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Web版 月刊 観自在  いたわり 慈しみ 思いやり 相手の立場で考える
佛教談議(ぶっきょうだんぎ)  その四十
平成13年・2001年4月号



花まつり

寅さん まもなく四月八日、お釈迦さま(紀元前四六三ー三八三?)
がお生まれになった「花まつり」ですが、私は以前からずっと疑問
に思っていたことがあります。
ご隠居 ほほう、何かな?

寅さん 佛教には、お釈迦さまのほかに、いろんな佛菩薩がおいで
になる。それは何故なのでしょうか? 私の考えでは、ほとけさま
はいっそのことお釈迦さまお一人に決めて、その釈尊を念ずること
にしたほうが、よほどすっきりと気持ちの整理がつくと思うんです
が、いかがなもので?

ご隠居 たしかに、「佛教の大海には、信をもって能入(のうにゅ
う)する」とあり、信ずることによって往生が定まるならば、一佛
を念ずるだけで十分だ。
 ことさらに種々様々な佛菩薩を念じて、純一な佛教に対する信心
の濃度を薄めることはない、というのが寅さんの意見のようだが、
はたしてそうだろうか?
 佛教は、お釈迦さま一人でお説きになったもので、そのほかどの
佛菩薩の意見も介入してはいない。
 なぜなら、釈尊以前、人々は一佛一菩薩のお名前さえも知るこ
とはなかった。
 いま、私たちが存じあげている佛・菩薩は、すべてお釈迦さまの
説法(せっぽう)によって紹介され、その広大な功徳(くどく)を
我々が知ったわけだから、それらの諸佛諸菩薩はすべからく釈尊の
分身といって差し支えない。
 だからお釈迦さまのことを、千百億の化身(けしん)ともいう。
したがって、いかなる如来菩薩の名号(みょうごう)があろうとも、
佛法の教主はお釈迦さまであり、たとえどの佛菩薩を念じようとも、
信心は、ぜんぶ釈尊一佛に帰するというものだ。
寅さん なるほど、言われてみればその通りですね。

ご隠居 元来、佛教のありがたさは、すこし俗っぽくいうと、病に
応じて薬を与える「応病与薬(おうびょうよやく)」、そういう痒
いところに手のとどく即効性にあるとされている。
 それゆえ病気の種類が多ければ多いほど、薬の数も多くなければ
ならないし医師もまた、内科や外科など専門のお医者さんがいて、
処方する薬も千差万別だ。単純に一種類の薬を服用して、それで身
体が良くなるものではない。

法身、報身、応身
ご隠居 比喩(ひゆ)が、あるいは適切でないかもしれないが、た
とえば、人間が飢えを凌(しの)ぐのに、ただ、ありあわせの物を
なんでもお腹いっぱい食べてればよいか、というと、そういうわけ
にはゆかない。
 衣服は、寒暖を凌(しの)ぐためにだけ何か身にまとえばそれで
済むだろうか? 住まいにしても同じく、雨露を凌ぎさえすれば、
掘っ建て小屋でかまわないだろうか?
 そんなわけにはゆかない。
 人間は、できれば御馳走を食べたいし、みなりを飾っておしゃれ
もしてみたい。すばらしい家に住んで快適な暮らしを楽しみたい。
 それが人情というものだ。
 このように私たちの実生活にもいろいろ暮らしのパターンがある
ように、信仰の世界にも、それぞれの環境や各人の心のあり方など
に応じて、自らが信じ、心に念ずる佛なり菩薩があってもよいので
はないか。お釈迦さまは、私たち衆生のそういった気持ちをお考え
になったうえで、それまで人々がまったく知らなかった佛界のある
ことを教えしめされたのだ。
 そして衆生(しゅじょう)一人一人の能力に応じ、数多くの法門
を開示(かいじ)された。
 法門がたくさんあるから、佛菩薩がたくさんおいでになるのは当
たり前だ。
 しかし、さっきも言ったように、それらの佛菩薩は、すべて釈尊
一佛に帰納(きのう・寄せ集める)せられ、一佛ではあるけれども、
これを演繹(えんえき・意味を押し広めること)すれば、また多佛
になるのは道理ではないか。

寅さん すると、私たち真言宗の大日如来さまは、どういった立場
にいらっしゃるんです?
ご隠居 そもそも佛に法身、報身応身の三身があるとされているが
その三身はほんらい別々ではない。
 三身は即一身にして、一身はすなわち三身でもある。
 お釈迦さまは応身(おうじん)でありながら法身(ほっしん)と
報身の二身もその身に兼ね備えていらっしゃる。法身とは理体、つ
まり真理そのものであり、報身とは衆生の願いにむくいる智相なの
だ。この理智が深く溶け合って、すべてを満たす佛身となる。
 お釈迦さまは、そういった果満(かまん)の佛身にましますゆえ
に、たとえば、法身である大日如来のお姿で大日経を説かれたり、
あるいはまた、報身の阿弥陀如来に相を現じて阿弥陀経を説かれた
りされるわけだ。
 そして、応身のお釈迦さまは、時として我々の住むこの世に出現
されることがあるが、久遠(くおん)の釈迦如来は、はるかな昔よ
り、寂光浄土に安住しておいでになる。
 このように法身久遠の釈尊も、応身にして、その存在を実感とし
て感じることのできる釈尊も、ほんらいは同じお釈迦さまなのだが、
衆生の心のなかに備わったほとけの教えに応(こた)える能力の差
によって、あたかも二身の釈尊が存在するように思われることがな
いでもない。
 が、しかし、諸佛はあくまでも平等であること、また、多佛と一
佛は同義であることをわれわれはよくよく理解する必要があると思
うな。

十方諸佛と大日如来
寅さん ご隠居の話だと、お釈迦さまも大日如来も同じ、というこ
とになりませんか?
ご隠居 釈尊と大日如来と、どれほどの差別、違いがあるか、とい
うことから説明する必要があるようだな。
 佛の法・報・応の三身のうち、顕教の法身は、真如法性(しんに
ょほっしょう)の妙体を法身(ほっしん)といい、密教では、地水
火風空識の六大を法身という。そしてわが真言宗はこの法身に大日
如来という尊号を付し、またの名を大日毘盧遮那佛(びるしゃなぶ
つ)とも、遍一切処(へんいっさいしょ)ともいう。
 六大も真如も、ともにこの宇宙に隙間なく満ちあふれているから
だ。そして大日というのは、太陽が万物をすみずみまで照らすよう
に、あまねくどこまでも光りが届く情景だ。したがって、これとい
う物体がどこかに存在している、といったわけのものではない。
 この天地そのままが大日如来の佛体であり、この大自然の営みそ
のものが、大日如来の佛心でもある。それゆえに、一切衆生の心の
なかにも一個の大日如来がおいでになる。これを自性天真佛という
場合もある。
 つまり、私たちの身体じたいが六大法身であるから、龍樹(りゅ
うじゅ)祖師が申されたごとく、「もし、人が菩提心をおこし、佛
慧に通達すれば父母所生(しょしょう)の身に、速やかに大覚位を
証す」るのである。
 したがって真言宗では、人は死んでのちに未来の成佛をうんぬん
するのではなく、この身がそのままほとけに成る、ということであ
るから、即身成佛(そくしんじょうぶつ)が真言宗の宗義となって
いる。しかし、即身成佛は、口で言うのはたやすいけれども、真に
加持顕得の位にまで達することはなかなか容易ではないとされる。
 また、いわゆる報身というのは果報の佛身ということであって、
菩薩が修行によって五十二位の段階を践(ふ)み、ようやく成道作
佛(じょうどうさぶつ・悟りをひらいてほとけになる)の大覚位を
証得し、その顕得した果佛が大日如来であるから、成道された十方
諸佛は、すべて大日如来であらせられるわけだ。

密厳浄土(みつごんじょうど)
ご隠居 そして大日如来が、その本地法身の法界体性智に住まわれ
るのを、自受用三昧(ざんまい)、自受用法身と申し上げる。また、
大日如来が、大円鏡智(だいえんきょうち)の三昧に住(じゅう)
せられるのを阿閃(あしゅく)如来といい、平等性智(びょうどう
しょうち)の三昧に住せられるのを宝生(ほうしょう)如来、妙観
察智(みょうかんざっち)に住せられるのを阿弥陀如来、成所作智
(じょうしょさち)三昧に住せられるのを不空成就(ふくうじょう
じゅ)如来といい、これらを他受用報身と申し上げる。
 したがって十方の諸佛如来は、いずれも大日毘廬遮那佛の分身と
いうわけだ。
 つまり、大日如来は理佛であり、阿弥陀如来や薬師如来など因果応
報(いんがおうほう)の報身は智佛であって、この理佛と智佛とが
合体して、世間に応化(おうげ・佛が衆生を救うためにいろんな姿
を変えてこの世に現れる)されたのが応身のお釈迦さまだ。
 だからお釈迦さま主体に考えると、十方諸佛はすべて釈尊の分身
であって、法・報・応の三身といっても、じつは一身であり、一身
はすなわち三身でもあるというわけだ。

 お釈迦さまが自受用(じじゅよう)三昧----ご自分の世界で、み
ずからのために悟りのままにお説きになったのが陀羅尼(だらに)
真言という。
 また、他受用(たじゅょう)三昧----衆生の立場にたち、大慈悲
によって人間を救い、成佛(じょうぶつ)を遂(と)げさせようと
してお説きになったのが、大乗の教えである。
 また、大日如来やお釈迦さまが住しておいでの自性法界宮(じし
ょうほっかいぐう)という所があるが、これを押し広めて言えば尽
十方(じんじっぽう)世界、尽十方虚空(こくう)のことごとくが
自性法界宮であり、極論すると大日如来やお釈迦さま自体が、すな
わち自性法界宮でもあるわけで、これを密厳浄土(みつごんじょう
ど)ともいうな。
 このように考えれば、私たち一人一人も、じつは一個の自性法界
宮であり、密厳浄土の真っ只中で日々を送っていることになるわけ
だ。常日頃から観音院の大日如来さまによくお参りして、御姿を心
に刷り込んでおいて、苦しいとき辛いときには思い浮かべ、元気と
御加護を頂くとよいな。


千手観音を信心して幸せを願い、 福分を得た貧しい女の話
                     「日本霊異記」より

 海使蓑女(あまのつかいみのめ)は、奈良の左京の九条二坊の人で
ある。
 蓑女には九人の幼い子がいたが貧しい暮らし向きは一通りでなく
母子十人がその日を生きるのに精一杯というありさまであった。
 さて、蓑女は、家から近い九条四坊の穂積寺の千手(せんじゅ)
観音をいたく信心していて、ひまをみつけては観音像の前で手を合
わせ、どうぞわたくしに福分をお授けください、と熱心にお祈りを
していた。
 淳仁天皇の御世、天平宝字七年(763年)の冬のことである。
 蓑女の貧乏暮らしを敬遠して、ふだんはあまり寄りつこうとしな
い蓑女の妹が、なにを思ってか、ふいに彼女の家を訪ねてきた。
 妹は、皮でできた大きな箱を、「よっこらしょ」と、いかにも重
そうに持ち込んで、これをしばらく預かってくれという。見れば箱
の脚もとに馬の糞が付着している「すぐに引き取りに来ますから、
姉さん、お願いします」といって妹はそそくさと帰っていった。
 仕方なく蓑女は箱を預かったものの、だが、それきり妹は、待て
ど暮らせどいっこうに姿を見せない。
 弟の家に行って妹のことを訪ねてみたが、弟も知らないという。
 彼女は箱が気にかかって仕方ない。とうとう我慢がならず、蓑女
は妹の置いていった箱を開けてみることにした。
 すると、どうだ。箱の中に銭百貫が入っているではないか----。
 さっそく蓑女は、いつものように、いや、銭百貫という思っても
みなかった福分にあずかったのでいつもより多くの花と香(こう)
と灯火の油を買って、千手観音を供養することにした。
 一心不乱に拝んだあと、何気なく観音像の足元を見ると、そこに
も馬の糞がくっついていた。
 そこで蓑女は、あの銭百貫は、ひょっとして観音菩薩がお授けく
ださったものではないか、と思ったのであった。

 そうこうしているうち三年が過ぎた。
 千手観音像の安置されている穂積寺に、蓑女が寄進した銭百貫も
いつしかお寺の修理代などで費消してしまったが、妹のほうは、そ
れ以後何も言ってこない。
 やはりあの銭は、千手観音様から賜(たまわ)ったものだったの
だわ、と、蓑女は、はっきり悟ったのである。

 賛(さん)にいわく----善きかな、海使蓑女。朝(あした)に飢
えたる子どもたちの空腹を満たすべく懸命に働き、夕べに香燈をた
いて観音の徳を願う。
 千手観音が、その信心に感応(かんのう)して、授けた銭が蓑
女の貧乏の心配をなくし、福分を与えられた。いまは子を養育する
のに、食べものも衣服も十分に満ち足りている。
 かくして蓑女は知ったのである。
 情けぶかい観音菩薩は、彼女がいつも乏しい懐中をはたいて花香
油を買って供養をつづけ、千手観音に福分を願ったその代償として
大きな幸せをお与えになった----
 涅槃経にもちゃんと説いてある「母が子どもに慈愛を垂れれば、
それによって来世は、おのずから天上世界に生まれる」と。




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