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鈴の法話(すずのほうわ)  平成13年・2001年8月号   [鈴の法話 7月号][9月]
   −いたわり 慈しみ 思いやり 相手の立場で考える


2001-08月-1
二十年も法話の冊子(月刊観自在)の発行を継続して
      話のタネがよく続いてあるものだと
             一応感心してもらえますが大変です

              観音院 法主 鈴之僧正

 月刊観自在は、私の生きている様子を話しているだけで、言ってみ
れば、十善戒について延々と述べているだけです。
 有難いことに、今まで大きな筆禍も無く、何となく過ごして来れた
ことは幸せでした。皆さんが生きて行かれる上で、十善戒を護持され
れば、過ち少なく、かつ幸せで、悩みが少ないと保障します。
 取りわけて、私が健康であるとか、頭脳が優れているとか、親から
大きな財産を相続したわけでも無く、普通の人間としては、比較的に
恵まれていて、み仏さまのご加護だと思います。
         (鈴之僧正さまのお話を要約 田川純照 筆記)


十善戒は百薬の長、莫大な資産
      相続税の掛からぬ大きな財産です

 仏教の十善戒の一番目は不殺生(ふせっしょう)。お盆くらいは
捕まえたトンボも逃がしてやれと大人から諭(さと)されたもので
す、昔の人は、不殺生を単純に、全ての生命を殺してはならないと
解釈していました。
 この解釈からは平和憲法の護持は大切なことになります。戦争は
殺生そのものだからです。侵略はもちろん、専守防衛も殺生です。
武器の保有が、殺生の準備になります。

 死刑制度も殺生制度になります。仏法では死刑は受け入れられま
せん。
「やれ打つな 蝿が手をする、足をする」は正解です。大きな動物
はもちろん、昆虫も殺さない、それが不殺生と言うことです。とこ
ろが目に見える動物の命は考えたけれども、微生物やウイルスなど
の命を絶つことまでは殺生とは考えていなかったのです。
 風邪を引いて抗生物質を使うことも正確には殺生です。
 ですから、不殺生を文字通り解釈すると、風邪薬も飲めません。
不殺生の対象は生き物の範囲に植物も含みます。

 「不殺生戒」は成長し繁殖するものは全てその営みを絶ってはな
らないという教えです。
 加えて、自然そのものにも生命を考えていた節があり、これは大
変な戒律だと思います。更には心を悲しませることも殺生に含めて
戒めます。

 遺伝子が発見され、遺伝子操作という病気の治療法は、私どもの
全く予想をしなかった社会の進展です。
 不殺生の戒律は極めて重要な基本的なものですが、線引きが大変
に難しくて、何が殺生か、よくよく考えて日常生活に取り入れなく
てはなりません。
 リストラに伴う解雇も、殺生に該当しますが、企業の構造改革は
存続をかけた組織の意思であり、納得できるものでなくてはなりま
せん。
 なぜ解雇が殺生に相当するか、人を残すべきか、辞めさすべきか
評価してなされるから人の心を傷つけるからです。この先二、三年
はリストラをしなければ全員が仕事を失う場合も考えられ、辞める
も地獄、残るも地獄のような現象が随所に見られるでしょう。

 不良債権を二、三年で処理すると、全国で十万社くらいの会社が
破綻するかもしれません、失業者も百五十万人くらいになるかもし
れません。企業にも寿命みたいなものがあります。その寿命が人の
判断で絶たれるなら殺生なことになりますし、終わった寿命なら如
何ともし難いことです。その寿命の判断を金融機関がする、実際に
は担当する人の判断ですから、間違いがあるかもしれない。これは
怖いことです。
 冤罪(えんざい)で拘束されたり、極端な場合は死刑も起きます。
これなんか最初から最後まで殺生に相当しますが、企業の債務が銀
行にとって不良債権と認定されれば殺生に相当することも起きそう
で心配なことです。



 殺生をしないと誓うこと
       全てのものを大切にすること

 不殺生の考え方は「全てのものを大切にする」、者も物も金銭も
です。とりわけ大切なのが、「人間と人間の関係」、「住んでいる
環境の一切」です。政治に例えれば、国民が安心して住めるような
社会にすることなのです。
 安心してできる仕事、安心して住める場所、環境から、高齢者福
祉、学習する機会、安全な社会を皆で作ることに一人一人が参画す
ることです。
 参画する条件として、他人の話がていねいに聞ける、相手の立場
で考えることができる、ということが大切になります。

 先ずは良い家庭を作ってください。親子関係や配偶者との人間関
係の熟成はとても大切なことです。 次は、隣近所との付き合い、
職場での人間関係や生産性などが問題になります。

 意思の明確な表示や優しさなどが必要になります。言いつのった
り、皮肉を言ったり、我を通したりしては、協調性が保てません。
礼儀正しいことや適切な言葉遣いも必要です。
 あっちで衝突、こちらで衝突では、善悪の次元を超えたトラブル
メーカーで、団体内では職はありません。
 思うように物事がならないと、物に八つ当たりして壊したり投げ
散らかしたり、我慢しても顔に青筋が立っていたり、捨てぜりふを
吐いたり、一言乱暴なことを言ったり、更には泣いたり喚いたりす
る。我侭で、我が強くて、自己中心、その上に被害妄想でも強けれ
ばついには自分自身の立つ瀬がなくなります。これらの行為は周囲
を怖がらせるものです。


私が十善戒を知ったのは、父親と一緒に「読経」するようになって
から。十善戒を真剣に考えるようになったのは三十歳を過ぎてから、
それまでは呪文のように唱えていたのです。 


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鈴の法話(すずのほうわ)−2− 2001-08-2

謙虚に生きることと自分を見つめること
   思い上がりは仕事と友人を失うことになる


 もし、自分が一番勤勉で仕事もできるとでも思って、我侭を通し
ているのであるならば、錯覚です、良くできたはずの仕事と親しい
友人を失います。
 親しいと思っていた友人、それは多分に貴方の行為に迷惑を感じ
ながら、世間の常識として、貴方の主張に嫌々ながら従っていた被
害者です。
 人望が無い技術は優れているほど始末が悪く、苛めになります。
苛めは他人を排除する場合もあるし、苛める人が排除される場合も
あります。
 科学の進歩と技術の向上が進む中で原発とかミサイルなど、想像
を絶する殺生を人類は経験しました。高度な術は倫理の範囲内で
運用されないと世の中に不幸を齎(もたら)すのです。
 大きな問題になっている対人地雷などは、単に人を傷害者にして
周囲の人の手を取ることだけを考えて戦意を喪失させる陰険悪質な
兵器です。

 人を拘束し逃げられないようにすることは全部殺生なことです。
拘束される理由は、法律に反する場合だけですが、拘束された人の
胸中は不安で一杯だと思います。しかし営利目的の誘拐などは人間
のすることとは思えません。

 環境破壊は大変な殺生です。私たちの子孫の生存を否定するもの
です。地球温暖化防止京都議定書がアメリカの反対で書き換えられ
るかもしれないことになったのは、単純にアメリカの経済影響から
の大国のエゴです。
 事業活動や私たちの日常生活から出る廃棄物やゴミで、大気、水、
土壌の汚染や生態系の破滅等が引き起こされます。このような環境
問題は地球規模で進行しています。 
  今日の環境問題は、特定の大工場だけではなく、通常の事業活動、
日常生活に原因があります。全ての人が自発的に、環境保全に取り
組まなければ解決は困難です。 

 日本には環境省があり、環境保全は経営戦略の重要な一要素とな
っており、多くの企業が環境に関する経営方針を固めています。事
業者にとって環境への取り組みは社会に対する責任です。 

 私たちの身体の中に、環境から摂取したガラス繊維やニコチン、
タールやPCB、新建材の不健康物質、車の排気ガスの有害物質な
どを蓄積していて、遺伝子の何処かが壊れている可能性が考えられ
ます。
 禁煙は相当徹底して来ましたが、百害あって一利も無い、税収は
あるけれども喫煙に伴う疾病の治療費は税収を上回るとも言われる
煙草が売られていることは国家の殺生です。
 煙草については苦い経験があって、二十年くらい前まで、保護者
が非行少年を連れて相談に来られる、保護者が帰られた後に「煙草
を吸うか」と一本差し出すと子供が胸襟を開いて慕ってくれるよう
になる、友人も連れて来るようになる----、未成年者を沢山集めて
善導しているつもりでいました。
 ところが、知り合いの警察官が「和尚さん、施設管理者の責任と
言うものがあって、寺の中で喫煙させない方が良い」とたしなめら
れ、寺を禁煙にしたら、子供たちはピタッと来なくなりなりました。
一緒に禁煙しようと沢山の未成年者に禁煙させたのですが。以来、
観音院は全面禁煙にしました。
 若い人の喫煙は減りそうもありません。販売を止めて欲しいです
ね。
 社会に様々な矛盾があって、矛盾が成立するには長い歴史があり
ます。その矛盾の中に生きていて、法律で禁止されなくても、自分
自身で考えて良くないことは除いて行きましょう。


*癇癪玉(かんしゃくだま)と言われた花火があって、投付けるとむ
 「パン」と破裂する。感情が制御できないで、直ぐに爆発する人
 を癇癪玉といいますが。周囲の人が扱いに困りますね。 



 殺生をしないということは
      物を徹底して大切にすること

 物を大切にすることは、執着することとは異なります。物の命を
大切にすることです。
 私自身は一切の資産や信用、立場など、いつ失っても構いません。
生命を失うような大事でも耐えれます。まぁ、現在でも法主さんと
か鈴之僧正とか言われて大切にされていますが、観音院に置いても
らっているような気持ちです。ご迷惑になるようであれば、今日に
でも寺を出ます。着の身着のままで放り出されても結構です。なる
べくなら置いてください。
 お寺で使わしてもらっているパソコンはMSDOSという古いも
のからウインドウズの95、98、ME、NTなど、これは始末の悪い道具
で、俗にドッグイヤーと言って一年で九年分も古くなります。仕事
は大変に能率良くできますが、これらは、皆さんのお役に立つため
に新しい機種が導入してあるので、寺の知識に継続性を持たせるこ
とだと諦めています。

 私の引き出しには四十年くらい昔の万年筆が健在です。戦後すぐ
に購入した三角定規も未だ使えます。豊かな時代になって、次々と
捨てることが良いような感じですが、私が何か捨てたという記憶は
ありません。物を大切にすると、片付けと置き場が大変です。車両
は原則として乗り潰す感じですが、可愛がれば十年は大丈夫なよう
です。
 ハンカチなどは一枚も捨てたことがありません。頂き物が多く、
当然に欲しい人に差し上げています。時にお洒落だと言われること
がありますが、其処にあるものを身に着けるだけです。
 大切にすることと関係ありませんが、金襴とか絹物は好みません。
木綿や化繊の法衣が好みです。数珠は五十年もので、締め直しても
らっては使い続けて今日に至りました。


*使い捨ての時代ですね。でもゴミの分別をできないと非難され
 ます。物を捨てるには、思い切りが大切です。衝動買いと同じ
 くらいに、後悔するほどに衝動的に捨てていませんか。


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鈴の法話(すずのほうわ)−3− 2001-08-3

大切にして、損なわないようする
    居る場所、住む場所、している仕事

 若い人たちが都会に永住して、年取った親は子供から離れていて
は面倒をみれないと言われて、家を売り払い都会に移り住む、よく
あることです。
 ところが、都会に出ても自室はあっても、田舎の家のように知り
合いが居るわけでも無い。共働きで孫の面倒を見るのは幼児の時だ
け、やがて孫も自室に一人で住んで、年寄りは口煩いと嫌うように
なる。お金は子供たちの家の借金の返済や自動車に化けて、小遣い
もままならないのが現実。このような相談は、子供さんのところへ
行く前であれば、助言の仕方もあります。

 お年寄りが安心して住める家を失うことは気の毒です。親が安心
して居る場所を用意するのは子供の基本的な倫理で、親を粗末にし
てはなりません。
 今の日本は親が子供に親を粗末にしても良いと教えているような
感じがします。親も子供に厄介を掛けないと考えておられるような
風潮も感じます。

 お年寄りは新しい道交法などが理解できないで、身近な若い者に
無理を言うことがあります。
 私も昔、先代を車に乗せていて、一方通行を逆走するよう頼まれ
たり、国道の中央分離帯を乗り越えて、直進するよう言われたり、
困った依頼は沢山ありましたが、高齢でも良く説明すれば納得して
もらえるものです。
 先代が一人で出かけて行って迷子になり、電話を掛けて来て「今
どこに居るのか分からない」と言われ、通りかかりの人と代わって
もらい、迎えには何度も行きました。
 一番困ったのは「どこやらの誰やらさんが亡くなられた、枕経に
来て欲しいと言われた」。これは対応に困りました。病人を看病し
ておられる檀家へ片端から電話することはできません。
 再び連絡があってから行きましたが、事情は時効になっているか
らお話もできる次第です。

 脳梗塞などには後遺症として意識障害が起きることがあります。
アルツハイマーも様々な困難が伴います。
 さて、私が職員に車を運転させて、一方通行の道路の逆行を頼ん
だり、電話を受けて「どこかの誰やらさんが、何か言っておられた」
と言うような将来がある可能性は高いと思います。
 それは、その時、その場に居る人にどうすべきか判断してもらい
ます。
 病院に放り込むのも可、老人病院に入れるも可、呆けた後のこと
にまで指図する意思はありません。住職の世襲制を廃止した責任者
ですから、家庭崩壊ではなくて、家庭破壊をしたのかもしれないと
考えています。
 その当事者が家庭崩壊を嘆き、家族の連帯を皆さんに願っている
のですから大変に矛盾したことです。 
 老後の環境は、社会の担うべき責任であると同時に、私の場合は
自業自得なんだと思っています。

 結果的に、第三者から幸せにしていると見えることが良いと思い
ます。
 三世代、祖父母、父母、子供が仲良く暮らしている家庭は微笑ま
しく尊敬に価すると思います。そして可能であれば隣近所と仲良く
共存しておられれば素晴らしいことです。

 尤も、隣近所が転居して、何方も居られない場合なんかは、仲良
く共存する方法がありません。
 隣近所が無い人は、インターネットを是非ともやってください。
日本中はもちろん、外国までお友達がたくさんできます。
 インターネットの世界には、年齢も地位もありません。皆さんが
平等のような錯覚が起きるくらいです。
 携帯電話も@モードを付けて、是非とも使いこなしてください。
迷子になっても心配無いし、携帯電話で地理情報も所在地情報も得
られるし、発信も可能なようになっています。
 キーボードが叩けなくても心配はいりません。音声対応も出てき
ます。
 介護者に問題があれば、SOSも出せるし、具体的な事実を世間
の常識で討論してもらうこともできます。


*人にとって一番大切なものは、自分の居る場所です。安心して
 住める家、安心して居れる自分の部屋、安心して出歩ける環境、
 なすべきことがあると幸せです。簡単で難しいこと。



  全てに愛を光と祈りを
      み仏さまの慈悲と真実を

 不殺生(ふせっしょう)は、情あるものの生命を絶たないことで
す。悪戯で愛玩動物を殺したり傷付けたりしない。生命をもつもの
を大切にする。大切にすべきものは山や川や海、自然や環境、木々
や草花、蝶やトンボ、川に泳ぐメダカ、海の魚など、誰でも考えら
れる常識で殺生をしないことです。
 食料として周囲を眺めると、魚肉が一番に上げられますが、米も
麦も命あるものとして私は考えます。
 机や椅子も、命ある木を切って、家具としての命を得たのです。
不殺生という戒律を護持する私の現在は、殺生で支えられているこ
とを知っています。

 仏教の不殺生(殺生しない)という戒律を大切にすると何がある
か。結果として多くの人を愛し、多くの人に愛されるという幸せを
知ることができます。
 喧嘩や苛めは、とても悪いことです。そして、時として私たちは
売られた喧嘩を買うこともあります。騙されることもあります。弁
護士に依頼して裁判で争って勝訴し、相手にダメージを与える道も
あります。
 できれば争いは、避ける方が望ましいことです。争いは勝っても
負けても、過去に向けて時計の針を回すようなことが多いようです。
損害を受けた時は相手を許すことが前向きなことです。
 不殺生については大切な戒律なのでまだまだ時間を掛けてご一緒
に考えて行きたいと願っています。


*不殺生は生きているものは何かを考え、そして生きているもの
 の命を絶たないよう努力しながら、ものの命が最期まで輝いて
 いるような終わりまでを考えて生涯を送ることです。


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