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[駆け込み寺 楽書帳]


「  偽善者  」 (96.9.3)


 よく「いい人」だの「優しい人」だのと言われる。私はこの言葉を聞いて少し嫌な気持ちになる。
 素直に嬉しく思うこともあるのだが、ほとんどの場合が「なぜこんなことでいい人になってしまうのか?」と考えさせられるのだ。
 例えば、一緒に働いている人が遅刻をしてきた。その場にいたのが私だけだった。
 「どうしよう?」彼女はあきらかに助けてほしいという顔である。
 「大丈夫だよ(言わないよ)」私はただ面倒くさかっただけだ。
 人のことだし、関係ないと思った。しかし彼女は「いい人−!よかったぁ、**ちゃんって本当にいい人だよねぇ」と言った。
 こんなにどうでもいいと思ったことで誉められても嬉しくはない。
 それだけではないのだ。相手もどうでもいいのだ。どうでもよくて、持ち上げているのだ。そんな会話のやりとりが私には悲しいのだ。
 会社や中途半端な人間関係、女の子同士で私はいつも「いい人」になっている。
 思ったことを口にするのが簡単な人とそうでない人がいるとしたら私は後者だった。
 友人が似合ってない服を着ていても「かわいいね」と言ってしまうのだった。それがある日、突然自分は大嘘つきの偽善者なのでは?と思いものすごく悩んだ。
 人を傷つけないための嘘は必要だ、とか自分にいいほうに考えたりもしていたが、そのうち解った。
 人が人が、といいながら自分が傷つけられたくなかったのだという事を。でもその時私は何も変えられなかった。

 話が変わるが、すぐ謝る人がいてこれもなんだか恐ろしく感じる。
 知り合いの女性は本当になんでもかんでも話の最中に「ごめんなさいねぇ」と言う。
 彼女が全然悪くないのに謝ってくる。
 彼女はある日「私、謝り上手なんですよ」得意気に、そう言った。
 会社で嫌われないコツだとも言った。あぁそうなんだ、と思った。
 漫画で社長にへコへコするサラリ−マンみたいだなぁなんて思った。会社で嫌われないコツというのが、すごく寂しい響きに聞こえた。でも私もそのての人種なの では?とまた不安になった。
 こうして生きていくのだろうか?みんな偽善を装って、謝りながらずっとその不思議で居心地の悪い人間関係の中で生きるんだろうか?
 妹が「人に傷つけられるのって気にしない」そう言った事があった。「多分知らない間に私も人を傷つけてるだろうし。人に傷つくこと言わない人間なんていない よ、多分。だから傷つけても気にしない」強い。でも今の私にはパワ−を与えてくれるぐらいの強さだ。

投稿者:BETTY


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