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仏教談議(ぶっきょうだんぎ)  平成13年・2001年11月号   [仏教談議10月号][12月]
   −いたわり 慈しみ 思いやり 相手の立場で考える

仏教談義(浮世根問・うきよねどい ねんだくり)その四十七

若々しい隣りのご隠居、聞きたがり屋の隣りの寅雄さん、です。
※「佛教談義」では、仏教でかつて一般にいわれてきた教養的なことが らを、二人の対談の形式ですすめています。 名産「観音ネギ」もだめ? 隣の寅さん 観音院さんの入口の石柱に、「不許葷酒煙草入山門」 と書かれていますが、このなかの葷酒(くんしゅ)は、正確にいう といったい何なんです? 隣のご隠居 「葷」というのは、ニンニクやネギのように臭気のあ る菜のことだから、葷酒とは、つまり臭いの強い菜と酒のことで、 あの石柱に書いてある意味は、酒気をおび、また臭いの強い野菜な どを食べた人はこの山門(さんもん=お寺の門)を入ってはならな い、と門前で立ち入りを拒んでいるわけだ。  観音院さんの門柱でユニークなのは、葷酒のほかにタバコが付け 加えられているのが今日的なところだな。 寅さん お酒を呑んでお寺に行ってはならない、というのは分かり ますが、臭いの強い野菜など食べるのが、なぜいけないのでしょう か? ご隠居 佛教では、酒と肉食、そして五辛(ごしん)を禁じている 寅さん 五辛? ご隠居 五辛は、大蒜(だいさん・ニンニク)、ニラ、ネギ、ノビ ルともう一つ、これは日本にはないが興渠(こうきょ)というもの で、いずれも臭いが強烈だ。  酒は精神を惑乱させるし、肉食は間接的な殺生でもあるから、そ う教えているのだろう。 寅さん でも、五辛はお酒とちがって、ネギを食べたからといって べつに精神に異常をきたすわけでもないし、植物だから、ノビルの おしたしを食べたからといってひどい殺生したわけでもない。  まあ、五辛がどっさりはいった焼き肉だとか、キムチ、ギョーザ をうんと食べたあとなど、多少の臭気はあるとしても、その五辛が どうしていけないのか、そこのところが合点ゆきません。  五辛にかぎって、ほんとうにお釈迦さまが禁止されたのでしょう か? ご隠居 えらく五辛にこだわるんだな。現代でも改まった会合や厳 かな儀式、また、大切な人やお客さんに会うときには口臭や身だし なみに気をつける。 寅さん そりゃ当然ですよ。これからだんだん寒くなってくれば、 まず鍋物が美味しくなる。その鍋物にネギがなくて、どうします? ご隠居 寅さんにはわるいが、残念ながら、五辛を禁じられたのは お釈迦さまだ。  「梵網菩薩戒経(ぼんもうぼさつかいきょう)」は、大乗の戒律 をお示しになったものだが、そのなかに厳しく戒められた十重禁戒 と、ゆるやかな戒法である四十八軽戒(きょうかい)とが説かれて いる。  この大乗菩薩戒(だいじょうぼさつかい)は釈尊成道(じょうど う)----お釈迦さまが悟りをおひらきになったと同時に制定された ようだから、この戒法はあきらかに七仏の通誡(つうかい)であり、 三世諸仏出世の洪範(偉大な手本)とされてきた。  そして、その四十八軽戒の第二が酒肉の禁戒であり、第三がまさ しく五辛の禁戒なのだな。  その文章はこうだ。 「もし仏子(ぶっし)、五辛を食(じき)することを  得ざれ(たべてはならない)。  大蒜と茖葱(かくそう・にら)、慈葱(じそう・ねぎ)、  蘭葱(らんそう・のびる)、興渠、この五辛、一切の  食中(じきちゅう)に食することを得ざれ。もし、こと  さらに食せば、軽垢罪(きょうくざい)を犯す」 五辛を食べると怒りっぽくなる? 寅さん わたし、四十八軽戒は知らなかったことにして、これまで 通りの食生活をさせてもらいます。  だってそうでしょう。五辛がいけないなんて、現在の私たちの食 生活からあまりにもかけ離れすぎていていますよ。 ご隠居 でも釈尊は、およそ五辛茹葷(じょぐん)のたぐいは食べ てはならないとされた。この茹葷とは一切の臭草の総称のことだ。 「楞厳経(りょうごんきょう)」に、釈尊が阿難尊者にこう言われ ている。 「一切衆生は、甘を食するがゆえに生じ、毒を食するがゆえに  死す。もろもろの衆生が三摩提(さんまだい)を求めんとす  るならば、まさに世間五辛の辛菜を断つべし。  この五辛の熟したものを食せば淫を発し、生食すれば恚(いか)  りを増す。かくのごとき世界に辛を食する人は、たとえよく  十二部経を述べ説こうとも、十方の天仙(てんせん)はその  臭穢(しゅうえ)を嫌い、ことごとく皆、遠離(おんり)する。 寅さん 十二部経というのは? ご隠居 十二部経は、経典の全体を形式と内容によって十二種に区 分したもので、・経・重頌・授記(じゅき)・伽陀(かだ)・無問 自説・因縁・譬喩(ひゆ)・如是語・本生・方等(ほうどう)・未 曾有(みぞう)・論議(ろんぎ)、以上からなっている。  楞厳経をつづけると、 「もろもろの餓鬼らは、五辛の臭いを慕って口辺にむらがり、その 唇のまわりを舐める。このようにつねに餓鬼とともに住すので、福 徳は日に日に鎖して利益なし。  五辛を食する人は三摩地(さんまじ・心を一処に置いて等持)を 修したとしても、十方の菩薩、善神の守護はのぞむべくもない。  大力の魔王はその方便を得、佛身を現作(げんさ)し来たって 衆生のために法を説き、禁戒を非毀(ひき)して淫怒癡を讃す。 命終わってみずから魔王の眷属(けんぞく)となり魔福を受く。 尽きぬれば無間地獄に堕つ。  阿難、菩提を修する者は永く五辛を断つ。これすなわち、増進 修行の漸次となす云々----」 寅さん 大力の魔王のところからあとの意味がよくわかりませんが。 ご隠居 ここで釈尊がおっしゃっているのは、佛教に敵対する邪悪 な魔王は、ほとけの姿に化身して口からでまかせの法を衆生(しゅ じょう)に説くのだ。それは禁戒をやぶるばかりか、むしろ反対に 邪淫や瞋恚(しんに)や愚かさを讃美したりする。そんな魔王に感 化された衆生は、この世を去ったあとも魔王の支配から逃れること はできないし、そのあとはおさだまりどおり無間地獄へ堕ちるしか ない。  だから阿難よ、五辛を断つということは、修行の過程のワンステ ップと思いなさい、といったことではないだろうかな。現代では僧 侶の食事も一般家庭とあまり区別はないといわれるが、特別な行の 期間は精進潔斎される。 寅さん たしかにニラ、ネギ、ニンニクなど五辛を食べれば、他人 に迷惑をかけることもあるでしょうし、精分がほかの野菜類より強 そうだから、色欲を刺激する媚薬的効果もあるんでしょう。でも、 それらを生で食べると、気が荒くなり、怒りっぽくなるというのは どうでしょうね----。  五辛がいけないという主な理由は、これらを食べると口臭がひど くなって不浄である、相手に失礼ということではないでしょうか。 それなら、食後に歯磨きを忘れずに、せっせと励行することで万事 解決、ではないですか。 ご隠居 寅さんの、そのような割り切り方で済むものなら簡単なの だが・・・・。 ほとけさまは清潔がお好き ご隠居 ともかく、これまで話したように、もろもろの餓鬼(がき) の好むところは、菩薩、善神の忌(い)み嫌うところであり、反対 に、菩薩善神の好むところはもろもろの餓鬼が嫌う。  ほんらい餓鬼は、馥郁(ふくいく)として香気を放つ花とかお香 とかは苦手なのだな。だから仏菩薩を供養するときは、かならず薫 (かお)りのよい花や薫物(たきもの)を用いる。 寅さん どんな花が供養に向いているんです? ご隠居 供養花にもランクがあるらしく、「白き華の馥(こうば) しきものを貴しとして仏に献ず」 また、「仏に献ずる花はなるべ く善き匂いのする香華(こうげ)を選ぶべきなり。花の中にても、 蓮の花、梅の花、桜の花、牡丹、芍薬、百合の花などは最も善かる べきなり」とし、ただ、刺(とげ)のある草木の花や臭華(しゅう け)のあるもの、また花が苦くて辛い味のするものは献じてはなら ないとされていたようだ。  そんなわけで、仏前において念仏、読経、回向(えこう)の際に は酒肉、五辛をたち、香湯に身体を浴して、香華を供え、衣(ころ も)を香煙でくゆらせ、部屋にお香をたいたりする。  このように、どこもかしこも清浄(しょうじょう)にすれば、菩 薩善神はお姿を隠されていても、その人を守護しておいでになる。 寅さん そうではなく、身体を不浄にし、五辛を食べてあたりに臭 気を吐き散らし、家の中を不潔にしていると、菩薩や守護神はそれ に堪えられなくなって、鼻をつまんでみな退散される、というわけ ですか。 ご隠居 そのとおり。そういったところには、ますますいろんな餓 鬼や魔王がむらがり寄って、人々をまどわし、淫怒癡をほめて不善 をすすめる。  はしなくも天魔のために魅(み)いられ、餓鬼に口のまわりを舐め られることについて、これは五辛のことではないが、次のような話 があった。  あるとき、一人の僧が病気になった。その僧は、これは肉を食べ れば健康が回復するだろうと、師の僧に肉食の許しを得た。  師僧がある夜、僧の病状を案じて、その病室を見舞った。  見ると、かすかな灯火のもとで病僧が肉を食べていた。  ところがよく見ると、その病僧の頭の上に一匹の鬼が乗って肉に 食らいついていたのだ。  僧は己れの口に肉を頬張っているつもりでも、その実は、彼は顎 を動かしているだけにすぎず、ほんとうは頭上の鬼がガツガツ肉を むさぼり食っていたのだ。  こんなことがあったので、あのとき、病僧が肉を食べたいと思っ たのは、実は、鬼がとりついて病人を支配したからではないか、と 師僧は、はたと思い当たったという。  つまり病僧が食べていたのは、たしかに肉であって、鬼の食って いたのは、肉の臭いだった、というわけだ。なぜかといえば、おし なべて幽界にあるものは、くさい臭いが彼らの主食だからだ。 葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さない理由 ご隠居 それはともかく、この五辛戒はさっきも言ったように、い わゆる重禁ではなく軽禁なので、絶対的にこれを禁じてはいない。 だから「五辛報応経」は次のように教えている。 「七衆等(七衆とは在家のまま出家した仏弟子のこと)肉葷辛を食 して経論を読誦することを得ざれ(してはならない)。  伽藍(がらん)のそと白衣(俗人・古代インドの一般の服)の家 に在りて服することを開く(開くとは許すという意味)。  すでに四十九日を満じて、香湯(こうとう)をもって澡浴しおわ って、しかしてのちに経論を読誦することを許す。不犯なり」  以上のように、五辛とか肉食をあながち禁じているのではなく、 それらを食べるについては、ある種の制限を設けて許していたよう だ。そして、食べることを許されたとしても、その場合はあくまで も「薬用」として食するものであって、みだりに味覚を満足させる ために許されていたわけではけっしてない。  世間の人々からの尊い供物や布施についてはすべてのものを平等 に受けられた。  これは「僧祇律」「十誦律」そして「五分律」などに、いずれも そのように書かれている。 寅さん その何々律(りつ)というのは何ですか? ご隠居 僧侶として守るべき掟、法律とでも言えばよいかな。  たとえば僧が病気になって、ほかに良い治療法も薬もないといっ たときなどは、七日間にかぎり、よしんばそれがニラやニンニクで あろうとも、病僧にそれの食用することを許した。  ただし、それらを食する際は、別の房室、すなわち延寿堂(えん じゅどう)のような場所においてせよ。けっして衆僧の座臥(ざが するところにおいてしてはならない、と注意している。 寅さん 延寿堂というのは、どこのことです? ご隠居 延寿、つまり命を延ばし永らえるのだから、これは病室の ことだ。もっとも禅宗では火葬場を意味しているようだが----。  先をつづける。  五辛を食べた僧は、衆僧が日常出入りする場所はむろんのこと、 まして講堂、説法の道場になど、まちがっても立ち入ってはいけな い。また、佛像や塔廟(とうびょう)に身を近づけ、礼拝(らいは い)してはいけない。  やむをえず、それらを食べた僧は、七日たったのち、入浴して身 体をきよめ、衣服を香でたきしめたあと、ようやくにして衆僧のな かにはいることが許される、と書かれている。  このように、律部のなかにおいても、医師の診断と指示によって くすりとして五辛を食べるのは、どうやら許されていたようだな。 仏道の修行と養生・医療は合理的なものであった。  ほとけの教えはこのようであって、この仏訓は、佛教に帰依(き え)する多くの人々にかかわりある問題であって、出家にかぎらず、 在家の仏弟子たらんとこころざす者、清浄高潔にして菩薩道をここ ろざす者は、お釈迦さまは、さほど厳しくお差し止めになってはお られないが、大いに一考の余地があるのではないだろうか。  律部(りつぶ)はさらに五辛茹葷(じょぐん)のたぐいを断って 精進すれば、仏菩薩、諸天善神の守護があって、現当(現在と未来 ・この世とあの世)二世の幸福を得るだろう、と書いてある。 寅さん 五辛はともかく、酒と煙草のほうは十分注意することにい たします。

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