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鈴の法話  ----全てに愛を光と祈りを----1999.10月

してはならない事をやってしまう世紀末
    悪用される保険、人の命が金銭に換価される

               観音院 法主 鈴之僧正

 先日、広島空港から羽田まで飛行機に搭乗した際、待合室に千円
で四千万円まで保証するという保険を掛けてしまった。単純計算で
は航空機事故は四万回に一度以下となっているのだろうか。これは
別として、私にも寺が受取人と家族が受取人の生命保険が掛けられ
ていて、その合計額は大変なもので、死ぬと寺や家族に貢献するこ
とになる。生きている内に精一杯の事をして、死んで金銭的に役立
つとは何とも不思議なことで、私は保険を全部解約してもらいたい
と考えていますが・・・。

我が子に保険を掛けて死なせ
    保険金で借金支払いを計画する----

■和歌山のカレー毒殺事件は審理中で一審の判決も出ないうちにか
れこれ言うのは慎みたいが、伝えられるところは保険金詐欺の様相
が濃いと思われます。
 昨今、金融業者のフィリピン人妻と複数の人たちが絡んで生命保
険金詐欺がなされたような報道もあって、何とも複雑な成り行き。
 そこへ、長崎で高校生の我が子に睡眠薬を飲ませて、海で溺れさ
せて保険金の支払いを期待する母親が逮捕されてどう考えようか。

 保険は死亡・火災などの偶発的事故の発生の蓋然性が統計的方法
や、その他によって或る程度まで予知できる場合、共通にその事故
の脅威を受けるものが、あらかじめ一定の掛金(保険料)を互いに
拠出しておいて、積立金を用いてその事故(保険事故) に遇った人
に一定金額(保険金)を与え、損害を補償する制度の筈です。
 この統計的方法に自殺が計算されていることは間違いない。何故
なら契約後一年経過すれば生命保険金が支払われる。
 最近のように自殺者の増加で男性の平均寿命が下がるようなこと
は計算外かもしれない。もしも、そこまで計算済みで成立している
制度であるなら怖いことです。

 事業者の自殺の多く経済的苦境が原因で、保険金は債務の返済に
当てることを望んでいる。しかし他人に保険を掛けて自殺を強要し
て借金を払えといったものから、配偶者や親子に保険を掛けて事故
に見せかけて保険金を詐取しようという者まで現れるとは保険会社
も想定していないでしょう。

■事業主には債務があることは普通で、個人でも住宅ローンなどの
債務者は多い。事故や病気で万一死亡した時にはこれらの債務が保
険で担保されているのが常識で珍しいことではありません。
 いろいろと借金が重なり債鬼に追われるようになると、魔が差す
ように死にたくなります。
 加えて、事故死は病死の倍額の保険金が支払われる性質の保険も
あり、自殺に際して事故を装うことを誘発する性質もある。
 海外旅行などの保険は短期間で掛け捨てだから、支払う保険金に
対して受け取れる保険金は大きくかつ保険料も相対的に安い。医師
の診断も無く簡単に一人の人に幾つもの保険が上乗せ出来る。

 枕書きのように千円で四千万円の保険にも加入出来る。あの飛行
機搭乗者保険を掛けた私の心の動きは何だったのでしょうか。
 私は死んで保険金を残さなくてはならない立場には無い。万一の
時は「おまけ」のような遊びに近い考えで保険を掛けたのか。
 多くの旅行者は搭乗の都度に保険は掛けていない。万一事故が起
きていたら、私の手荷物は爆発物でも仕掛けて居なかったか厳重に
調査されるかもしれない。迂闊なことをした。四万回に一度では採
算は取れない。航空機事故は十万回に一度も起きぬかもしれぬ。
 であれば、飛行機に搭乗する都度に保険を掛けることは馬鹿馬鹿
しいことになる。これは甚だ恥ずかしいことをしました。


保険は相互扶助で大切な制度
       自殺や犯罪を助長しないよう----

 私は死は自然死であれ、事故死であれ、死によって金銭が給付さ
れることに反対です。
 自殺で保険金が受け取れる制度は良くないと思います。それでな
くても人間は弱いもので、魔が差しやすい、死ねば保険金で借金が
返済出来る。債務に苦しんでいる人にとって、保険制度は死ね死ね
と囁いているようにも感じます。
 その上、事故で倍額の保険金の給付が受け取れるなら、自殺では
なくて事故に見せかけた自殺をと考えるものいて当然です。
 自動車の転落事故死などは事故か自殺か、判別が難しい。踏み切
り事故も判定が難しい、自動車でなくても普通に高所から転落した
場合も自殺か事故か判定が難しいと思います。
 これらは事故倍額保証の保険金目当ての詐欺で、支払われたこと
もあるだろうし、中々支払われない場合もあると思います。
 発展途上国では、死んでしまえば仕方がない。詐欺ろうにも保険
会社が無い場合が多いようです。

 死ぬことは、寿命であれ、自殺であれ、同じだと思います。です
から、死は換金出来ないと考えるか、あっさりと自殺も事故死も同
じ扱いにすれば詐欺的事故を装った自殺は無くなるでしょう。
 保険金殺人なんて厭な言葉ですね。このようなことが考えられな
いよう、分不相応な高額保険金の契約を認めないような制度が出来
ないものかと願います。

 昨年末に郵便局の簡易保険が満額になって、利息が驚くほど大き
かったことを記憶しています。勿論税金の申告はしました。
 これは貯金のようなもので、毎月か、保険金を節約するために何
ヵ月か纏めて払い込んだりして、多分二十年満期くらいだったと思
うのですが、少しは小遣いにしたいと思っていました。
 で、現在は手持ちが無い。悪銭身に付かずの諺通りだけれど、悪
銭とも思いませんが、持ち付けないものを持つと失うという通説通
りになっただけです。
 保険金であれ、利息であれ、大金は人を惑わせることが多いよう
に思います。
 多くの保険金絡みの事件は学習性があるようで、以前に一度か二
度は成功し、三度目の悪事が多いように思います。そして偶然かど
うか保険会社の社員であった経歴が気にかかります。


不慮の事故に備えて保険を付けること
     完璧で無い人間の不手際を補完するもの

■賠償保険の付いていない自動車は欠陥車を運転するのと全く同一
の行為だと思います。
 車のエンジンの馬力、全体の重量、速度などは運転者個人の運動
能力の数十倍だと思われます。
 それが運転者の意のままに動くのですから、事故が無ければ便利
ものですが、運転者の居眠り、不注意、脇見運転、飲酒運転、時に
は恣意(しい)的な暴走などもあって、十分に注意していても事故
は起き、物的、人的な損害を起こす可能性の非常に高いものです。
 人身事故を起こした場合、大変に高額な治療費や慰謝料を支払う
ことになります。
 飲酒運転で死亡事故を起こせば実刑を覚悟する必要があります。
 事故は加害者も被害者も地獄の苦しみを味合うことになります。

 寺の車両運搬具は無制限の賠償保険に入っています。寺の職員が
飲酒運転をするようなことはありませんが、過失は予想出来ますが
損害は予想出来ません。
 顧問弁護士さんがおられても任せきりで片づくことは考えられな
いことです。加えて保険会社の弁護士も働いてくれますので、被害
者には過大でも過少でもなく社会的に適切な保証がされます。
 保険を十分に掛けて置くことは誠意のうちに入ると勧められてい
るからです。

▼ところで、当て逃げも犯罪行為ですが、当たり屋というとんでも
ない悪事を働く人たちもいます。
 走行中よりは発進直後に軽く車に触れて、ひっくり返って痛い痛
いと大騒ぎをして、長期入院、再三やれば当たり屋として検挙され
るでしょうが、殆どは当たられた方が加害者として人身事故扱いに
なり困ったことになります。
 このような費用も大半が保険から支払われることになります。


寺が加入している特殊な保険
        施設管理責任とか食中毒保険

■大勢の方が参詣されると、人の動きに全く予想が付かなくなりま
す。子供さんが墓所に遊びに行かれる、持佛堂の佛具に触られる、
燈籠に抱きつかれる…、寺の方の損害は別として、お子さまが怪我
をされたりした場合、適切な見舞いや治療費の支払いが必要になり
ます。二階の窓に全部手すりを付けたのは、普通ならば保護者が制
止されるべきことですが、墜落して死亡されると、施設を十分に管
理整備していなかった寺の責任が問われることになります。
 一ヵ月に二三度の割合で職員が飛んで行って注意をお願いするこ
とが起きています。全て保護者が付いて居られて放置されているよ
うです。美しい荘厳は危険が一杯と言っても過言ではありません。

 瑶珞(ようらく)は珠玉や貴金属に糸を通して作ったもので、み
佛さまの装飾や天蓋(てんがい)などに付けられています。糸の強
さは瑶珞を吊り下げるには十分ですが、子供さんが手で引っ張られ
ると簡単に落下破損します。
 最近は親の言いつけを聞かない子供さん、子供に言いつけられな
い親御さんが増えています。
 子供さんを健康に無事故に育てるには、知らない物には触らない
とか、高い場所に登らない躾けを根気よくされる必要があります。
▼お寺は不特定多数の方々が参詣されます。「ようこそお参り下さ
れました」というお寺の基本的な考え方と最新鋭の設備には矛盾す
る点があって、様々な注意事項の表示は好ましいと思っていません
が、ご理解をお願いいたします。
■寺の中で設備の不具合で怪我などをされた場合は改善のためにも
申し出て下さい。広い建物ですから十分に気を付けているようでも
改善点があるかもしれません。一層安全な境内建物を願います。


食中毒保険と清潔は別の問題
        安全な食品飲料の提供責任

■観音院の住職夫人は食品衛生責任者です。お寺で
一番に気を付けていることは食品の鮮度の管理です。続いて調理者
と厨房(台所)の衛生管理です。
 調理器具や食器の滅菌は割合に簡単なことです。むしろ調理者の
手の衛生管理の方は大変です。
 手は熱湯で消毒することは出来ません。手洗いの励行や使い捨て
ビニ手袋などの使用が大切です。

 台所には専用のウォシュレットのトイレが付いています。汗が出
ればシャワーを直ぐ使えます。
 布巾は一度使用で即座に洗濯機に入れて熱風乾燥をします。二度
使いはしない決まりです。
 食中毒を起こした場合に保険で担保されていますが「一本うどん」
や「厄除けソーメン」で、万一にも食中毒を起こしては面目が保て
ません。テレビや新聞で大恥をかくのは当然としても、お腹の痛く
なられた方に申し訳が出来ません。
 保険で治療費や慰謝料が払えても、お寺の立場はガタガタです。

 つまりは保険が役に立つようなことがあってはならない考え方で
台所は運営されています。
 瓶缶詰にも慎重で賞味期限を確かめています。しかし人間のする
ことは落ち度のあるもので、一昨日に市内中央の薬局で購入した私
の机の上に置いてあるハーブキャンディは賞味期限が九十九年六月
十七日までというような不思議なことも現実にあります。
 ナンセンスなことですが、あってはならないことが起きます。こ
のような油断に対して食中毒保険をかけているのです。
 病原性大腸菌O157の学校給食の食中毒事件が起きたころは、
日本中が衛生状態について過敏に反応しましたが、ぼつぼつ風化し
つつあるように思います。
 交通事故を起こさない、食中毒を起こさないこと、これらはみ佛
さまの教え以前の常識的教養のようなものです。
 相手の立場で考えること、これが慈悲の発露の源です。しかし、
食中毒を起こさないことは寺の職員の慈悲以前の基本的用心です。

 物を粗末にしないことも佛教の不殺生に相当する戒律を守ること
になりますが、賞味期限の切れた物を提供したり、ばら寿司などを
持って帰っていただくことは慎重に考えないと食中毒のお持ち帰り
になりかねません。大殺生をすることになります。

▼寺の台所に、衛生観念のしっかりしていない子供さんを入れるこ
とを禁じているのは大きな理由のあることなのです。ホテルの厨房
に子供さんは入れません。それと同じように考えて頂きたいのです。


※保険金目的で夫と我が子に睡眠薬を飲ませて海に落として溺れさ
せて殺した疑いで中年の女性が長崎県で逮捕されて取調べを受けて
いる。判決が出るまでは推定無罪の取扱いを受けるにしても、現代
の毒婦と言うに相応しい。不倫関係にあった男性と共謀してという
報道だが、何とも遣り切れない思いです。

※和歌山の毒入りカレー事件は劇場型で展開した異様な保険金詐欺
常習生活の夫婦だった。このような常識外れの保険契約が罷り通っ
た保険会社にも責任の一端があるように思われてならない。
 自殺が自殺を呼ぶことはよく知られた世間の傾向だが、保険金詐
取を目的とした犯罪が多発してはたまらない、防止は?

※保険は優れた制度で事業の安定や生活の保証に無くてはならない
制度だが、決して保険金の受け取り額が支払い額を上回ることは無
い仕組みになっている筈。保険の制度は非常に分かり難い。契約書
に印刷された文字はどれもこれも虫眼鏡で見なければ読めないほど
小さい。胡散臭い点もあるが必要な制度。

※寺の台所が業務用で、厳重に衛生管理がしてあることは大切なこ
とです。一番つらいことは、皆が食卓を囲んで家庭的雰囲気を出せ
ないこと。住職さんも家族的な環境で食事をされるには自室でとい
うことになります。私も台所で食事はしません。
 「清潔」はプライバシィの概念と馴染まないような厳しさがある
と思います。


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鈴の法話9910-2

リストラ−restructuring−って大変な時期ですね
   これは、どのようにしても人の怨みを買うことに

■短期債務を長期債務で置き換える債務の再構成。主として企業買
収・合併・分割などの手段によって、事業内容を見直し、再編成す
ること・・・なんて辞書に載っていましたが、複雑な人間の心の動
きが付いて回ります。
▼大手の三つの銀行が一緒になって世界有数の巨大金融機関になる
とか。広島なんか三つも支店は要らないから一つにして、支店長も
一人、電算機の端末も三分の一、使わない店の費用は節約。
 人員は三分の一で済むかもしれないけれど、取りあえずは半分く
らいにでもするのでしょうか。
 来年からは裁量労働性が導入されるそうですから、年功序列賃金
は期待できません。
 取引先も選別されることでしょう。企業や個人も取引銀行を選別
出来る自己責任の時代ですから、両者とも待った無しの関係です。
 大手自動車メーカーも外国企業と関係をもって外国人の社長や副
社長が就任して、コストの削減の大合唱。削減には痛みが伴います
ので、怨みやつらみが積もりますね。今までの人間関係や思い入れ
なんか零点、付き合いも零点、過去の功績も零点。
 要はどれだけコストを低廉に出来るかだけが評価の対象。約束を
守るなんて当たり前の世界。
 で、点数が上がらなければ格下げから雇用契約の解除、取引の停
止なんか、徹底した制裁的対応が待っていますから、排除された人
は怨み骨髄に達します。結果次第では自然死か殺人でも起きかねな
い雰囲気だと思います。

■話は変わりますが、私は六十六歳、リストラされないように頑張
らなくてはと一生懸命に努力しています。
 私の言い分としては色々あります。私財も投げ打って寺に尽くし
ましたし、この十年間一日も休みを取っていない。頭を使い、身体
もボロボロになるほど働き、常に寺のことを思って来ましたなんて
ことを申し上げたら、世間ではリストラの対象になりますね。
 過去の功績は功績、それは済んだことですし、功績を積める幸運
があったと解釈するべきです。
 身体の手入れを十分にしていて健康は三十歳並、仕事も三十歳並
にやれます。役に立つ内は置いて下さいとお願いすべきです。
 寺に居させてもらうことに感謝し、喜んで働かせて頂きます。勉
強もまだまだやります。どうぞ一日でも永く置いて下さい。
 なにせ刻苦精励、剛健弘毅、質実勤勉、団結奮闘、報恩積善、持
戒堅固を誓約していますので多分大丈夫と思うのですが、皆さんの
お寺ですから、皆さんの代表である評議員会や責任役員会が駄目だ
と言われたら一巻の終り、リストラとはそのようなものです。


資本と市場の論理と規制緩和
      人間の情なんて全く考慮せず

■お米が二十四時間経営の店で買えるようになり、お酒も煙草もそ
こら中で売っています。
 規制緩和は相当以前から静かに行われていました。福祉の面での
介護制度も会社が参入出来るようになりつつあります。病院も同じ
ことです。アメリカの巨大医療機関が日本に進出し、日本の医療機
関がその会社に系列化されることが進んでいるのです。

 皆さんのお寺もリストラの波の外にいることは難しく思われます。
 最低五百以上の門徒を持つことや、住職さんの寺との関わり方、
例えば兼職なんかすると声無き声が「あんな住職いらない」と大合
唱になります。
 結果として過疎の街から寺が消えて行く、都会の場合ですと不動
産業とか、住職さんが法要から遠くなるほど事態は深刻です。
 ものを言わない寺、教えを説かないお寺は静かに消えて行く運命
にあります。

 観音院では二十四時間ご本堂の本尊さまが拝めます。トイレは毎
日丁寧に掃除します。法要は毎日少なくとも三回執行されます。
 毎週月曜日にはテレホン法話を二本の電話で流します。毎月B5
版カラー三二頁の観自在を発行して約二〇年になります。
 私は毎日「十善戒」を解釈し続ける事に没頭しています。世間の
動きが十善戒でまとめられないことが日々起きています。

 観音院には沢山の信徒さんがおられます。名簿に名を連ねるよう
な水準で約十万人、比較的に篤い信心を持っておられる方が約一万
二千人、生きる上で頼りとされている方が千人くらいでしょうか。
 寛恵住職は五十そこそこ、次の住職に内定しておられる方は四十
そこそこ、僧職の資格を持っている人は現在約百二十名です。
 九月六日現在の観音院は、総資産は六億八千四百五十二万六千二
百三十四円、内、流動資産は五千九百八十一万九千三百五円、借入
金はありません。
 観自在社は全額観音院の出資で資本金四百万円、流動資産五百四
十九万二百八十七円、その他の資産が九十五万二円、借入金はあり
ません。社長は実務を担当する田川純照さんにお願いしています。
 寺が受け継がれて行くことは、常にリストラを行いながら、次の
態勢を調えて行くことに外なりません。一番困難なことで、かつ責
任あることは、将来を見据えた目が必要となるわけです。
 東京に事務所を置いたのは次世代へアンテナを立てることが最大
の目標です。

 観音院の歴史を見ると、合併吸収したり、不動産を処分したり、
また買い戻したり、境内建物が焼失したり、再度建立したり、四百
年間には関係者の並々ならぬご苦労があったと思います。
 全ての事業や組織が、伸ばしたり引いたりして再構築しながら、
無事に再構築出来れば存続し、再構築出来なければ消失して行くの
は人間の生老病死と同じです。

 寺の僧侶については、不文律があって、不祥事を引き起こした場
合は「から傘一本」で叩き出されることになっていました。
 幸い、現在の観音院は経理と運営を公開し、適切でない業務の執
行がなされた時は役員会を招集出来る強大な権限をもった監事制度
が機能していて、不祥事の起きようがありません。
 また、金銭に関しては、職員が適切でない支出をした場合には、
その金額の倍額を賠償する「職務公正執行保証供託金」があり、他
の寺院に例を見ない厳格さです。


組織の内容を点検し、無駄を省くこと
      必要に思えて不必要なものは沢山ある

■十数年前、観音院には車両が十台ありました。これは思い切って
一晩で全部廃車にした経験があります。廃車にした理由は職員が使
う車の格、クラウンよりはベンツが良いとか、一部では誰も乗らな
い車があったりしました。
 車には用途があって、遠距離用のバス、荷物運搬用のバン、田舎
の悪路に耐えるもの、それに私や住職が私用で乗ることを考慮した
ものなどがありました。
 寺は平等ですから、どの車を誰が使用しても良い決まりでした。
 ところが、見栄を張る職員もいて、親戚に遊びに行くのにベンツ
を持ち出す、親戚の人は大切にしてもらっていると思います。
 それくらいなら問題はありませんが、特定の車に執着して、独占
的に使おうと考える者が出て来ると確執が生じます。
 車両が必要なことは分かっていたのですが、教育的意図で一夜に
して全部を無くしたのです。
 これは思い切ったリストラの一種ですが、職員にとっては衝撃的
な教育効果があり、物の本質を知る上での教え方ですが、一面では
思いやりに欠ける方法だと思って済んだことですが胸が痛みます。
 現在、クラウン、トヨエースバン、ムーブがあります。個人の車
両が二台別に置いてあります。
 出掛けている最中に、私的な用事である場合は、一度帰って来て
から車を乗り換えて出るのが本当なのです。
 公用で行った近くに私用の場所がある場合など、時間的にも資源
的にも不経済なことになります。
そこで個人購入した車を費用持ちで業務に提供し、その負担を担保
として公私を混同しています。
 車両伝票が几帳面に処理してあるので、伝票で公私を按分する方
が個人負担が少なくて済むのですが、米櫃の米と同じで、どれだけ
個人が食べたか計るのは難しく、大目に負担して置けば良いだろう
という考え方です。


リストラの前に考えること
       人と物に対する「思いやり」

 リストラは兎角「思いやり」を欠きがちなもので、人間に対する
配慮を疎かにすると、十善戒の「不殺生」に該当することになり、
予測出来なかった悪い結果を呼び込むことがあります。
 不殺生は生かして人や物を使うこと。人に安心して住める場所と
仕事を与えること、物を粗末にしないで使い切る考え方です。
 例えば永年住み慣れた家も月日が経つとあちこち具合が悪くなっ
て来ます。
 天井裏には大きな木組みの梁が乗っている。床の間には黒光りす
る大黒柱がある。しかし隙間風が入って来る。もうそろそろ立て替
え時期、このように判断して大工さんに相談すると、全部取り壊し
て更地にして、コンクリートの土台で耐震構造で立て替えましょう
と設計図を見せられる。
 昔の建物は手入れさえ良ければ二百年も三百年も使えるような立
派なものがありますが、このような建物は使い勝手が悪い。
 事と次第では重要文化財になりかねないような建物が文化住宅に
立て替えられる。
 リストラがこのような運びでは本当に困ったことになります。
 生き残りと利益を追求して組織を再構築する、生き残りも利益も
本来は人の幸せのために求められるものであるべきですが、多くの
人の仕事を奪っているようです。

 史上最大の失業を生んでいますが、リストラをしないと、もっと
大きな損失を生み、更に多くの失業者を出すことに繋がるそうです
から、無闇に情を説くことが出来ない難しさがあります。
 2001年からペイオフがなされるとかで、金融機関が行き詰ま
ると、預金が幾ら預けていても最高で壱千万円までしか保証されな
い。それも当座は二十五万円しか引き出せなくなるとのことで、信
徒の皆さんに非常に大きな不安が起きています。
 預けたお金が安全に保管されて、何時でも引き出せるということ
は、「嘘をつかない、約束を守る」という「不妄語・不綺語・不悪
口・不両舌」などに示されている大切な人間としての契約です。

 それが自己責任で「どこが信用出来るか判断しなさい」などと言
われても普通の人には判断すべき情報が有りませんし、情報を分析
する能力が有りません。
 金融機関の合併や倒産などは、一般庶民には判断の仕方が無い秩
序の崩壊です。
 一方では金融機関の不良債権や犯罪的資金の運営が表面化しまし
たが、金融機関の不祥事は監督出来る権限のあるお役人の責任です
ね。それを自己責任という言葉で世間に責任転嫁することは如何な
ものでしょうか。
■アメリカで401型年金とかいう制度があって、自分で運用を決
める年金が日本にも導入されるそうですが、膨大な情報と分析判断
機能をもった金融機関に対して個人で判断して運用に自己責任を求
めるのは、老後に備えて宝くじを買えと言うのと極似しています。

▼多くの企業が分割されたり、合併したり、大きくなることが良い
のか悪いのかさっぱり理解出来ません。私たちの知らないところで
知らない論理で、物事が決められているように思えてなりません。

■物事が起きる時、起きた時に、情報を持っている人には、大きな
説明責任があると思います。
 リストラには情報開示と説明責任が保証されなければ、詐欺同様
なことになります。
 世間の動きが殆ど政治の世界の合従連衡のように思えることがあ
ります。
 当事者にはそれなりの理由が有ることでしょうが、外部の人間や
世間からはよく分からない、そのような状況で月日が経って、気が
付いてみたら世間はすっかり変化していた・・・。
■世の中が変化し、移ろい行くのは当たり前のことですが、政治が
非道な傾向に進むことは、決して歓迎出来ないことです。
 総理大臣は民主主義は「数」だと言っていたけれど、これは間違
いです。
 幾ら強大な与党を拵えても、来年の気候を温暖にするような法律
は制定出来ません。人の情けとか自然の動きまでは政治で動かそう
とするのは不可能です。
 公明党は大きな分母を有する政党で、その主張と政策は尊重され
るべきです。従来の犬猿の中から和解の方向へ向くことは良いこと
だと思いますが、自民党と自由党の連立ならともかく、公明党に閣
内協力を求める連立は、利用の仕方が適切で無いと思います。
 正しいことか、間違ったことであるか、直ぐに分かることで、こ
のようなことも有ったと記憶して置くべき出来事です。次の総選挙
の結果がどのようになるか見極めてみたいものです。

※情に縋って生きて行こうとしたら裏切られたような思いをする
時世になった。病める人には早く健康になって欲しいと願うのが
普通の考え方であったが、体調の不調を言うと退職者のリストに
入れられる。会社も同様で何処かに欠点が有って、それを治した
い言えば融資も止まるし仕事も来なくなる傾向に。

※寺の運営も議事録や経理の公開、情報開示、情報説明の努力を
忘れては信徒の皆さんの支持を失う時代になりつつある。
 宗教法人は税制で優遇されている公益法人であり、公開経営は
当然の義務と考える。寺には厳しい守秘義務を伴う信徒さん情報
があるが、公開経営で守秘と公開の線引きが明瞭にされる。

※寺は僧侶が皆さんから預かっているものであり、恣意に物品を
使用したり処分することは出来ない。
 物を大切にする上で、手作業でやることは厭(いと)わぬが、
時間とOA機器などの費用の比較が大変に難しい。特に昨今のよ
うに進歩が日進月歩であると、機器の代替えの判断は大変で取捨
が難しくなっている。

※世の中の動きについて出来るだけ正確な情報を提供するのは、
僧侶の義務の一つだと思う。ところが、金融と情報の技術は要素
が多過ぎて判断が難しい。
 政治については、投票率が示す通りに関心が希薄となり、その
原因の一つは政治家の信念や節操の問われかねない合従連衡にあ
るように思われてならない。

Kanjizai index990999-11

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