-勧裕住職晋山--
〔昭和52年7月18日〕
勧裕第15世住職晋山(しんざん)。
運営と財務の公開を実行。宗教界にとっては青天の霹靂と言うべく、かつ評価される運営の導入であった。
勧裕住職は早く引退され「鈴之僧正」と言われている。
写真植字機導入と同時に東芝ワープロJW10を導入、電算植字機にワープロ入力を計画。
〔昭和53年1月17日〕
冊子「ミニ&ミニ観自在」を発刊し「朝の言葉」を統合。
テレホン法話開始、定例法要を毎日午前10時、正午、午後2時とする。
以来毎月第1日曜日に弟子数十名が「大般若転読法要」を執行して今日にいたる。
寺什器には大般若経が乾坤2組用意されている。
〔昭和54年8月〕
観音院全面立替え工事着工、オフセット印刷機廃棄。社会保険・厚生年金・労災・雇用保険が適用される。
この年から町世話人よる夏祭などを寺主催に改める。
〔平成21年7月〕
喜寿のお祝いがリーガロイヤルホテルで盛大に営まれました。
寺の運営は電算化が進み、サーバー1台に端末4台で寺務行執行し、月刊(観自在)32ページ全ページはカラー印刷、平成23年には367号に達しました。
パソコンは法主3台、住職3台、観自在編集室に2台、職員用3台、製作室には印鑑彫刻機、カッティングプロッター、レーザー彫刻機を全てパソコンで動かしています。
厨房には時期に合った料理を調理するレシピと必要材料が分かるパソコンが稼働しています。これは全て法主さんの指導によるもので、お元気にお暮らしです。
寺内の給水はセントラル清浄機を通して供給しています。また、停電用ディーゼル発電機も設置して万全を期しています。
ここで鈴之僧正について略記しておく。前住職は通称「鈴之僧正」と世間から呼ばれている。
いつも腰に2個の鈴を付けられていて、起居往来と存在を明示され、自然と生活態度は清潔になり、戒律を大切にされている。52歳で引退され、一切の役職を望まれず、一僧侶としての立場を踏み外されることはない。
観音院の運営に口出しされることは無い。
親切で優しい人柄だが、殆ど透明な存在である。
「いたわり、いつくしみ、思いやり、相手の立場で考える」ことを信条とされている。
人々は「院家」とか「法主」とか「ご隠居」とか「鈴」とか「すぅさん」と呼ばれるが、ご本人は拘泥されていない。鈴の音が聞こえなくなったら、逝ったと思ってほしいのと言われる。葬儀を盛大にすることは望んでおられない。ご自分の葬儀は既にご自分で済まされている。だからことさらに、誰にも知らせることなく、居合わせた人だけで、形式的に定例法要の内で見送って欲しいと言われている。
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