|
般若心経は読誦(どくじゅ)するものです。やがて読誦することに愉悦と充足を感じられるようになります。理解するものではなくて同化するものです。
一日千巻の読誦をしたことがあると申しましたが、是非とも試してみてください。一巻一分としても千分、十時間で六百巻、十五時間で九百巻、一息一巻として寝食を忘れるぐらいの努力が、いえ、努力だけでは出来ません。読誦が快くならないと無理です。
■題目について■
仏説摩訶般若波羅蜜多心経の仏説とは「ブッダ・パーシャ」は真理に目覚めた人が深奥のさとりを説き明かし、癒されることで、梵語と漢語の合成です。摩訶は「マハ」は偉大、大きい、勝れたとの意味。般若は「プラジュニャ」瞑想によって得られる真実の智慧。波羅蜜多は「パーラミータ」完成、なすべきことをなし終えた。心は「フリダヤ」中心という意味。経は「スートラ」貫き通るとか、まとめ保つの意味。
摩訶般若波羅蜜多は大般若菩薩波羅蜜多菩薩の名であり、この菩薩には、文字で象徴し、曼荼羅とさとりを表す真言があります。一つひとつの文字は世間で使用される意味と、真理の深い意味を表す両方があります。
この仏説摩訶般若波羅蜜多心経のさとりの教えは、み仏が「鷲の峰」俗に霊鷲山(りょうじゅせん)に住んでおられたときに舎利弗(しゃりほつ)たちのために説かれたものです。
観自在菩薩は決して一人では無く、多くのさとりを求める人、貴方も私も含まれていると考えてください。
■心経千巻読誦は祈願の方法としてとても効きます。一人で読誦するのは難しいので五人か十人で協力すると良いですね。大般若転読法要も沢山の僧侶が協力して執行するのと同じことですね。
■心経を漢文書き下しのままで考え込むと、出口の無い落とし穴に落ち込んだような気分になることがあります。このような時に秘鍵に出会うと目から鱗が落ちたように前途が開けて来るものです。
■般若心経の功徳■
心経は最も良く写経される経典です。出来れば一枚一時間くらい掛けて丁寧に書いてください。一日十枚写経するより、一枚でも二枚でも三枚でも枚数を急がず、落ち着いて丁寧に写経して、お寺に納めてください。出来高払いのご霊験なんてありませんから、枚数を稼ぐことは無意味です。
心経は、五つの区分に分けることができます。
第一は、「人法総通文」、観自在から度一切苦厄まで。
第二は、「分別諸乗文」、色不異空から無所得故まで。
第三は、「行人得益文」、菩提薩捶から三藐三菩提まで。
第四は、「総帰持明文」、故知般若から真実不虚まで。
第五は、「秘蔵真言文」、掲諦掲諦(ギャテイギャテイ)から娑婆賀(ソワカ)まで。
第一 人法総通文
人と法とを、全体を通して説く五つのことが示されている。因・行・証・入・時である。
観自在とは般若菩薩の教えを修行する人で、本来、仏となる素質をもち、さとりを求める因を有している。
深般若は、対象である法を観察し、この智慧を完成させる修行である。
照空は、さとりを証する智慧である。
度苦は、その智慧により涅槃に入ることをである。
時はこの修行に要する時間である。
詩(頌・じゅ)に。
観自在菩薩は智慧を成就する行を
修して
五つの集まりが空であることを
さとられた
はてしない長い修行をしている
者たちも
迷いを離れて、一心に通ず
第二 分別諸乗文
第二の分別諸乗文も五つあります。建・絶・相・二と一です。
建は建立如来の三摩地門、さとりの教えです。色不異空より亦復如是までが相当します。建立如来は普賢菩薩の秘号で、その教えは、さとりの道へまどかに進む因であることは、宇宙万物の本体は平等という真理で、現象界と本体界は一体不二であり、互いに融合してさまたげがなく、その故に「建」と名づけた、この普賢菩薩はすべての如来がさとりに向かう心を起こし、修行する願を起こした身体である。
詩(頌・じゅ)に。
色空、本(もと)より不二(ふに)なり
現象と理法は、本来同一である
現象と理法、理法と理法、現象と現象
の三者は、障りなく融合している
それは金師子と水波の喩えの通り
※金師水の喩え と 水波の喩え。金を法界の本体、師子を法界のはたらきにたとえて華厳法界縁起の原理を示す。
後者は大海を真理の世界、波を現象世界に喩えて事理無礙(むげ)を示す。
二 無戯論如来の教え
二つに絶というのは、無戯論如来の三摩地(さとり)である。是諸法空相から不増不減に到る経文である。無戯論如来とは文殊菩薩の密号である。文殊菩薩の利剣は八種類の否定によって、この世にとらわれるべきものは何も無いことを明らかにし、妄執を絶つ。
頌(じゅ)にいわく
八不に諸戯を断つ
文殊はこれ彼の人なり
あらゆる差別を否定して、空のみを
究極の真実とする
そこから生じる慈悲のはたらきは、
もっとも奥深いものである。
三 弥勒菩薩の教え
三つに相というのは弥勒菩薩のさとり(摩訶梅多羅冒地薩怛縛の三摩地門)を指している。是故空中無色から無意識界に至るまでが相当する。弥勒菩薩の瞑想は、楽を与えることをもって宗とし、因果の道理を示すことを誡としている。現象と本質の区別を論じ、世界が主観のみによって構成されるとして、外界の対象の存在を否定する。否定するという意味は、ただ、安楽を与えることにあるのである。
頌にいわく
二我、何れの時にか断つ
三祇(三阿僧祇劫)に法身を証す
阿陀(あだ)はこれ識性(しきしょう)なり
幻影はすなわち名賓(みょうひん)なり
個人存在に対するとらわれと、存在要素に対する迷いは、いつ断つことができよう
無限に長い時間をかけて、真理の徳を体現するのである阿陀耶(アーダーナ)識こそ、心の根底に存するものである
幻影のような現象世界は名前のみある仮の姿である
「頌にいわく」と言うところに来ますと、お大師さまの肉声に触れるような気持ちになるのは私だけでしょうか。
お大師さまの寺に居て、お大師さまをみ親のように思い、朝に夕に南無大師遍照金剛とお唱えし、周囲に曼荼羅を荘厳した部屋に暮らして、お大師さまの本に囲まれて過ごす幸せは大変にありがたい日常です。
■般若心経秘鍵の解釈書は沢山ありますが、代表的なもので、日常座右にしているものを参考にしています。真言宗常用諸経要集の裏面の最初が般若心経秘鍵です。振り仮名付きです。是非お読みください。
■私の般若心経秘鍵は私自身のものではありません。皆さんを秘鍵の世界にご案内するために紹介しています。近い将来に勉強会を開催したいと考えています。お大師さまにぐっと近づける機会になると思います。
般若心経秘鍵の話は来月に続きます。
|