目次 Kanjizai Index

虹のポスト ミニミニ観自在 ----1999年8月                観自在 編集部 嬉しい励ましのお手紙をいただきました ---------------------------------------------------------------- 「拝啓、日頃より御宝前の御加持(かじ)賜り、お蔭をもちまして 恙(つつが)無き毎日息災に過ごしております。南無。  「観自在」の中でも「浮世根問ねんだくり」は落語に倣い分かり 易い設定です。解説は、学者レベルの「象牙の塔」のようなもので もなく、又、信仰(聖人君子)を前提とする「宗教(一般なところ で)内の論理」でもなく、赤裸々な凡夫である「寅さん」の視点か らの佛教談義であり、大変自然な共感を以て沁み入ります。  又、最新の時事話題ともリンクしており、この執筆を担当される 方は、余程有徳で伝道(プレゼンテーション)の才に秀でられた師 にあらせられると事と、談話の内容と共に掌を合わせる思いです。  又、「鈴の法話 全てに愛を光と祈りを」は法主(ほっす)様の 直截(ちょくせつ)の発せられたメッセージですが、時として驚き のうちに、又時として、笑いの内に「まことの道」を説かれており、 毎月大変楽しみにして居ります。  ただ、もう一つ見逃してはならないと思うのは、「寺」のエクス ターナリティ(外部性)に関する点ではないでしょうか。  今までに寺院と地域社会、或いは社会へのかかわりについて、そ の宗教活動について様々な取り組みがあったでしょうが、その運営 と経理を一般に公開する動きは、大変に稀でしょう。組織も一概に 断言する事は難しいでしょうが、組織の内外に公益を突き詰めてゆ くべき存在が宗教法人たる寺院のレゾンテートル(存在理由)であ る以上、経理運営に関する法主様の御見識は、まさに、当時の状況 も併せてみるならば「先見の明」に頭の下がる思いです。  科学技術により、合理的なパラダイムが社会を構成している今日。 法治国家という社会の枠組の中で寺院も又、存しています。  社会の枠組みに限る事なく、人々の宗教、そして宗教法人(寺) へ向ける眼差しも、事実として、クールでシビアなものになってい ます。  江戸時代の(寺請制度)の様な、特権的な地位に胡座をかいている 時代ではなくなっている様です。  法主様の幅廣い見識、慧眼(けいがん)、卓越した経営感覚、情 熱溢れる行動力は、新しい時代の佛教伝道の在り方を示して下さっ ている様に存じます。  インターネット(霊園など)や観自在の編集、何れをとりまして も、公益法人として衆生と共に在る佛法。これを魁けてこられたの が観音院。  思ふ事ありて山門をくぐる者に法を説く。しかし、何も思わず山 門の前を過ぎる人々。これらの人々に御佛様の慈悲は不要なのか。  社会に憂ふべき問題は山積しております。観自在そして観音院は、 それらの「サイレントマジョリティー」に対し、効果的な媒体で、 方法で、切り口で(接点で)現世の木鐸(ぼくたく)として訴えら れておられると拝しております。  皆々様の御健勝と一山の益々の御発展を心より願って止みません。」 ---------------------------------------------------------------- ■有り難いお手紙です。多忙やら何やらで相当落ち込んでいた時に このようなお便りを頂くと改めて頑張りたいと言い聞かせて励まし て頂きました。六十歳から上の年齢の文章ですが、実は今春大学卒 の青年の書かれたお便りです。 ▼用字用語は旧字体で書かれていて達筆で、日本の文化を大切にさ れている方です。観自在も月刊で二百三十号、創刊前からすれば足 掛け二十年、始められた法主さんは今年六十六歳、担当者も〆切と 歳月に追われて厳しい時もありました。至らぬことも多々あると存 じますがご指導ご鞭撻ください。 著作権フリー ■月刊「観自在」はコピーや利用を自由にしています。会社やお寺 さんなどから、内容の引用について許可を求められることが多いの ですが、私たちの作った観自在がお役に立つなら自由にご利用くだ さい。観自在はインターネットに載せられていて、確認しているだ けでも約七千五百人の方々が見ておられます。これは有り難いこと で、ネット上のテキストは簡単にコピーすることが出来ますので、 何かのお役に立つならご自由にコピーし、編集書換えし張りつけて ご利用ください。 法主さんは六十六歳です ■先の御誕生日の感謝法要七夕祭に沢山の方々にお越し頂いて、有 り難うございました。法主さんの御誕生日は七月の第一日曜日に大 般若転読法要と合わせて執行することになっています。 ▼行事が沢山あり、法主さんも超多忙で、このような取決めになり ました。 ▼健康には細心の注意を払って頂いていて、絶対に無理をして頂か ないという監事会の申合せです。是非とも七十七歳まで、出来れば 八十八歳まで取り合えずは後二十年くらいは生きて頂くよう、不摂 生などで事故を起こされぬよう責任をもって日々を過ごして頂くよ うに申し上げています。 ■寿命は知れませんが、車両の運転などをされないよう、夜遅くま で起きておられないように、大切にして頂いています。 ▼気持ちだけはまだまだ若い人たちに負けないようなところを法主 さんはおもちです。 一から始める覚悟 ■法主さんの特徴的な考え方は、今までのもの、過去にとらわれな い生き方だと思います。 ▼物を大切にされますが、極端な話、万一観音院が災害などで被害 を受けるようなことがあっても、また最初から建てること、観自在 も発行が無理なら一号からやり直すこと、ホームページも良く出来 ているとか、アクセスが多いとか言われますけれど、全部無くなっ ても最初からやり直せば良いと考えておられます。 ▼原爆の被災でお寺が灰塵に帰し、家族や檀家が沢山犠牲者になられ て、戦後の物の不自由な中で今日まで生きて来られたことが、形あ るものの無常さを身に沁みておられるのかもしれません。 ▼生老病死についても人は大変な執着を示します。ここらあたりを スラリと受け止められます。 ▼人の生涯は髪の毛が生えて、伸びて、やがて抜けるようなものと 思っておられるようです。 ▼歴代住職の中から名前を外してもよい。生きていても死んでも騒 ぐことはない。旅に出て「この世」に立ち寄り、また去って行く、そ のように望んでおられます。 ▼過去を語ることも、将来を語ることもお好きではありません。生 涯をまるで一刻の点のように、そのように思っておられるようです。 盂蘭盆会(うらぼんえ)法要お盆で大切なこと■ ▼故郷へ帰省するについて、無理な日程を立てないこと。遠距離運 転は出来れば止めて、早めに公共交通機関を予約する。盆中の交通 事故の葬儀は大変。 ▼食中毒を出さぬこと、手洗いを励行し、腐敗し易い食物を長時間 持ち歩かぬこと。 ▼水の事故に気を付けること。知らない海で泳ぐ時は、思わぬ潮流 の早い流れ、冷たい流れがあるから注意すること。特に飲酒して泳 ぐと心不全を起こすこともある。 ▼長男の家に里帰りをする人は長男の嫁に迷惑を掛けぬこと。 ▼亡き人の悪口を言わざること。 ▼初盆は佛壇に灯明や線香を付け放しのことが多いが、火事用心。 逆さ吊りの苦 ■梵語[ullambana]倒懸と訳され、逆さ吊りの苦しみの意がお盆 の語源。盂蘭盆経の目連説話は行事の始め、祖霊を死後の苦しみの 世界から救済するための佛事。陰暦七月十三日から十五日を中心に 行われ、種々の供物を祖先の霊・新佛・無縁佛(餓鬼佛) に供えて 冥福(めいふく)を祈る。僧侶に棚経を依頼する。 ▼ところで、亡き霊に倒懸の苦をを味合わせる妙手?がある。 一、寺院・僧侶の悪口を言う。 一、寺院境内地にある墓地で寺の本堂の前を素通りする。 一、墓地の入口にあるお地蔵さんなどの前を素通りする。 ▼お盆の最中に僧侶は一日四十軒から八十軒も読経して回ります。 この僧侶にご馳走を強要?する。 ■逆さ吊りの苦しみから助けてもらうには「功徳」を積むのが一番。 功徳その一、佛教が広まるようにお手伝いし、御佛様の嫌われる       ようなことをしない。寺の佛具の調度などがあれば       協力する。 功徳その二、御佛様の教えを良く聞き、法話を聞いたり、佛法の       本を読んだりする。寺から施本(せほん)などをさ       れていたら資金の協力をする。 功徳その三、僧侶を喜ばせる。これは難しいですね。       お酒の好きな僧侶に飲酒させるのは功徳にならない。       何をして上げれば喜ばれるか率直に聞くのが一番良い       と思います。 先祖が家に帰る? ■成佛せずに迷っていたら、家に帰らずに寺に行って僧侶にどうす れば良いか聞くのが一番。家に帰り家族に執着すると益々行き場所 が無くなり、迷い続ける。  もしご先祖さまが家に帰っておられると感じたらお寺さんに相談 することが大切。葬儀がちゃんとしてないか、迷っているかのどち らか。 ▼寺に行ったけれど僧侶が居られなかった場合は夜中に僧侶を起こ す?こと。 ▼お墓参りはご先祖を偲ぶ大切な風俗習慣ですが、霊魂を狭い骨壺 に閉じ込めぬように、上に石があれば化けても出れぬ・・・。
Kanjizai index99079909


Kannon-in English version

e-mail:kanjizaik@kannon-in.or.jp