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鈴の法話 ----全てに愛を光と祈りを----1999.7月
自分の健康に注意し、慎重に過ごすこと
自分の身体だから自分の勝手にとはいかない
観音院 法主 鈴之僧正
歳月の経つのは早い。未だ三十歳くらいの若い気分だが、気が付いた
ら満六十六歳。年金を支給され、老人保健法の健康手帳をもらい、映画
館が小人料金となり、美術館や博物館が無料になった。各区役所に「健
康長寿課」というものがあるらしい。何の仕事をしておられるのか見当
が付かない。健康手帳は約七十頁もあって大きさは葉書くらい、税金の
無駄遣いの見本のようなものだ。厭でも老人と決めつけられるようで気
色が悪い。どのように加齢と共に変化するか時に報告させて頂く。
一番気になるのは若い人の将来
自分のことは忘れ勝ちなもの
▼二十一世紀は大変だろうな。高齢化社会で働く人たちの負担増に
なるだろう。技術の革新に付いて行けない人や取り残される人たち
はどうするのだろう。
選択型の自己責任による変動型の年金制度が日本に馴染むのだろ
か。このまま少子化が進むと八十年後には日本の人口が半分になる
らしい。どれも私自身には関係が無いようで、一番心配なことばか
り、元気で生きていて相談に乗って上げたいようなことばかり。
私自身は一年に五回くらい健康診断を受けて、何処も悪いところ
は無い。加齢による衰えも感じられない。
その上、み佛さまに守られて心配事が一切無い。脱税して無いの
で税務署からあれこれ言われる心配も無い。法律違反は道路交通法
を含めて違反しないようにしているのでお巡りさん来る心配も全く
無い。借金をせず、月賦で物を買わないし、手形も切らないので、
債鬼の来る心配も全く無い。
■悩みは、自分の心の中から出て来るもので、出来ないことを計画
したりすると忽(たちま)ち苦しむことになる。
欲望は持たねば良い。格別に食べたい物もないし、行きたいとこ
ろも無い。欲しい物は何も無い。誉められようとも、讃えられよう
とも思わない。見栄も虚栄も今更張ることも無い。地位を求めず、
役職も関係無い。
何にも欲望が無いから、何もしなくても良いのだから、あれこれ
考えることも無い。
だからと言って無謀なことをしたり、怠惰であったり、道徳に背
くようなことをすると厄介なことになる。面倒は御免だ。
で、慎重に事故を起こさぬように、自分で出来ることはコツコツ
とやってのけて、出来るだけ他人に迷惑を掛けぬよう暮らして行く
と心が楽だ。ストレスも無い。
■先日、風呂場に全自動の洗濯機を設置した。私の使うタオル、手
拭き、肌着類を風呂上がりに放り込んでセットすると二時間ほどで
綺麗に仕上がる。
これで周りの人の手間がひとつ減った。慣れれば何でもない。
食べ物もローソンやセブンイレブンで買って来て冷蔵庫に貯蔵し
てという手があるが、やらない。そこまでやると周囲の人や家族と
人間関係が壊れる。
■夜中に徘徊したり、車を運転したりしない、迷子になれば心配を
掛けるし、事故を起こせば相手の迷惑、慎重にすれば困らなくて済
む。これは快適にする考え方だ。
■死ぬということも心配といえば心配だが、実は一切心配していな
い。死ねない方が怖い。好奇心は旺盛な方だけれど、「死」を体験
したいとは思わない。帰って来て死の旅行について語ることが出来
ないからだ。誕生日や成人式と同じように「死」もある。努力しな
くても向こうからやって来る。
死に際して身辺の整理をして置かなくてはならないが、これは無
理と言うもので、生まれてくる赤子のために産着(うぶぎ)を用意
する程度のことしか出来ない。
どうしても「死」について述べよと言われたら、死ぬ時に考えて
まとめると返事したい。
あの世はどのようになっているか
明確に説明することが出来ない
■死んでしまえばカルシウム、と軽口に言う人もいる。霊魂は脳の
働きであり、脳が死ぬと霊魂も死ぬと言う人もある。さまざまな死
後の無霊魂説がある。しばしば無神論と一緒にされるが、それほど
深く考えたものでは無く、見えない、触れない、計れないものは信
じないと言う立場の人が多い。
■死後は天国にと言う説もある。神・天使などがいて清浄なものと
される天上の理想の世界。キリスト教では信者の霊魂が永久の祝福
を受ける場所・神の国で、比喩的に「歩行者天国」などと日常語と
しても使われている。佛式の葬儀の弔辞で「天国に行った」と亡く
なられた子供さんのことを言われて僧侶が困惑することがある。佛
式であるならば、御浄土というのが望ましいが、、、
「天国良いとこ一度はお出で、姉ちゃんは綺麗で、お酒は美味い」
は駄洒落に近い。
▼天国に至る過程に煉獄(れんごく)と言って死者が天国に入る前
に、その霊が火によって罪を浄化されると信じられている場所もあ
る。永劫(えいごう)の罰責をうける地獄も説かれる。
■佛教の極楽には多少問題があって、女性は極楽に行けないそうだ。
女性が死んで、変成男子とか、要するに、み佛さまのお陰で男子に
なって極楽に行くという。これは少し困った考え方だ。四季も昼夜
もなく、犬猫も極楽にはいない。存在するものは全て黄金で、痛み
も無ければ快楽も無い。
▼地獄については被害妄想の類で呆れるばかりに色々な地獄が用意
してある。極楽も地獄も絵空事が多く趣味が悪い。
■もう一つのあの世に輪廻(りんね)がある。死んでから、又この
世に生まれ変わって来ることを繰り返す考え方で、前提として霊魂
の存在を認め、前世や来世を肯定するもので、終りが無い。
■いろいろな死後の世界が想像されているが、光のトンネルもお花
畑説にも同意出来ない。
■あの世がどのようなものであろうと、有ろうと無かろうと人は必
ず死ぬ。私はあの世は在ると考えていて、輪廻説を支持する。死ん
でも直ぐには往生(おうじょう)しないで、あの世で迷っている人
を探して行く先を教えたり、死んで来る人の冥土(めいど)の道案
内をする。だから死んでも働くつもりでいる。
古代インドの佛教説話「ジャータカ」
釈尊が前世に菩薩であった時の善行集
■古代インドの佛教説話に、釈尊が前世に菩薩(ぼさつ)であった
時の善行を集めたパーリ語のジャータカ(約五五○話)や、漢訳で
は六度集経(ろくどじっきょう)などがある。絵画・彫刻などの題
材となり、一部は紙芝居などにもされて昔の子供に広く親しまれた。
本生譚(ほんしょうたん)。本生経とも言う。
▼有名な話は、捨身飼虎(しゃしんしこ)の話で「飢えた虎に我が
身を与える」図で、中国の敦煌(とんこう)の千仏洞(せんぶつど
う、莫高窟=ばっこうくつ)の壁画や法隆寺の玉虫厨子に描かれて
いる。
▼佛教説話は慈悲と輪廻で綴られているように思う。実際問題とし
て、飢えた虎がいるときに、我が身を与えることが出来るか否か自
らに問うてみたが答えは難しい。
▼「捨身」とは修行・報恩のために身を犠牲にすることで、生命を
捨てて三宝を供養したり、飢えた生物のために身を投げ出したりす
ることだが、何も要らない、もう満足した境地にいるはずの私が、
佛教説話の捨身飼虎の一話にすら及ぶことが出来そうもない。
せいぜい、ドナーカードを持つぐらいのことは出来る。
■財物に執着することを断つのは易しい。病気で死ぬことも、事故
で死ぬことも怖く無い。献体くらいは何でもない。だが、ジャータ
カに描かれた捨身飼虎の話は無条件では受入れ難い。
▼僧侶が佛教迫害などに焼身という方法で抗議を意思表示する場合
も捨身に当たる。
あるいは、出家に際して高い崖の上から、佛法に役立つものなら
と飛び下りて、それをみ佛さまが救われて云々と言う話も聞くが、
現実的とは思われない。
■捨身飼虎にしても焼身供養にしても、凄まじく残酷な説話を示し
たものだと思う。飢えた虎に我が身を与えて、その場の飢えは救え
るけれど、子供を持った虎は何度も腹を空かす。
動物園で牛馬だか何だかの生肉を引きちぎりなが食っている虎を
見たことがあるが、あの虎の餌になることが「慈悲」だとしても私
は御免だ。
死ぬことも、痛みにも耐えることは出来るが、虎の餌になること
に何かの意味を見出すことは大変に難しい。
▼その行為が無意味であるだけに残酷で苦痛を伴うものであるだけ
に、期待しないで与えることの極致のような純粋性は認められる。
このような善意は日常では決して体験することも見ることも出来
ない。では何故と疑問が残る。
■捨身飼虎の説話について、いろいろ考えてみたが、結論として私
にも出来ないことはない。但し、あの世があると言う条件で輪廻の
一回だと思えば可能である。
▼死ぬことは厭なことだが、その時がくれば仕方が無い。それぞれ
自分の考えや信仰によって死ぬことになる。
※「捨身飼虎」はサッタ太子本生図の一部で、内容が布施の極致
を表現していて有名である。サッタ太子本生図は釈迦の前世の善
行の様子を描いたもので、著述者は不明。佛教の伝播(でんぱん)
に伴って世界各地に伝えられ、「イソップ」や「アラビアンナイ
ト」などの寓話文学、我が国の「今昔物語」などにも深く影響し
ている。
好奇心と行動力と冒険
気分を若く保つことが大切
■加齢と共に身体の所々に疲労が出て来る。皺は深くなり、皮膚に
艶が無くなり、関節の動きは遅くなり、周囲の出来事に敏感に反応
出来なくなる。
覚(さと)らなくても、食欲は衰え、色欲も無くなる。手に入る
ものと入らぬものとが分別できる。出来れば環境が激変しないこと
が望ましいが、昨今の世情の変化は目まぐるしい。
▼加齢と共に気を付けたいことは服装の若作り、身体の清潔、皮膚
の手入れ、老人臭はあるもので、オーデコロンなどで消すとよい。
人の中に出るように努力する、適当な遊びなどが大事になる。
▼高齢者として是非とも持ちたいものは「美意識」と「頑固さ」。
私は金襴の法衣を嫌悪している、僧侶は清貧であるべきと言う理由。
頑固と言うことについては自信が無い・・・。
▼私は十年来断ち難い夢のような願望がある。HONDAのバイク
でシリンダーが楕円形の高出力のものがある。
これを皮ジャンを来て、飛ばそうとは思わないが、ゆっくりとし
た旅に出たい。本音で言えば時速二百キロくらいで走りたい。
六十代では三十歳引いて
若い気持ちを持ち続けたい
■私は現在六十六歳だから三十歳引いて考えると三十六歳と言う計
算になる。計算は別として三十歳そこそこの思考や行動の日常であ
りたい。加齢と共に動脈硬化とか「目」、「歯」、「マラ」と多少
の支障はあるが、通常のことをする上で、これらは関係が無い。
▼人生五十年と昔は言っていたが、最近は人生八十年から九十年と
考えても良いくらい長生きだ。
その内に皆さん百歳くらいが普通になるかもしれない。定年はい
ずれ六十五歳になるだろうが、七十歳にしても良いと思う。
平均寿命が延びているのに定年が延びないのはおかしい。
三十歳年齢を引いて考えるのは五十歳以上の人で、四十歳代では
二十歳、三十代では十歳引くと丁度良い。
年齢を感じるのは、健康状態の加齢による異変を察知することに
外ならないが、多少の無理を重ねた方が体力維持のために良い。
■実際に七十歳を過ぎてスポーツカーに乗っている男性も知ってい
るし、四十歳にしか見えない七十歳の女性も知っている。
配偶者を亡くされて落ち込んでいる人が、次第に元気になられて
再婚を考えられる場合がある。このような時には見るからに若くな
られている。子供たちが再婚に反対されて諦められる例も知ってい
るが、このような場合の老け込みは気の毒だ。
年甲斐も無くなんてよく言われる言葉だが、これくらい高齢者を
貶(おとし)める言葉はない。
その内に私も魔が差してHONDAのバイクを買って、パリッタ、
パリッタ、バリバリと乗り回すかもしれない。
法定速度を守って、模範的に運転をすれば批判はされないと思う
のだが、どうだろうか。
※いい年をして若い人に迷惑を掛けたくないという考え方もある
が、むしろ、若い人が年寄りに面倒を掛けたり、老後の蓄えを出
させるような例が多い。年寄りの悩み事の多くは子供や孫のこと
で、同情して涙が出る。神も佛も無いものかと言われる気持ちが
理解出来る。皆さんを幸せにするには世直しに近い。
※誰もが一度は経験しなくてはならない「死」について、何故か
真剣に考える人が少ない。臨終にあたり、どのような「あの世」
へ行きたいか希望を述べる人も少ない。それにしても葬儀の費用
は大きくなる一方だし、お寺さんに対する布施も相場が出来てき
たりして大変な世の中だ。皆さんの立場で考えたい。
※若い心は優れて尊いと思う。夢や希望や好奇心、冒険心などを
失うことは、慎重な老人になることかもしれない。多少の失敗を
することや周囲に迷惑を掛けるようなことがあっても、若い心を
大切にしたい。高齢者であることを理由として後ろ向きに生きる
よりは、間違い多くともプラス思考で生きて行きたいもの。
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物事を善意に受け取る時に自らが清められる
悪意に解釈する時に周囲から疎まれ家族を失う
悪く解釈すると生きづらい
善意に解釈すると楽になる
■多くの人は他人から善い人だと思われようと努力しておられる。
善いと思ってしたことも悪く解釈すれば際限が無い。悪く悪く解
釈する人は自分を被害者で善人だと思っておられる場合が多い。
▼困り事相談で多くの人から寄せられる相談には「無理矢理、悪人
にされて対策の打ちようが無い」最悪の場合がある。
人間が生きて行く上で、よくもこれほど悪く解釈出来るものだろ
うかと呆れかえるほど、何もかも悪く解釈されては、残念とも無念
とも受け取りようがない。
酷い場合は、侮辱そのもので、人間性の尊厳を冒すほどに悪意に
満ちていて、相手に対して殺意でももっておられるのではないかと
疑うような場合もある。
遠くの他人なら無視することも出来るが、近所の人や最悪の場合
は兄弟姉妹親子間などで、近所や近親が憎悪しながら生きて行かれ
るのは地獄だと思うことがある。
■この地獄は一人の人の悪意ある解釈から生まれる。常識も道徳も
道理も通用しない、愛情をもってしても妥協も得られない。善意で
したことも全て悪意にすり替えられる。関わりを持ったのが凶事の
始まりで、前世では仇同士であった者が隣近所に住み、あるいは肉
親として存在する苦痛としか考えようがない。
▼察するに人間の形をした魔物か鬼とでも表現すれば当事者の苦痛
が理解出来るかもしれない。
であるならば、対策は逃げて逃げて、逃げ回るか、触れ合うこと
が一切無いよう黙殺するか、それしか道は無いように思える。
話し合いは無意味無駄な努力
論理が通じない場合は逃げる
■言語に理解力が無い場合は残酷なことになる。苛められて大きく
なった野犬と同じような人もいて言葉が通じない。野犬に慈悲が通
じるか否か、考えてみれば結果は明白です。但し、その人が世間か
ら受け入れられ、多くの人から愛されている場合には反対に自分が
野犬のように思われている可能性もあり、微妙なところです。
人が多くの人に常識的な態度をとり、あなただけを苛めるのであ
れば、問題はあなたにあるかもしれない。向こうがこちらを論理が
通じない相手と判断している時は根が深く、人間関係を修復するこ
とは不可能に近い。
▼善意は如何なる悪意を清めることが出来ることについては確信を
もっているが、場合によっては長い年月が必要で、途中で投げ出さ
ないことが大切。深い愛情と適切な対応が欠かせない。善意で尽く
しても裏切られることなど再三のことで、どのようなことがあって
も愛想を尽かさぬ決心が必要。
▼善意で悪意を清めるに付けては人間は余りにも弱い。親兄弟姉妹
の関係にありながら、刃傷沙汰になることもあって、稀には自殺に
至った例もある。断固とした愛情と、加えて信仰をもつことを勧め
たい。それでも個人差があって、必ずしも上手く行くとは限らない
ことを知っておくべき。
▼如何なる悪意を受けても暴力は抑えなくてはならない。切れるこ
とは「魔が差す」ことであり、魔が差さないようみ佛さまに縋(す
が)るしかない思う。
▼理解の手掛かりになるかも知れないことは、悪意が生ずる原因と
して「努力しても追いつけない場合」や「理解の能力を超えた、説
明出来ない心の傷を相手が負っている場合」があること。
■いろいろな場合が想定することが出来るが、多くの場合は「悪意
をもつ方が弱者」である。
悪意をもつと、相手にも悪意をもたれるのが普通で、悪意を表面
に出しやすい性格は嫌われたり黙殺されたり、辛い過去をもつ。
悪意を超える戦争や紛争
リストラや景気の悪影響
■善意で清められないものに戦争がある。ユーゴスラビアのコソボ
自治州のセルビア系住民の浄化を期待した紛争は二十世紀最後の紛
争だったかもしれない。
コソボのアルバニア系住民約八十万人は住居と職場を追われて難
民となり、多くの人が虐殺された。
セビリアとアルバニアは民族が異なり、宗教も異なる。両者とも同
民族間には善意が通用する。
それが混在することを拒否して一方の民族に対して住居を焼き払
い、多くの男性を殺し、戦争で予想される多くの悪事をなした。
アメリカを主導者としてNATO軍はセルビアを空爆し、道路や
橋梁、水道や電気、多くの民間工場は壊滅的に破壊された。
この紛争はユーゴの降伏的条約の調印で幕を引いたが、復興には
数十年の歳月と膨大な費用が掛かり、人道主義的な見地から各国の
援助も期待出来る。
■インドとパキスタンのカシミール地方の帰属を争う紛争も根深い
ものがある。両国とも核兵器を開発し、ミサイルを打ち上げて相互
に恫喝している。
アフリカには民族間の不調和で現在も十五ケ所で紛争中である。
地域的に不便なことや、マスコミの目の届かぬ所で戦闘行為がな
されている現実がある。
平和のため善意のミサイル
そのような兵器は存在しない
■ミサイルの全ては物を破壊し、人を殺傷するためにある。善意の
地雷などある筈も無い。
人間の心には善悪共にあって、善意の発露が望ましい。しかし、
心は、善意と悪意の間で揺れ動いているのが実際であろう。
それが、核兵器やミサイル、地雷などと物に変化した場合には、
悪意として固定してしまう。
▼広島に原爆を投下したことは平和を招くために必要であったと言
う人たちがいる。
平和とは、善意の発露の精華である。原爆の炸裂のどこに善意を
感じることが出来ようか。兵器は全て悪意そのもので大規模、かつ
国民の総意で調達される。軍隊は国連の決議に基づいて平和維持を
保証するために駐屯する場合もある。
軍隊の多くは日本のように自衛のためでは無く、周辺諸国に対す
る悪意の発揚と思われても仕方がない。
▼軍隊と兵隊と武器は悪意を表明する場合しか使い道が無い。どの
ように名称を変えても、善意で清めることの出来ぬ悪意である。
定年とかリストラで職を失う人たち
理屈も事情も理解出来るが気の毒
■六十五歳や七十歳は現役で働ける知能や体力をもっておられる場
合が多い。それを六十歳前後の定年で退職させられる制度は現実的
ではない。
事業の再構築で退職に追い込まれた人も気の毒である。定年制は
高齢者に対する悪意である。
リストラは「残るも地獄、去るも地獄」などと言われることがあ
るが、残る者のための去る者への悪意に外ならない。
人間万事塞翁が馬と言う便利な諺があって、過ぎ去ってみれば、
何が善いことにつながっているか分からない、その時に良くないと
受け止めたことも良いことにつながっているという考え方は甘い。
される事、受ける立場、何もかも裏目、裏目と悪い方向に物事が
向いてしまう不幸な人もある。
▼定年六十歳は働きたい人にとっては悪意としか思えない。中には
六十歳まで働いたからもう良いと言う人もいるだろう。
▼数字とは不思議なもので、懲役三年の判決を受けると長い苦労と
受け止めるのが普通。その三年も後一月で勤め上げる事態では一日
一日が待ち遠しくてならない。
▼男性の失業率が五%になったのも経済機構からの悪意ある数字で
す。十%が五%に改善されたのではなくて、段々と悪い数字になっ
ているわけですから。
▼住民基本台帳改正法ではどうやら国民全部に背番号が付きそうで
す。電算機を統合すれば、個人の番号を入れれば、貯金残高から所
得、病気歴、犯罪歴なども漏洩しかねない。事務処理上は自然な成
り行きですが、お役所が信用されていないのでしょう。個人のプラ
イバシィを保護する上で大変なことが起きつつあります。
▼一月から三月の日本国民のGDP(国内総生産)が三、九%に回
復したそうで、これは信じられないような良い数字です。
▼長銀の旧経営陣が粉飾決算や商法に違反する配当をした疑いで逮
捕されましたが、不良債権が八千億円、これは私服を肥やしたとい
うような性質ではなくて、嘘の上に嘘を重ねて、株主や投資家、社
会などに迷惑を掛けたもの。
▼ハワイは空が澄んでいて各国の天文台がありますが、ここに建設
され、稼働を始めた日本の天文台が、百億光年も遠方の銀河を五個
も発見したそうです。
これは慎重に判断しなくてはならない数字です。百億年も昔の出
来事がやっと地球に届いた、光は一秒間に三十万キロも走る、それ
が百億年も掛かるほど遠くから届いたという事実です。
■私たちの銀河系は太陽を含む多数の恒星などの集団で、直径約十
五万光年の天体で、その質量の大部分は二千億個の恒星が占め、古
い星は球状に、新しい星は円板状に分布。直径約十万光年の円板部
には星間物質があって渦状構造をなし回転運動をしているそうです。
晴夜見えるすべての恒星と天の川は、銀河系の円板部の太陽近傍
の様子で、銀河系の中心は、天の川の射手座の方向約三万光年の所
にあるそうです。そして銀河系は日々膨張しているそうです。
▼星については知識があまりありません。近代科学の発展はキリス
ト教にとっても佛教にとっても教義を覆すもので、悪意を通り越し
た事実ですから始末が悪い。
■数字そのものには善悪は考えられない。しかし、人は数によって
善意も悪意も、出来事も受け止め、幸いを予想したり、不幸であった
りするようだ。数字には不思議な性質があるようで、慎重に取り扱
う必要を感じます。
国旗は日の丸「日章旗」に
国歌は「君が代」に制定?
■教育委員会は入学式や卒業式に「日の丸」を掲揚し「君が代」を
斉唱を求め、教職員組合は反対し、板挟みになった広島県内の高校
の校長が自殺するといった事件があって、俄に国旗は「日章旗」、
国歌は「君が代」に制定するとか。
▼日教組は五年振りに「日の丸」掲揚と「君が代」斉唱に反対する
運動方針を決めた。
■法律で国旗を「日章旗」に決めようと「君が代」を国歌に決めよ
うと、あるいは決めまいと、国連本部には「日章旗」が掲げられて
いる。
▼オリンピックで日本選手が優勝すると「君が代」のメロディが吹
奏される。普通の日本人ならこのような場面を見ただけでも感動し
目頭が熱くなる。
▼「日章旗」や「君が代」は外国から国旗・国歌として扱われてい
る。これは現実。
全ての国で国旗と国歌は大切に扱われています。
■ところで、過去の「日の丸」や「君が代」の歴史的背景を検証せ
ずに「日の丸」を国旗とし、「君が代」を国歌とすることには反対
という日教組の立場も理解できる。
大切なことは、語りたく無い過去を持つ人が氏名を変えようと、
過去を動かしたり誤魔化したり出来るものではない。
善悪を含めて「日の丸」は変えない方が現実直視になると思う、
「君が代」の歌詞を「我が世」とか「人の世」と変えたらという意
見も聞いたが、それも誤魔化し。
▼私は国旗は「日章旗」、国歌は「君が代」として大多数の日本人
の同意があると思う。外国も認知していると思う。
反対するなら、どのような国旗にするか、国旗は無しにするか、
デザインを公募するか、対案を出して欲しいものだ。
国歌は大変ですね、歌詞と楽譜の両方を選ばなくてはならない。
仮に変更した場合は外国に披露もしなくてはならない。そこまで
しても過去は帳消しにはならないし、非難の声は更に大きくなるか
もしれない。火に油を注ぎかねない愚行かもしれない。
■明治憲法は天皇統治国家態勢で「君が代」は「天皇」を意味して
いたのが、現在の憲法では天皇は日本の象徴であり、「君が代」は
広く日本全体を指しています。
▼昭和天皇がご逝去された時に諸外国の元首などが沢山弔問に来日
されて、日本帝国天皇と言う感じは無くなったと思った次第。
■世の中は善意に受け取ると良くなることが多い。善意は慎重でな
いと誤解されることもある。善意を証明し、説明しながらなさなく
てはならない時は善意は不要か、余計なお節介になっている。
祝日には戸別に「日の丸」が掲げられれば良いと思う。
※善意は悪しき心や出来事を清める力がある。これを信ずるには慎
重であること、勇気があること、挫けないことなどの要件がある。
中途半端な善意は、誤解を招き、人を迷わすこともある。
一貫した善意で生きる時に、その人は幸せになれる。強い信念で、
言行一致で、生涯を掛けてやり抜く根性が大切。
※物事を善意に受け取り、善意を発露して行く時は平和と繁栄が期
待出来る。善意に生きるには力の裏付けが必要とされる。武力や兵
器は悪意を包含していて、それが用いられる時は不幸が生まれる。
善意を守るための悪意が必要だと言う人がある。国家の善意には
軍隊と兵器の裏付けが必要とされるかも。
※ここ数年、私たちは自己資本比率とか、GDP、失業率、不良債
権額、保険の支払い準備金、財政赤字、対外債権などなど、いろい
ろな数字に振り回されてきました。
数字の中には、嘘や粉飾もあり、刑事責任を追求される人もいて
大変です。一方ではバソコンの性能が二年で約十倍になる体験もし
ました。
※「日の丸」はシンプルで極めて美しく、描きやすい。太陽を象徴
する。縦横の比は7対10、丸の直径は縦の五分の三、中心は百分
の一だけ竿に近寄る。
明治三年以来、日本国の商船規則で用いられたが、これを「国旗」
とする明文はない。将来、「日章旗」は平和の象徴となるよう日本
人として切に願う。
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