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   「お寺や僧侶の目的について考えてみたい」 (97.10/1掲載)

                  観音院住職 院主(いんじゅ) 高田寛恵

 お寺は僧侶や信徒の集まる場所であり、僧侶の考え方が、お寺の
あり方も出入りされる方も左右する。
 観音院の場合は、出入りされる人の中から役員を選出し、運営も
審議してもらっているので、信徒さんの考え方次第に左右される。

 法主(ほっす)さんは観音院は僧侶の住処(すみか)では無いと明確
である。観音院の僧侶は考え方を整理していないと寺におれない。

 僧侶の目的の第一は、覚者(かくしゃ)になることである。これ
は永遠の課題で奥深く際限が無い。
 第二は人材の育成である。一般の組織の教育とは著しく異なる。
 煩悩(ぼんのう)に燃える人々を、迷いの世界にある人々と定義
して、これを寂静涅槃(じゃくじょうねはん)の世界に導くことで
ある。
 この過程にあって、御佛(みほとけ)様の慈悲とか、自然の恩寵
(おんちょう)とか、真理などを求め、得たものを分かち、迷える
人を救済することである。

 多くの迷える人々は、欲望が思うように達せられないと苦しんで
おられる。この欲望と言うか煩悩と言うか、それを良い方向、法律
に触れないよう、公序良俗にもとることが無いように説くのが佛教
道徳を広めることになる。

 本来は生きている人に「佛法」に遭(あ)えたことを「有り難い」
と感じて頂き、充実した生涯を送って頂き、死ぬ時は不安なく泰然
自若と旅立ってもらえるよう心得を説かなければならない。

 法主さんのように極限すれば、「寺も信徒も経典も佛像も不要」
という具合には中々行かない。
 その実は誰よりも寺を大切に、出入りされる人を大切に、経典を
良く勉強し、佛像を礼拝(らいはい)されていて、言われることと、
日常になされることは、完全に異なる。
 だが、私は住職として法主さんの考えを支持出来る。


  寺を寺らしく

 これが大変な課題で、多くの人は寺はご先祖さまの供養に熱心で、
死んだ時に葬儀をしてくれれば、それで良い、と思っておられる。
これは間違いで、どのように生きて、どのように終わるかが僧侶の
最大の関心事である。そのために寺は如何にあるか考えたい。


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