社是は健在なようですが、家訓は聞きません
心の中に灯明を点し、信念とか信心を油にして
何か行動を起こしたりお話しをする時など、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見がフィルターになると完璧です。そこまではと言われるなら「相手の立場で考える」と良いですね。
心の真ん中に「あたたかい心」を灯火(ともしび)として置いて、灯油を絶やさぬうにしてください。
借金はしない、欲しい物はお金を貯めてから買う。
お金は絶対に貸さない。貸さない借りない。
賭け事や投機、商品先物、株式などは持たない買わない。
大きな家を建てない、大きな仏壇を買わない、大きな墓は造らない。
見栄を張らない、大きな自動車に乗らない。
欲しい物は三日考えて買う。
家族相和し、良く話し合い、ご近所には爽やかな笑顔で接する。
これは立派な家訓になります。三代続けば近隣稀なる名家となります。
ただ酒飲むな、他人にたかるな。
只より高いものはない。
金は使うな。
こけたら石でも掴んで立て。
義理は欠け。
無理はするな。
一言言えば唇寒し。
これは悪いとは言えませんが家訓としては如何なものでしょう。文字通り少し寒いですね。もっと寒い私の考えは、十善護持、刻苦耐労、剛健弘毅、誠実勤勉、団結奮闘、報恩積善、生涯学生、早寝早起なんです。真似した人が人生が少し味気なくなったそうです。
実は、私は自分の人生訓などにそれほど拘っていません。まあ何と無くそのようになっているだけの結果論です。
そのようなあやふやでも長く持ち続けると信念にもなりますし、ある程度の評価は期待せずとも与えられます。
昨今の退廃した風潮は何と無く過ごしている人々の責任です。子供を躾ける自信が無い人が多いようです。
生まれてから暫くは人は動物と同じです。躾けは誕生と同時に始めなくてはなりません。人に育て上げるのです。
最近、理解できない子供の凶悪犯罪が報道されますが、子供と言われるのは、本来なら男性は初通があるまで、女性は初経があるまで、以後は成人同様に責任を負わせる社会の仕組が必要になっているのではと思います。
私は単独で行動することが絶対に無い環境を作っています。常勤監事か専従評議員と一緒でないと絶対に外出しません。夜は大体九時には寝、朝は六時頃に起床します。
物事を決定する権限は一切無く、役員は私の発言をその場で訂正する権限を有し、この原稿も監事と専従の校閲を受けたものです。
万一間違いがあれば、間違いも色々ですが、一切の責任は周囲の人たちにあります。間違いとは十善護持、刻苦耐労、剛健弘毅、誠実勤勉、団結奮闘、報恩積善、生涯学生、早寝早起に反した言動が有った時です。
決定権とか、所有権とか、人権とか、権利と名の付くものは持たない方が大変に楽に生きるヒントかも知れません。
ところで、何か面白いことは有るかと問われますと、何もありません。特別にしたいことも欲しいものも、私自身生きていますが命すら執着はありません。腹は立ちません、怒りは感じません、毀誉褒貶は世間様の玩具です。
趣味は格別にありません。強いて言えば世間の皆さまが喜ばれることが嬉しいように思います。
知っている人々が支障なく暮らしておられるのは快く感じます。私自身のことは、如何ようでも構いませんが、皆さんの喜怒哀楽はそのまま私のことのように感じます。喜びは知らなくても良いですが、悲しいことや辛いことは増幅されて受け止めていると思います。
私は相当多忙です。個人的なことは一々記憶する記憶の容量がありません。
その日に起きたことは寝るまでに済まし、翌日に持ち越しません。参詣された方々の祈願が叶えられるように、亡くなられた人の来世の幸せを願うことで頭の中は一杯です。
他人さまのことを強く祈願すると、祈願される人と人格が重なります。更に集中するとみ仏さまと重なります。
この時に祈願の質が正しいと、常識で考えられないような良い結果が生まれます。祈願には我欲だけのものと、家族のため人のため、世のためと色々あります。変なものが込められた祈願は依頼者と私とみ仏さまを重ねることが不可能です。
縁談を例にとると分かり易く説明できます。良縁は纏まり、悪縁はどんなに祈願しても壊れます。
祈願や供養は体力を消耗します。祈願や供養の性質にもよりますが、得度を例に挙げれば五人の得度で私の体重は丁度一`減少します。十人の得度なら二`ですから簡単な計算です。誠実丁寧に礼拝すると痩せます。
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