへん)の意味を体験で知り、その上でご自分の体験を通して得
た考えを話しておられるのですから、酸いも甘いも、人々の苦しみも悲し
みも全てを包容する心を持っておられます。
 少なくとも釣りを殺生(せっしょう)と言うような小乗的なことを言わ
れるようなことは絶対にありません。
 十善戒の解釈は多くの高僧を唸らせるものですが、これは7年間の沈黙
の時期に書かれたものです。
 不邪淫の戒律について、いろいろと関係を持つことは悪いことではなく
て苦しいことだ。一端関係が出来たら生涯責任を持って面倒を見て上げな
さい。これは善悪の問題ではなくて、精神的に負担能力があるか、財力の
面で責任が持てるか、思いやりを維持出来るか、相手の立場で考えられる
か、それが出来るなら結構なことだと随分と大胆なことを言われます。
 心に思えば、邪淫をなしたと同じなどとは決して言われません。心に思っ
ても行動に出なければ不邪淫戒律を守ったと同じこと、実際に行動して始
めて不邪淫の戒律を犯したことになると明快な返事が帰ってきます。
 身辺の綺麗な人でないと、本当に法主さんの信頼を得ることは難しいよ
うです。
 しかし、本人が、自分の置かれている立場に悩み、困り、あるいは過ち
を犯しそうになっていると相談した時点から人間として信頼されるようで
す。
 生涯に一人しか異性を愛することが出来なかった人は、極めて幸せで稀
(まれ)な人だ。捨てられたり、裏切られたり、辛抱したり、許したり、
許されたり、誤魔化したり誤魔化されたりして人間の生涯があると言われ
ます。決して裁判官の書かれる判決文ような割り切れた考えを持たれる方
ではありません。
 だから法主さんに相談する人は安心して、閉ざした心の窓を開いて話す
ことができるのです。
 法主さんは慎重な方で決して間違いはなさらない方です。
 しかし、経験豊かな昔があり、将来に向けて絶対に間違いが無いとは断
言できないと言われる法主さんに、皆さんは何らかの嘘を探しだせますで
しょうか。

※法主さんの説かれる死生観は現代に生きる人々の教養や理性に受け入れ
 られ易く、多くの人々に支持されています。不安なく死に行くには納得
 のいく死後の過程、輪廻転生(りんねてんしょう)があれば、次の世で
 やり直しが期待出来ます。

※守れない佛教的な戒律を守ったようなフリで生きるより、法主さんのよ
 うに守れる戒律、努力目標を明確に示してほしいと願う人が多い。法主
 さんは信じて幸せが実感出来る戒律を示され、多くの若者も信じている。

※法主さんが過去を語られることは極めて珍しい。ここに書いていること
 の大半は、昔に法主さんと知り合って、現在は信徒になっておられる方々
 の証言です。ご苦労と失敗と成功などが皆さんの相談に役立っています。

※ここには、少し危ない話が書いてありますが、誤解されないよう慎重に
 丁寧に読んで下さい。法主さんは佛教道徳を説かれますが、理想と現実
 も確実に把握しておられ、それが皆さんが法主さんを信頼される源なの
 です。


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