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おじいちゃんの花畑

                   (96.11.18)


 かって、広島(宇品)港と、広島駅を結ぶ鉄道があった。軍港であった広島港に大量の物資を運ぶため敷設され、戦後まもなくは、広島県庁も、 その宇品線の中間点の霞町(現在の広島大学付属病院のある所)にあったことから随分と繁盛したらしい。
 その後、鉄道輸送はトラックに替わり、県庁も現在の基町に移転して、宇品線の利用が激減し、遂に廃線となった。その軌道敷地の一部は道路 用地として活用されるようになっていたが、広島港付近から南警察署あたりまでの約1200mが雑草が生い茂り、荒れ放題になっていた。
 その頃から、広島港にも、輸出自動車の積み取りや、輸入木材や食料の船卸しのため外国籍の貿易船が多く入港するようになり、外国人の出 入りも多くなってきた。
 「多くの外国人が上がってくる広島港近くの道端が雑草だらけでは国際都市として恥ずかしい」と、近くに住む丸畑さん(当時82才)が、 一人で春や秋の涼しい時期をねらって10m、20mと耕し、近所の人に 貰った種を蒔き、5年後には港湾道路沿いの500mに花畑を丹精された。
 6月頃には背たけ2m、赤、白、ピンクの花をつけたタチアオイの花が、約1000本。タチアオイの花が散った後には、カンナの花、秋にはコ スモスの花が咲き乱れ、外国人の船員さんはもとより、道路を通る人、近所に住む人の目を楽しませるようになった。
 その後も丸畑さんは、朝は早くから、花の時期はもとより、そのほかの時期にも草取り、土の手入れとほとんど毎日のように精をだされていた。
 ところが、平成3年、車道拡幅のあおりを受けて、花畑も立ち退かざるを得ない状況になった。花畑は、正式には道路の法面の無断使用であった が、丸畑さんは県当局に熱心に頼み込み、県もその熱意にうたれ、個人に使用を認めるわけにはいかないが、地域団体の花作りであれば認めるとのことで、親しい人たちに働きかけて「臨港線周辺を美しくする会」という会を作り、その会に花畑使用を認めて貰い、その後は丸畑さんを中心として、女子大学生のボランティアとか多くの人が手伝うようになった。
 現在では、総延長1200mの沿道に、タチアオイ2000本、カンナ300本、 そのほかコスモスの花など時期々に美しい花が咲き誇っている。
 丸畑さんが花を植え始めて、あしかけ15年。丸畑は今95才、今でも 元気に毎日のように雑草の草抜き、土の手入れに励んでおられる。
 今年初めて、丸畑さんが精魂込めて作られたタチアオイをみんなに知ってもらおうと、6月8日、9日の二日間、「葵祭」を開いたところ 5000人を超える人々が訪れ、赤、白、ピンクと咲き誇った花を鑑賞して くれた。
 このことは、新聞やテレビにも大きく報道されるとともに、広島市長から、平成8年ひろしま街づくり賞を受賞し、全国規模での、花のまち づくりコンクール委員会からは、平成8年花のまちづくり特別賞を受賞することになった。

 投稿者:げんさん


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