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私(鈴之僧正)と、般若心経の関係は不離にあります。一日千巻の読経とか、毎日十枚の写経とか、如何なる出来事があっても物心が付いてから般若心経をおとなえしなかった日はありません。般若心経と十善戒は、私の生きる糧なのです。
このようなことをして何があるか、なにが起きるか、どのような精神的な高揚があるか、それは皆さんが体験してください。きっと素晴らしい体験と前進があると保証します。
人の心に、沢山の不必要なものが詰まっています。若し、心が無心になることができれば、多くの知識が頭に入るようになります。
他人から受けた迫害、騙し、金銭的被害など、暴力も含めて、執拗に記憶したり、復讐を考えたり、立腹すると、記憶の容量が小さくなり、発展も拡張も期待できません。
過去に拘泥するのは頭の損失です。恨みを忘れ、立腹しないことが大切。
他人から恩義を受ける、多くは自分より年齢の多い方々で、恩義に報いたくとも亡くなっておられます。
過去の色々な恩讐を忘れる、昼に受けた出来事も全部忘れることが如何に楽なことか、夜はグッスリと眠れます。不用なことは忘れ去るほうが新しい知識をより多く、無理なく記憶できます。
今月、多分、私は満七十歳になります。経過年齢と体調年齢は異なります。
携帯電話だって最新機種のムーバSo505iを使用しています。発売当日に貰いました。字が大きくて操作が易しいと思います。写真は発売当初ののデジカメよりは良いようです。
パソコンはバイオに、百二十五ギガの外付け固定ディスクをつけて使用し、ノートとは五ギガの差込固定ディスクで、データの互換性をとっています。自慢しているのではありません。年齢を理由にして甘えないことが大切だと申し上げているのです。
観音院の電算機は昨年交換したばかりですが、一年目で次機種の選定をしていて、ソフトの見直しなど、着々と進めています。費用も維持費も半額になり、性能は三倍か四倍、どうかすると十倍になると予想しています。
観音院には所謂「大蔵経」と言われる書籍が何種類もあります。
国訳大蔵経もあり、私が三十歳ころにはこれを読むことに没入し、約十年は経典の中に埋もれていました。
真言宗関係のみならず、諸宗派の全集も多くあります。
何時も思うことは、これらの仏教書を編纂した人たち、校正した人たち、印刷した人たち、しかも絶対に利益の出るはずも無い小部数の専門書、出版社の経営上のご苦労、どれをとっても命懸けの役割です。
観音院の三十四本七段の書物。即ち大正新脩大蔵経初版本、再版。国訳大蔵経、国訳一切経、昭和新纂国訳大蔵経。新国訳大蔵経。大日本仏教全書。大日本続蔵経、南伝大蔵経、大日本仏教全書。国文東方仏教全書など。
栂尾祥雲全集、大山公淳全集、弘法大師空海全集、弘法大師全集、真言宗全書、続真言宗全書、真言宗選書、弘法大師全書、密教大系、密教研究、密教大系、現代密教講座。その他に、国史大系、大乗仏典、禅の語録、真宗聖教全書、各宗派の仏教辞典類など、ウパニシャド全集やジャータカ全集など。何れも貴重文献で、外部持ち出し禁止の指定になっています。
沢山の御本は読むためにあるのですが、生涯を掛けても一読不可能です。
此処に掲げた書物は、欠本が一冊もありません。空調と湿度管理、防火設備など、最大限の注意を払って大切に管理しています。
とても悲しいことは此処に掲げていない全集の中に持ち出されたまま紛失している本があります。何方が持ち出されたか記録に残っています。図書室に出入りできた勉強の好きな方ですが。ともあれ、古書店を探し、欠本となっているご本を常に探しています。
これらの書籍は私の生涯そのもので、次代に大切に引き継ぎたいものです。
■私は全て所蔵する書籍の中にあり、その埒外のことは皆無です。そして将来もこの外に出ることは、絶対にあってはならないことです。仏教書籍とはいえ、全てが釈迦の教えではありません。
■多くの書籍は沢山の学者や熱心な僧侶の協力仏教徒の喜捨によるものです。経典が伝来するには、僧侶たちの生命が実際に失われ、多くの写経した人たちや印刷した人たちの協力がありました。
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