月刊 観自在 目次

 虹 ミニミニ観自在      ----2000年11月                        観自在 編集部           奇跡はあって当たり前、願望成就も当然   最大の努力と最高の誠意で礼拝している   ■普通に拝めば、御佛様もそれにりに慈悲を示されるでしょう。  観音院は最大の努力で日々の礼拝に勤めています。信徒の皆さん から託された供養や祈願について最高の誠意で祈り続けています。  これ以上の礼拝や供養を執行しようとすると人間の体力や精神力 の限界を超えます。これ以上のことは願われても無理です。 ▼最高という意味は、これ以上にすれば僧侶も職員も倒れてしまう といった「命懸けの法要」を休むことなく執行しているという自信 の表現で、傲慢でも謙遜でもなく事実を「ありのまま」に述べてい  るだけです。命懸けの法要を永い年月にわたり続けられたのは信徒 の皆さんの浄財と、奉仕で出仕して下さる多くの熱心な在家僧侶の 篤い信心の力によるものです。 観音院の多くの僧侶は奉仕で出仕しておられ総数は百五十人を超 えたでしょうか、仕事を持ち、家庭をもっていて、本当に僧侶とし て尽くすことに生き甲斐を見出している立派な人ばかりです。 ▼広い世間には観音院と同じように良く拝む寺があるかもしれませ ん。そのお寺には観音院と同じような「有り難いこと」が沢山ある と想像します。一生懸命に拝むことの理由を説明するのが難しいの は、体験して理解出来ることで、理屈で説明出来ないからです。     職員の教育について ■観音院の職員は日々向上を願って勉強しなくてはなりません。相 当なやる気が無いと勤まらない、要求が際限も無く世間から要望さ れます。決して社会からの「逃避場所」ではありません。 ▼自分に閉じこもること、孤高は当然認められません。他人と会話 すること、交際出来ること、礼節を保つこと、共に歩む姿勢が大切 です。笑顔は特に大切です。 ▼他人にぶら下ることは到底考えられません。計画的に能率良く物 事をこなして行く能力、出来栄えの良いこと、清潔で、危険なこと はしないこと、自分から進んで仕事を見つけて積極的にやること、 見た目が爽やかであることなどが求められます。責任を転嫁するこ と、言い訳をすることなどは絶対に認められません。 ▼よくある相談ですが「寺の掃除や草抜きでもするから寺に置いて もらえないか」という申し出です。冗談ではありません、掃除は職 員の一番大切な仕事であり、掃除でもと言う考え方がとんでもない 間違いです。全ての職員が素手で便所掃除を丁寧に出来る現役です。 ▼私生活は多くの信徒さんの目が有るので気を緩めることが出来ま せん。ジーパンにリュックなんて許容出来る範囲と私どもは考えま すが、容認出来ない、もう少し躾をきちんとすべきだと言われる役 員さんや信徒さんも少なくありません。習慣的に口を開けている職 員がいたことがありますが、皆さんから「ぼやっと」して空から牡 丹餅でも降ってくるのを待っているのではと非難されました。 ▼法主さんがノートパソコンが重いので、リュックサックにしたい と言われたら、重いものを年寄りに持たせてはならないと信徒さん から激しく抗議されました。 ▼観音院の役員は倫理規定の一つとして離婚すると失格します。職  員は専従役員ですから、失職することになります。普通の企業や組 織では結婚とか離婚は極めてプライバシーに属することとして、そ れで職を失うことは先ずありませんが、観音院の場合はそのように 倫理規定で定められています。 ▼観音院は如何なる意味でも「子捨て場所」でも「姥捨て山」でも ありません。精一杯の努力で世間の皆さんにお仕えする立場にある 人たちの研修場所であり、その心構えを鍛える場所でもあります。 ▼お寺に対する広く世間で誤解されて認識されている考え方があり ます。寺は無条件であらゆる世間の悩みに対応する現実的な、かつ 金銭的な面を含めての救済をすると思われていることです。寺は公 益法人ですが、補助金などは一切ありません。この世に金銭を恵ん で下さる御佛様はありません。むしろ、金銭を給付して生活苦から 救ったり、事業資金を貸し付けることは戒律に反し、そのようなこ  とを行った僧侶は僧籍を剥奪される処分にあいます。慈悲を標榜す る僧侶が債鬼に変貌することを何としても防ぐ意味があります。 ▼僧侶は拝み、祈り、供養することで救済をすることと活動が厳し く制限されています。寺の運営資金を役員会に付議せず独断で貸し 付けたり、給付することは業務上横領の罪人になることを意味しま す。また、観音院の僧侶は割賦で物品を購入することは厳禁されて います。債鬼に追われて菩提心を失うことを防ぐためです。サラ金 を借ることは厳禁です。必要な物はお金がたまってから現金で購入 する約束です。 ▼観音院は執着の強い職員、しがみつくタイプは無理です。例えば 去る信徒さんに必死でしがみついたり、好きな信徒さん宅に漬かり きりになると迷惑が掛かります。  パソコンでも、勉強することは良いこと、シガミツク場合は職員 不適正と受け止められます。       祈願について ■生きて行く上で人は様々な願望を持ちますが、神佛に頼らないで 全てを独力で成し遂げることが出来る人は強い人です。目標到達を 途中で投げ出さないで、神佛のご加護を祈るのも別の生き方です。 ▼法主さんは祈願される際に依頼された人が目標に到達された喜び の顔を瞼(まぶた)に描いて祈願されるそうです。皆さんもご祈願 を立てる時は目標に到達した喜びを瞼に描いて下さい。  法主さんは祈願を依頼された方の写真をアルバムにして常にご多 幸を祈っておられます。ですから、祈願の際には写真を持って来て 下さると拝み易くなるのです。 ▼このように成功を期待して努力することは精神的にも非常に有効 な方法です。願わぬものを手に入れることは難しいことです。人は 挫折し易いもので、願望を持ち続けることは困難なことです。祈願 は願望を維持する有効な手段です。 ▼拝んで頭が良くなる訳が無いと言われる方もありますが、般若心 経を毎日読誦していると本当に賢くなります。書籍は声に出して読 み、手で書いて記憶するのが能率が良いようです。賢明でない僧侶 がいるとしたら読経や写経をしない傾向が強いとも考えられます。 ▼読書百回で意味は自然に理解出来るそうです。が、最近ではこの ような努力はしないようですね。 ■勉強は納得して、本人の同意があって、辛抱強く努力して、段々 と面白くなって行くものなのですが、同意が無いと、大変な苛めに なりかねません。 ▼観音院の年中無休の有り難い法要も、僧侶の同意とか参加につい ての積極性が無いと、無為なものに感じられたり、場合によっては 苛め、苦行と受け止められかねない性質があります。積極的に参加 することに依ってのみ法要の有り難さとか法悦が感じられ、ご守護 やご霊験が体験出来ます。 ■法主さんも住職さんも苦行はする必要が無いと常々言われます。 ですから、年中無休の法要も法悦が有れば決して大層なことではあ りません。法主さんは一日千巻の般若心経読誦を百日間もされたこ とが有るそうです。このような単純なことの繰り返しを辛抱や努力 をせずに出来ることが僧侶の大切な資質だと言っておられました。 ▼宗教は教義を良く理解することも大切ですが、理屈よりは、実践 してみて初めて理解出来ることの多い体験の世界です。体験の無い 有り難さなんて何にもなりません。 ■皆さんも出来るだけ法要に参加されて法悦を味会って下さい。   今年も後わずか ■今年は経済的に難しい年でしてが、これから段々良くなると楽観 的なことを言う人と、もっと厳しくなると悲観的な可能性を説く人 と両方あります。経済の動きと人の生涯は別物です。経済の循環に 巻き込まれると大変です。十分に注意して慎重に生きて下さい。 ▼観音院も熱い祈りを捧げたいと考えています。年末に掛けて余裕 のある資金繰りに今直ぐ取り掛かりましょう。備えあれば憂い無し と言う諺は何時の時代でも通用する大切な考え方です。

 

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