鈴の 法話  新連載

        観音院法主(ほっす) 鈴之僧正

情報開示を徹底して運営するお寺
     十善戒は相手の立場で考えることから

 私が鈴之僧正(すずのそうじょう)と言われるよう
になったのは、腰にを付けるようになってからです。

 私は、出来ることなら人の都合が悪いことは見たくありません。
皆さんも、出来ることなら、都合が悪い恰好は見られたく無いし、
聞かれたく無い話も有ります。遠くから鈴の音が聞こえれば、私
が近づいて来たのが分かりますし、皆さんは私に会う前に、自分
の言動を正すことができるわけです。
鈴の鈴              
 ですから、隠居してから、腰に鈴
を付けるようになりまして、何時の間
にか、私を「鈴の僧正(そうじょう)」と
皆さんが呼んで下さるようになって、
これは、私の気に入っているハンドル
ネイム、ご指導を頂きながら、出来る
だけ永く連載したいと願っている次第
です。(法主さんの鈴:高さ約5cm) 

   *十善戒は仏教の十の善行として、最も一般的なもので、
    不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不綺語・不悪口・
    不両舌・不慳貪・不瞋恚・不邪見をいいます。
    自らの身と口と意のうえのあやまちをふせぎ、慈悲深
    く生活するために定められた戒律です。(編集部注)


 過去のことは余り語りません
    他人さまを傷つけないために

 65歳という年齢で、何かを話すには、未(ま)だ若過ぎます。
私の知識や体験は、周囲から頂いたもので、何故という疑問につい
ては慎重になります。多くのご恩ある人々は現に生きておられて、
私は、祭祀(さいし)に関わるものとして、守秘義務を前提としま
す。曖昧(あいまい)さをお許し下さい。

 私は52歳で住職を引退しましたが、なかなか隠棲(いんせい)と
までは行きません。現実に住職は多忙であり、疲れ気味でもあり、
手伝って上げる必要があるからです。
 多少、辛口の話になるかもしれませんがお許し下さい。

 さてさて、先日のことですが、笑うという漢字を書こうとしたら
咄嗟(とっさ)に草か竹か分からなくなりまた。大分惚(ぼ)けたの
か、ワープロを使うせいかも知れません。笑わないで下さいョ。

 倫理観については高いと言うよりは古い時代の考え方を温存して
いますので、若い人には厄介だと思われるかもしれません。
 私はワープロは富士通のオアシスかMSのワードを使います。
 昨年は遊び心でインターネットにホームページを開設して、お寺
に大変な迷惑を掛けました。
 私のホームページが観音院の公式の見解だと思われると多少迷惑
を掛けたことになります。さりとて、月刊「観自在」に書いてある
ことも観音院の公式文書の性質をもっていますので、責任重大です。

 ですが、観音院は住職(院主)を中心として、皆さまのご意見で運
営されている寺で、私(法主)はお手伝いです。
 ですが、ですが、皆さんは随分と私を立てて下さっていて、迂闊
(うかつ)なことは述べられませんが、深刻に考えていては連載が
不可能です。ですから軽率な文面を見つけたら注意して下さい。

 私(鈴)は昔の話をするのが嫌いです。昭和初期から戦後に掛け
て皆さんは大変な苦労をされました。辛抱の物語をする意図はあり
ません。ですが私にとりましては大切な自分の人生の一部分であり、
他人さまのご苦労と比較する気持ちはありません。不幸の物語の競
争は出来るだけ避けています。
	
		
先ずは不殺生から話します     「努力の目標」として扱うこと  十善戒の最初が不殺生(ふせっしょう)です。生きている動物の命 を殺すなという教えです。  これを文字通り守ると、人間は生きて行けません。生き物はウィ ルスから昆虫、両生類、脊椎動物まで、動いていて繁殖するものは 全て生き物。いいえ、植物も生きものに含まれていると考えていま す。もっと広く、周囲の品物や建物や構造物も生命があるように、 私は信じています。  このように考えますと、殺生をするなと言うことは、生きものは 一切殺すな、自然を壊すな、物も壊すなと言うことになります。  で「私」はどのようにして生きて来たかと問われますと、生まれ た時から今日(こんにち)に至るまで殺生をしながら生きて来まし た。これからも殺生をしながら生きて行く宿命の下にあります。  空気や水や電気にも生命があると思われたら良いのですが、難し いことを言い過ぎますか。 殺生を易しく考えましょう     全てのものを大切にする  殺してはいけないものは、人の命に限定して考えています。  私は俗に「すぅさん」とも呼ばれて、釣りの名人だそうですが、 実際は運が良いだけです。昨年は鰺を50匹も釣ったでしょうか。  小さな魚は海に返します。海は不思議で、顕微鏡で海水を見ると 沢山の生命が見られます。厳密に言えば海水を一滴ほど干すだけで 莫大な殺生行為になります。  水産畜産に関わる人は殺生をしていることにはなりません。魚や 肉を絶対に食べない僧侶も知っていますが、これには誤解があるか 又は食習慣の違いだと思います。  人が死ぬと荼毘(だび)にふします。あれは同時に、膨大な微生 物を焼き殺しているのです。厳密に不殺生を考えるならば、風葬か 水葬が適切です。風葬は山の上に亡骸(なきがら)を置いておく、 水葬は川や海に流すことです。  山の上で亡骸が鳥などに食われて骨になる、川で魚に食われる、 白骨は自然と大地に帰る、そのようなことが生死の自然な姿と言え ば驚かれるでしょうか。  このような葬送の儀礼が現実にインドやチベットにあります。  妊娠中絶は殺生です。ですが、いろいろな考え方があって、一律 に殺生とは申し上げません。この考え方が多くの貧困や悲劇を生み 出した例を知っています。これは物凄く難しい話になります。  中学生が妊娠して、中絶するために病院に付き添ったことがあり ます。これが同級生に知れて、次から次に頼まれて、何かの書類に 判子を押すのですが、産婦人科の看護婦さんに誤解された感じでし たが、まぁ後日に事情がわかって、先生から年賀状をもらうように なりましたが、あの先生も亡くなられて、最近はこのような相談が 少なくなりました。  えぇ、勿論、だれにも話しませんよ。私もあのころは若かった。  いぇ、妊娠させたのは私ではありません。手術のお金を出しただ け。これは複雑な気持ちです。  最近は援助交際とかで、若い女性と中高年の方の性的関係があり ます。相手が未成年者ですと大変なスキャンダルになることがあり ますので、魔が差さないよう注意してください。  戦争は間違いなく殺生です。ですから私は平和主義者です。 これも現在の環境の中で言えることで、軍事国家になって、鉄砲を 持たないと殺されるという環境であれば、少し揺らぎます。人間は その時その場で考え方が変わる弱い精神の人が普通で、私も普通の 人間です。  死刑制度は野蛮とだけ言っておきます。殺人に死刑で報いる発想 は私には全くありません。  殺したり殺されたりすることは運が悪い、魔が差したような状態 だと気の毒に思っています。  私の死生感には少し極端なところがあって一般的ではありません。 50歳くらいから上の人は共通して、大変な苦労を体験されるか、 見ておられて、良い意味でも悪い意味でも、性根が座っているかも しれない、といった程度の話です。  妊娠中絶について。子供を産み、育てることに自覚が無く、出産 によって劣悪な環境が予想される場合は中絶しか方法がありません。 出産によって、親が困惑したり、死ぬような辛い思いをすることが 予想される場合は「親を生かす」選択を私はとります。殺生と私は 定義致しません。止む得ぬ次第です。
勉強することと生きることは同じ       遊びと勉強が同じになれば楽しい    子供のころの殺生?体験       最近の子供さんはどうか  昆虫や小動物を殺したことは無いかと聞かれますと、子供のころ には何度もありました。  蛙や山椒魚の解剖は何度も経験があります。エーテルで麻酔を掛 けることも知っていました。  昔は、エーテルと注射器とガーゼとピンセット、解剖用のメスと 防腐剤などがセットで文房具店などで容易に誰でも購入出来ました。 今でも夏休みなどには解剖セットは売っていると聞きました。  猫にエーテルで麻酔を掛けたことはあります。泡を吹いて気絶し て、しばらくして起き上がったことは覚えています。猫を解剖した ことはありません。注射器でお酒を飲ませたことはあります。猫の 酔っぱらいは人間と同じです。腰が立たない感じでした。一度だけ。  猫の解剖はしていませんが、蛙の解剖は学校で見せてもらいまし た。心臓が動いているところや、血液の流れる様子などを観察した ことがあります。筋肉に電流を流してぴくっと動く様子を見て驚い たりしたものです。  良心が咎(とが)めたような記憶は、全くありません。私が残忍で あったとは少しも思っていません。  「一寸の虫にも五分の魂」という諺がありますから、明日にでも 罪滅ぼしの供養の読経をします。  ところで、この諺にも誤解がありまして、本来の意味は「弱いも のや小さなものでも相応の意地があるから侮って(あなどって)て はならない」と言う意味です。  祟(たた)りとか障(さわ)りといえば、広島地方では犬が憑(つ)く とか、狐がつくとか、蛇がつくという相談があります。  化け猫の話もありますので少々物騒ですが、幸いに私はこれらの 動物を虐待したことはありません。  だから大丈夫というわけではありませんが、昆虫採集や標本作り は毎年の夏休みの課題みたいなものでした。最近の子供は昆虫採集 をするために野山を駆け回るよりは受験勉強が忙しいようですね。  釣りは川や海が近かったので良くしました。川でスズキを釣って 大人に手伝ってもらって引き上げたり、サヨリを橋の上から釣った り、海でカレイを釣ったりしたものです。味の記憶は全くありませ んが多分家族も食べたでしょう。  川ではシジミ貝が沢山採れたものです。冬は川に青海苔が生えて いて、これを持ち帰って、乾燥させて、少し火にあぶって、揉み砕 いて、醤油を少しをご飯に掛けて食べた記憶が鮮明にあります。  その頃、広島の海にも兜蟹(カブトガニ)が棲んでいまして、今で は岡山県の笠岡で、天然記念物に指定されても激減しているとか、 五十五年昔には広島湾にも棲んでいました。  あまり勉強をうるさく言わない親でしたので、山に登って水晶を 探しあてたり、松茸を見つけたり、海や川で良く遊びました。  家の庭に池を堀り、沢山のメダカを飼育していました。卵が孵化 して小さなメダカの学校が出来るくらいの感じでした。ここには鮒 (フナ)や金魚も一緒に飼っていて、魚の生存競争を見ました。  茄子、トマト、胡瓜、南瓜、落花生、さや豆、ネギ、白菜、京菜 など、小麦も作ったことがあります。上手にトマトや南瓜を作ろう とすると摘花をしたり、密植した野菜は間引かねばなりません。  植物の間引きも殺生と言えなくもありませんが、大きく育てるた めに必要なことと教わりました。  鳩は沢山飼っていました。百六十匹くらい。外へ出して、小屋を 掃除して、トウモロコシの餌を用意して置くと一斉に帰って来ます。 「オンドル・ルック」と鳴いていた記憶があります。  犬も、大人ほども体長があるのがいまして、乗って遊べました。 郵便配達のおじさんから苦情が出るようなじゃれつきようでした。 噛まない犬だったのですが。  猫は何故か飼ってもらえませんでした。でも床下に子供を産んで 乳を飲ませて、育てる様子は興味深く見ていました。  まぁ、どちらかと言えば両親も動物好き、しかし、特別に可愛が るでもなく、虐待もせず、そのような記憶が微かにあります。  で、私はと言いますと、動物はとても好きなタイプに入ります。  動植物との交流において、殺生という気持ちは起きない育てられ 方をしましたが、お盆の最中にセミを捕って、逃がしてやるよう強 く叱られた記憶があります。  このような日常の中で、動物の生死のみならず、兄弟や親族の生 死も身近にありました。昔の人は普通、畳の上で死んでいました。  殺生と遊びと勉強と生きることは、明確に分けて考えています。 不殺生を強調するあまり、漁や猟を殺生とする説を、私は採用し ません。子供は、昆虫を蒐集し、時には小動物を虐待することが あります。動物を飼育し植物を育てることは、生きることであり、 勉強そのものです。殺してはならないのは人間です。  蒐集と一人っ子の環境で、程度を超えた量は、精神的に悪い影響 があります。親の資力で、子供の趣味や蒐集を援助することは良く ありません。子供の小遣いの範囲を定めて、欲しい物がわがままに 手に入らぬ教育が大切です。
 物を生かして大切に使う      人に安心して住める場所を  私は物を大切にする方です。ビデオも携帯電話もパソコンも次々 とは買換えしません。今のワープロは多分六年は使っています。多 色印刷も葉書印刷も出来ません。  皆さんのお寺ですから、皆さんのご要望で新しい機種も納入され ていますが、マニュアルを読む時間がありません。このワープロは 恐らく十年以上は使います。  ワープロもゴミにされないので安心して鎮座しているようです。  専従職員さんにも同じ考え方で処遇しています。真面目で好奇心 が強く、やる気さえあれば、それで良いと思います。問題は雇用側 にあたる皆さんの目が多いことです。多くの人が様々な角度で観察 されて、電話が掛かってきます。  専従職員は寺が好きで居ついた人か、依頼されて人に職場を提供 したのが現在の観音院の姿です。  寺が好きだから社会適応性が高いということにもなりません。  疲れている人の休息場所のような性格があります。給与は税込み で二十万円前後、社会保険は完備していますが、皆さん質素です。 どちらかと言えば献身的です。  立場は全員が評議員か監事に就任していて皆さんの代理です。  最初は感激や感謝もありますが次第に慣れて来られます。このよ うな時に強烈な批判が寄せられたりして、公僕と性格が良く似てい ます。自分の立場を錯覚すると皆さんの期待に沿えなくなります。  ここが難しいところです。一面では社会に役立つ構造で、他面で は「望ましい寺の期待される職員像」が描かれます。  安心して住む場所と、なすべき仕事がある。同時に沢山の人の目 があって、色々言われます。  その人の運・不運もあるようですが、職員に対する世間さまの目 は大変に厳しいようです。  観音院は極めて安定した職場であり、同時に世間様の期待も大き いようです。私はしばしば板挟みになり、保護と指導の両方から職 員を見る立場におかれます。職員の将来を心配しながら、同時に皆 さまの期待を考えます。  寺の職員を三年で定年、一年間社会復帰、本人の希望次第で社会 人として過ごすか、寺に再び帰って来るかといった制度が提案され たことがあります。寺を職場と考えるか、修行施設と考えるか、献 身者の集団と考えるか、私はどれも正しいと考えていますが、定年 を半年、一年という案もありまして。                −観自在98.02月号(1)より−

鈴の法話 続き(2)


ご感想やお便りはE-mailでどうぞ

(主題:subjectには[鈴の法話]とお書きください)


[バーチャル霊園][総合目次] [民の声] [門前町] [寺子屋] [観音院]

観音院ホームページ月刊「観自在」の目次