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[駆け込み寺 楽書帳]


十住心論四季の閑話

    「秘密曼荼羅十住心論」より 其の四

                     観自在編集部


人間の世界

 最後に、人間の生き方について明らかにしよう。
 人間の生き方には二種類ある。
 十種の善行(ぜんぎょう)と十種の悪行(あくぎょう)とである。
 悪行をかさねれば、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕(お)ちる。
 反対に善行をつめば、三界(さんがい)の諸天に昇る。

十悪の詩

 地獄、餓鬼、畜生に生れる原因は、十悪の所業のせいである
 一つの悪業をおこなえば、必ずその報いをうける
 人は知っているだろうか
 自分の言葉や行為が、来世の苦しみの原因となることを…
 身体がひき起こす三つの悪業…
  殺生(せっしょう)、偸盗(ちゅうとう)、邪淫(じゃいん)
 言葉がひき起こす四つの悪行…
  妄語(もうご)、綺語(きご)、悪口(あっく)、二枚舌
 意がひき起こす三つの悪行…
  慳貪(けんどん)、瞋恚(しんに)、邪見(じゃけん)
 これら十悪は人を地獄に沈める
 過ちに気づいてこれを改めれば、賢人や聖人と同じである
 善男善女(ぜんなんぜんにょ)よ、このことをよく考えて善をなせ

殺生の報い
 殺生をすると地獄、餓鬼、畜生界に堕ちる。
 かりに人間界に生まれたとしても、多病や短命に終わる。
 それは次のような理由からである。
 なぜ、殺生は地獄の苦しみを受けるのであろうか。
 殺すことは、生きものを苦しめることだから、健康をそこね、生命が終わ
 れば、地獄のあらゆる責め苦が押し寄せて、己を苛(さいな)むのである。
 殺生をすると、なぜ畜生となるのであろうか。
 殺すことは人倫に悖(もと)り、慈しみ痛む心に欠けるから、地獄の罪を
 終えて畜生の身を受けるのである。
 殺生は、どうしてまた餓鬼となるのであろうか。
 殺すことによって、うまい食物を貪(むさぼ)り、その食物に執着(しゅ
 うじゃく)して、他に与えまいとする心が餓鬼となるのである。
 殺生をすると、人間に生まれたとしても、なぜ短命なのだろうか。
 殺生は、生きものの生命を傷つけ奪うから短命となるのである。
 殺生はなぜ多病なのだろうか。
 殺すことは自然にさからい、あらゆる患(わずら)いがきそい寄ってくる
 から多病となるのである。
 まさに知るべし。殺すことは大苦の因である。

盗みの報い
 盗みをはたらくと地獄、餓鬼、畜生の世界に堕ちる。
 もし人間界に生まれても、貧窮に終始するか、富裕であっても、金銭の使
 い方をまるで知らない守銭奴として、人から毛嫌いされるという二つの報
 (むく)いを受けるだろう。
 盗みをはたらくと、どうして地獄に堕ちるのであろうか。
 盗みとは、他人の財産を奪いとり、またひそかに盗んで人を苦しめるので、
 死んだあと、被害を受けた人々の苦しみが、ことごとく自分の身におそい
 かかって地獄に堕ちるのである。
 盗みをすると、地獄を免れたとしても、なぜ畜生となるのだろう。
 盗みは人の倫(みち)にはずれるから、畜生に生まれる報いをうけて、つ
 ねに身体に重い荷物を背負い、肉を人間に提供して、前世の罪をつぐなう
 のである。
 盗みは、どうしてまた餓鬼に堕ちるのであろうか。
 欲深く、人の物をひたすらむさぼる心根が、畜生の罪をおえてもさらに餓
 鬼に生まれ変わるのである。
 では、なぜ人間に生まれても貧窮なのであろうか。
 盗みは、人を困らせ貧窮に追いやるから、その報いとして当然のことなが
 ら貧窮なのである。
 では、どうして人間に生まれると守銭奴となって、人から蛇蝎(だかつ)
 のごとく嫌われるのだろうか。
 盗みは、人から物を奪う行為にのみよろこびを感じ、それを蓄えることに
 しか関心がもてない。金銭に汚く、お金の使い方を知らないから人々に蔑
 (さげす)まれるのである。

『雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)』に説いている。
「ひとりの鬼があるとき、釈迦の弟子の目連にむかって、大徳よ、私の腹は
甕(かめ)のように大きいのに、喉(のど)や手足は針のように細くて飮み
食いできない。なんの因縁でこんな苦しみを受けるのでしょうか、と問うた。
目連は答えていう。汝の前世は村落の長であったが、自分の権勢をカサに着
て、思いのままに村人を欺き虐げ、彼らの食糧をかすめ取って人々を飢えさ
せ、困窮させた。その因縁によってそのような罰を受けたのである。いま汝
があじわっている地獄の苦しみは、前世における汝のおこないにすべての原
因があるのだ」と。

邪淫の報い
 邪淫の罪をおかすと地獄、餓鬼畜生の世界に堕ちる。もし人間に生まれる
ことがあっても、二種類の報いをうける。一つは自分の伴侶に裏切られる報
い。もう一つは心からなる友達ができないことの報いである。
 邪淫はどうして地獄に堕ちるのであろうか。
 邪淫というものは不正な男女間の情事であり、そのことが原因で周囲に苦
痛を与えるから、命の終わったのちも地獄の苦しみを受けるのである。
 どうして邪淫は地獄を出て畜生となるのだろうか。それは人の倫に反する
から、ふたたび畜生の身を受けるのである。
 どうして邪淫は、また餓鬼となるのであろうか。
 色欲というものは、際限なく貪りつくさずにはおかないから、その貪(む
さぼ)る罪によって餓鬼となるのである。
 では、なぜ邪淫は、人間界に生まれたとしても相手(夫または妻)に裏切
られるのだろうか。
 それは前世に犯した不倫によって自分の得た伴侶が貞節でないためである。
 どうして邪淫は、真の友達を得ることができないのだろうか。
 邪淫というものは、人が愛しているものを奪うから、仲間の信頼を得るこ
とができない。その結果自分の愛する者を他人に奪われる羽目になる。まさ
に邪淫の罪は、後世人間に生まれたとしても、人を愛し、愛されることのな
い大いなる苦しみをあじわうことになるのである。
「むかし、ひとりの鬼がいて目連に言った。私はひとつの事柄にとらわれる
と、そのことで頭がいっぱいになって周りのことが見えなくなる。またつね
に、人が来て私を殺そうとしているのではないかという強迫観念に脅かされ、
その恐怖に我慢できない。なぜこのように怯えなければならないのでしょう
か。答えて言う。汝は前世のときに姦淫の罪をおかして、つねに人に見られ
ることを恐れ、捉えられ、縛られ、打ち殺されることを恐れてびくびくして
いた。いまの苦しみはそれら悪行の報いである」と経は説いている。

妄語の報い
 嘘をついて人をあざむく行為は相手にたいして不誠実であり、その嘘が、
結果として他人を苦しめることになる。
 妄語もまた三悪道に堕ちる原因となるのである。
 かりに人間界に生まれたとしても二種類の報いをうける。一つは大勢の人
からそしられ、一つは事あるごとに人にたぶらかされる。
 ではなぜ多くの人にそしられるのであろうか。口からでまかせに嘘をつい
て、多くの人に迷惑をかけた報いである。
 ではなぜ嘘をつくと、人からたぶらかされるのだろうか。その虚言が不信
の種子となり、その不信の種子がめぐりめぐって、こんどは反対に人から欺
(あざむ)かれ、たぶらかされることになるのである。

両舌の報い
 二枚舌というものは、人と人との信頼のきずなを断ち切り、仲たがいのも
ととなる。いたずらに平和をみだし、起きなくてもよい争いが二枚舌によっ
て生じるから、三悪道の世界に堕ちることになる。
 たとえ人間界に生まれても二種類の報いをうける。悪い仲間しかできない
ことと、その仲間たちの関係がいつも不和なことである。
 ではなぜ二枚舌の罪が、人間に生まれた場合、悪い仲間ばかり寄り集まっ
てくるのだろうか。
 二枚舌によってもたらされる猜疑(さいぎ)と不信が仲間うちにひろがり、
お互いが腹の内をさぐりあうからである。
 ではなぜ二枚舌は不和の仲間をつくるのであろうか。二枚舌が原因で友情
がこわれ、そのうえ憎悪でもって相手を見るようになるからである。

悪口の報い
 悪口も人間を三悪道に堕とす。
 仮に人間に生まれると、つねに不快な声を聞くという苦痛をあじわい、言
葉をしゃべれば必ず諍(いさか)いが生じる。
 ではどうして悪口の罪は、四六時中たえまなく不快な声を聞くことになる
のであろうか。悪口はがんらい下品で卑しい心のなせるわざであるから、聞
こえてくる言葉もすべて悪口となってはね返ってくるのである。
 ではなぜ言葉を発すると、そこに必ず諍いが起こるのであろうか。
 悪口は、その場にいない人のことを悪意をこめてこきおろす。その悪意が
また悪意を呼んで諍いが生じるのである。

綺語の報い
 偽り飾った言葉の罪も、また人を三悪道に堕とす。
 人間に生まれても二種類の報いをうける。一つは、何を言っても人から信
用してもらえない。いま一つは、何をどう言っても、伝えたい意味を相手に
よく理解してもらえないという報いである。
 どうして綺語の罪は、自分の言葉が他の人に信用されないのであろうか。
偽り飾った言葉は、内容に意味がないから人の信用を得られないのである。
 ではなぜ綺語は、その発言が他の人に明確に伝わらないのであろうか。そ
れは言葉じたいが浮つき飾られて、すでに言葉の中身がぼやけてしまってい
るから相手に理解してもらえないのである。

貪りの報い
 貪欲の罪も前に同じ。もし人間界に生まれても二種類の報いをうける。
 一つには多欲、一つには満足する心に欠けることである。
 ではどうして貪りの心は多欲なのであろうか。この世の中をすべて欲得ず
くで考え行動するから、ますます欲心が深くなるのである。
 どうして貪りの心は満足することがないのであろうか。その貪りの心にせ
っつかれ挑発されて欲望の歯止めがきかないからである。

瞋恚の報い
 瞋りの罪も三悪道に堕ちる。人間に生まれれば、すべての人からいつも自
分の短所を非難され、人々からつねに傷つけ悩まされる。
 どうして瞋りの心は、つねに人々から短所をきびしく追及されるのであろ
うか。
 自分の思いどおりにならないから腹をたて、他人を許すことができない。
その険悪な空気が伝わって相手から容赦ない非難をあびるのである。
 ではなぜ瞋りの心は、人々によって傷つけ悩まされるのだろうか。
 憤りをあらわにした態度は人の心を傷つけるため、人からまたその報復を
受けるのである。

邪見の報い
 邪見の罪も前に同じ。もし人間界に生まれれば二種類の報いをうける。一
つは邪な考えの持ち主の家に生まれ、一つは卑劣なおもねりの心を持って生
まれる。
 どうして邪な考え方は、邪な見解を持つ人の家に生まれるのであろうか。
 それは物事を素直にとらずに、まげて考える習性が心につきまとうことに
よって、ねじけた考えを持つ人の家に生まれるのである。どうして邪な見解
は、おもねりの心を持つのであろうか。
 邪な見解には、正しさの基準というものが欠如しているから、人間に生ま
れても、つねに人の顔色をうかがってごきげんをとり、おもねるのである。

 これまで四回にわたって第一住心の「異生羝羊心」を拝見してきました。
 善いこと悪いことをいい加減に考えて、なんの反省もなく、欲望のおもむ
くままに生きている精神のあり方を、お大師さまは異生羝羊心であるとたし
なめておられます。
 そんな人間にならないためにも、もう一度「まことの道」の十善戒をひも
といてみませんか。


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