妄語、綺語、悪口、両舌、は この世の地獄
誰からも相手にされない不幸で孤独な性格です
不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚、不邪見の戒を守るようにすると、即身成仏の世界です。
ところが、殺生もしない、泥棒もしない、配偶者以外と交わらない、慳貪でもない、瞋恚でもない、邪見でもない、しかし、口が他人を苛め泣かせる。まさに、口は災いの元だと思います。私にとっては良い人なのですが、他人とっては本当にキツイことを言われるのでしょうか、電話を掛けてきて泣きながらの苛めがある、と言われ、もうあの人が来られる限り参詣しない、と切々と訴えられる。一人くらいなら、どちらがどうか、と疑問に思いますが、十人を超えて二十人を超えると尋常ではありません。本当かと思いもします。
寺は、人を善悪に分けて来てくださいとか、来てはいけません、などとは言ってはならない立場です。
中に割って入ろうとは考えません。嫌とか好きと言うような次元に、私を置きたくありません。
ところが世間は広いようで狭いもので、百貨店に勤めている人がその人を見て、顔色が変わりました。詳しくは覚えていませんが、仕立てに難を付けて、相当な無理を言われたらしいのです。どうでもよいことで、済ましていたのですが、しだいに皆さんから排除されて、相手にしてもらえなくなった。
少し口を言葉を慎まれれば、このような事態にならなかったのに、と本当に気の毒になりました。
私は、過ぎ去ったことは忘れてしまう相当な健忘症です。過去の出来事を正確には思い出せません。思い出すのは、自分に都合の良い事ばかりです。このような性質は語り部に向きません。自分の事も他人の事も、全部、記憶が怪しいので、過去は語るのは嫌です。
将来の事を約束するのも、得意ではありません。七十歳とは良い年令です。
何時終わるか分からないのに、将来の約束事は苦手です。嘘をついてはならない立場ですから、もしもその時に元気であれば、と言う条件付です。
寝る時には一日生き延びた感謝だけです。朝、目が覚めればとても嬉しいことです。喋ったり、書いたり、約束したりして、口にすることは妄語、綺語、悪口、両舌になりがちなものです。もの言えば唇寒しとは自然なことです。
政治家とか、報道、専門家、僧侶の説教とか、話したり喋ることは大変に難しいことです。
見たように噂話を寺で言う人の話の内容、寺が接待する食べ物の美味い不味いを言われる。これは勘弁してやってください。私にそのようなことを言われても対処できません。寺の接待は全部お供え物で、その場に接待した人がおられると後が大変です。恨まれますね。インスタント珈琲が不味くて、珈琲メーカーでたてた珈琲を比較するのは無理なことです。
地獄はこの世にあります。多くの人を怒らせたり、悔しい思いをさせると泣き所は、結局は、私に来ます。私は我慢と辛抱と布施しか説けないのです。
小言話を、私に持ち込んでも何一つ解決することはありません。
尊い本堂の隣室、受付の奥に溜まる人々の部屋は、魔の十三番の内線電話機があって、ここでお喋りと飲食をされることを厳禁しました。この部屋に溜まると魔が差します。ここの近くにポリコムの画像と音声を送る装置が設置してあります。マイクが高性能ですから、東京の事務所に筒抜けなのです。東京事務所も気を付けてください。
お寺に来てからのお話しは爽やかに、十善戒に触れるような会話が成立しそうになったら、仏さまは全部知っておられるます。仏罰が当たるようなお話しはなさってはいけません。
妄語、綺語、悪口、両舌に類する話をされる人は、寺に限りません。町内で、PTAで、会合がある場所では、常に魔物の働きをされています。
そのような話に出会ったら、直ぐに逃げなさい、相槌を打っただけで、あなたも同意した人として扱われます。
人を殺す大悪事に刃物は要りません、口から真っ黒い言葉を吐き出すだけで十分です。小言話が好きな人は本性は魔物なのです。
他人が聞くと嫌な思いをされる話をされる人には仏縁がありません。救済も不可能です。口に剃刀の刃を隠し持つ人は、日々他の人の心を傷つけ切り刻んでおられるのです。
もし心を傷つけられても忘れることが出来れば、安らかに日々を送ることができます。傷ついて忘れられなくて、相手を傷付ける報復をする人も、仏縁が薄くなりつつあります。
十三番の近くに入れるのは得度を受けた人です。仏弟子が十悪をみ仏さまの膝元でなされると大変な罰当たりな行為です、慎みましょう。
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