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鈴の法話  ----全てに愛を光と祈りを----  2000年12月

             観音院 法主 鈴之僧正
  年内に成すべきことを済ませて置く    愛別離苦も怨憎会苦も考え方次第  愛する人と別れる、役に立つ人が他所へ行く、嫌な人に会わなく てはならない、四苦八苦するのが普通ですが、ものは考えようで、 苦しみから解脱することも出来ます。生きている人は必ず老いて、 そして死に別かれるものです。そう思えば納得が出来ますね。です が、嫌な人、憎しみをもっている人と会わなくてはならない、これ も考え方次第で、自分の場所を変えれば避けれる苦しみ、多くの苦 しみは現在に執着することから生まれているようです。 (鈴之僧正さまのお話を要約。田川純照 筆記) 大概の苦痛は考え方次第  借金苦は相手があるので大変     四苦八苦とは生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求 不得苦・五陰盛苦を合せたもので人生の苦の代表的なものです。  生が何故に苦なのか、僧侶の立場を別にすると良く理解出来ませ ん。老は現在体験中ですが、知り合いに死なれるのは淋しいこと、 手足や頭脳の劣化は私も周囲も納得ずみ、美味しいものが沢山は食 べれないけど不満は無い。夜寝る前は今日一日に感謝し、朝目が覚 めると生きていたことに感謝することも無く一日が始まります。  病苦は四十肩も五十肩も知らずに済んで幸せ、これには現代医学 のお陰もあって良い医者と薬に恵まれました。視力や消化力、聴力 の劣化も不自由を感じない程度。  痛いことと言えば骨折とか、多少の怪我、虫歯の痛みは抜歯で大 体治まりました。これまであまり辛い思いはしていないのです。  生きると言うことで面倒なことは人間関係ですね。親は選べない し、子供も思うようにはならないもので、このようなことは苦痛の 中に入れてはいけません。  大人になって、信心の無い人と向上心の無い人との付き合いは多 少苦痛でした。共通する話題が無いし、一緒に目標を立てることも 出来ない。明確に言えば勉強する人が好きです、御佛様を良く拝む 人が信頼出来ます。  過去のことは話したく無いですね、過去を語れば他人を傷つける のみならず、私も傷つきます。でまあ、現在六十七歳と少しだが、 将来を語る、これも問題がありますね。明日をもしれない生身です から、慎みましょう。  六十七年間で迷惑を掛けた人も有ると思います。私はむしろご恩 と受け止めていて、報恩感謝の祈りを捧げたいと願っています。   ご霊験のおかげ話   私の体験で話ます      中学生のころ、師匠の寺に住み込みで下働きをしていた頃の古い 話で恐縮ですが、一話。  師匠の師匠寺に手伝いに行かされまして、日の暮れがかり、山か ら麓に降りることになりました。みるみる内に日が暮れて、驟雨と なりました、周囲は真っ暗闇、山道の側には谷川があって、ごうご うと音を立てて水が流れます。真っ暗闇になると自分の手も見えま せん。進退窮まって立ち往生といったところでした。階段の場所で は手で確かめ、曲がり道では四つ這いになって、少しづつ進む、怖 い思いでした。  その時に足元が蛍光のような光で幽かに照らし出され、先方にお 坊さまが歩いておられる、阿弥陀傘を被って、錫杖(しゃくじょう) を持たれ、杖の頭部の鐶の鳴る音まで聞こえてくるのです。黒い衣    の袖が揺れているのまで見えました。修行大師のお像が歩いておら れるように思いました。夢中で後を追って、麓に辿り着いて、町の 街灯の明かりが見えるようになって、ふっと安心しますと、お坊さ んの姿は見当たりません。幻影、幻覚、幻視と疑う以前に有り難く 思いました。  このような体験をすると、その後の人生観が一変するものです。 私の先代は常に私の無事を願っていてくれましたので、このような ご加護があったものと思います。  その後も極めて合理的に物事を考える私自身が説明出来ないよう な有り難いご加護が沢山ありました。俗に言われる七難八苦を避け ることが出来ました。死んで当然生きていたのが不思議と言うよう なことも何度かありました。 その都度、真っ暗闇を導いて下さった墨染めの衣を着られて道案 内をして下さったお坊さんのお導きがあるように思われます。 ■田川■  修行大師とは正しくは弘法大師空海のことで、真言宗のお祖師さ まのことです。十善戒も八正道も六波羅蜜も全てお大師さまの教え です。四国八十八箇所霊場巡礼で皆様に親しまれています。  南無大師遍照金剛と言って拝みます。高野山の奥之院に生身で禅 定に入られておられます。法主さんに取っては慈父の如きお方です。  法主さんのことを父親のように思っておられる方は沢山おられま すが皆さんにとってもお大師さまは慈父のようなお方になります。  高野山や四国八十八箇所霊場もは宗旨宗派を問わず皆さんがお参 りされます。観音院もまた同様に宗旨宗派は問いません。  親切とか慈悲とか真実、思いやりとか、相手の立場で考えること に宗派は前提にしません。僧侶は四苦八苦の医者に相当します。お 医者さんが宗派など絶対に問題にされないのと同じです。      法主さんは御佛様のご加護に包まれて僧侶として次第に成長され ました。住職さんも同じです。 最近、青井拓然と言われる方がお弟子さんになられました。職員 の立場で見ると青井さんは格別に仏縁に恵まれた方で、最初の出会 いから、この人は立派な僧侶になられると感じました。広大の哲学 科で倫理学を専攻し、イギリスに二年間留学されたそうです。  法主さんは結婚の相談に乗られて、良い配偶者が天から降ってく ることもあると言われますが、良いお坊さんが天から降ってこられ ることもあるのです。   寺に弟子入りして、魚が水を得たように笑顔で、積極的にご修行 されています。法主さんは「ご縁」だと前世からの知己のように親 切に指導しておられます。弟子は師匠を見て育つものだそうです。  不老不死では困ったことで子供はいない   何でも思うようにしてはならないと悟ること      生老病死は四苦の代表的なものですが、医学が発達して人間が死 なないようになると子供も生まれなくなります。孫の顔が見たいな ら適当な時に去るのが善いです。  病む人が居なくなれば医者も病院も不必要、嫌な人も苛めた人も 適当に病気になって死ぬのを待つと言う穏当な解決が出来なくなる。  皆さんが公序良俗を守り、法律を遵守すると警察も裁判所も検事 さんも判事さんも不用になり、刑務所も不要と言うことになると、 大学の法学部も無くなるかもしれない、沢山の人が不必要になる、 宗教も無くなるでしょう。  世の中が成り立つためには、善人も悪人も欠かせないようです。 愛している人が死んだり、逃げたり、行方不明になると誰でも苦痛 です。出会った人には必ず別離の時が来ます。去るものを追わず来 るものを拒まず、観音院の基本方針ですが、その時々の人を大切に して執着しないと苦痛が激減するようです。愛別離苦はこのように して解脱して下さい。死んだ人に取り縋って泣き崩れることは、亡 くなった人の後ろ髪を引っ張るようなものです。お気持ちは理解出 来ますが、速やかな往生を願うためには、三宝を大切に供養するの が一番大切なことです。  怨んだり憎んでいる人と一緒に仕事をしたり、況や家族や兄弟が 啀(いが)み合うような事態になると残酷無慈悲なことになります。 これは、思い切って一切の怨み憎みを水に流す、許す、忘れる、 時間が経つのを待つ方法で逃れることが出来ます。但し、相手のあ  ることですから、特に借金をしている場合は破産しても心情的な怨 憎は残る場合が多いようです。他人を傷つけていて怨憎が自分に向 けられていて、同一の家族とか職場であると、その人の怨憎を解く 努力が必要で、どうしても許されない場合は自分が怨憎の人から見 えないよう場所替えが必要です。長い目で見ると怨憎を受け止めて 上げる方が正しいと思います。  近親憎悪は雑草のように永遠に生え続けるのでしょうか。    求不得苦は周囲と比較さえしなければ何でも得られる世の中で多 くを求めず、必要最小限で満足すれば気分は楽です。欲しいものは 優れた配偶者とか、地位、名誉など幾らでもあり、現在の自分が多 くの人に支えられて生きていることに感謝すれば良いのですが、起 きて半畳、寝て一畳の境地にはなり難しですね。善事に執着するこ とは悪事をなすよりも尚悪しという場合もありますのでご注意を。  立派な人になろうと願ってもなかなか思うようになれない。向上 心は求不得苦ではありませんから安心して努力して下さい。貯蓄も 同様です。宝くじや競輪競馬競艇は求不得苦を実感させるものなの ですが、嵌ると抜けられない。酒煙草の嗜好をもつ人が禁酒禁煙を を成功出来た場合、これは求不得苦の一つを解脱したことに。 四苦八苦から解脱するためには手の届く範囲に目標を置き、正直 に誠実に、約束を守りながら、無理をしないよう、見栄を張らず、 周囲の人の立場で考えておれば先ず解脱出来るでしょう。  五陰盛苦の陰は「蘊」のことで梵語(skandha)集合体の意味で、 現象界の存在の五種の原理。色・受・想・行・識の総称で、物質と 精神との諸要素を収める。色は物質および肉体、受は感受作用、想 は表象作用、行は意志・記憶など、識は認識作用・意識のことです。 一切存在は五蘊から成り立っており、それ故、無常・無我であると 説かれています。  これは難しい考え方で「生きて行くことは辛いなあ」ということ ですから、四苦八苦の纏めみたいなもので、十善戒を守り、八正道 を歩めば解脱出来ます。 但し、この世を穢土(えど)とみなして、確かに三界六道の苦し みのある世界ですが現世を如何にして良くして行くかは重要な考え 方で、苦しいから厭離穢土とは受け止めてはなりません。 努力もせずに現世を嫌い浄土を求めて生命を賭けると浄土の以前 に閻魔さんが駄目だと通してくれないことになっています。 目まぐるしく変化する日常   明日は今日とは違い動き行く    私たちは明日は今日の延長だと思って計画を立てています。  同じようでありながら変化の速度は私たちの予想を上回っていま す。二十五年前に観音院に導入したワープロは大きな机ほどもあり ながら固定ディスクは五十メガ、それが現在では重さ二キロで二十 ギガ、価格は三十分の一です。  電算機はそれほどでもありませんが、パソコンは日進月歩で、昔 のスーパーコンピュータに相当するような製品が観音院でも四台く らい動いているでしょうか。  情報処理技術も寺の中が格段の進歩を遂げ、ドメインを三百くら い収容出来るサーバを動かしています。観音院のホームページは更 新すると一日二十万件のアクセスが続くこともあります。サーバを 管理しておられる西村さんのホームページは一日百万件のアクセス があります。寺はその時々の文化や芸術、技術の変化に応じて、そ れを展示保存する場所でもあります。最先端の技術を持つことにも 何ら不思議も矛盾もありません。  観音院の信徒さんは二十年間で約五百倍になりました。寺のよう な保守的な環境でもこのような大変化が起き得るのです。  日常生活の中でも信頼していた制度が崩壊したりしてますね。保 険会社が崩壊したり、老舗の百貨店が縮小したり、株価が乱高下し たり、まさに無常として言えないような出来事が続きます。  天災も無常の内です。災難は善悪を選ばす襲います。日本列島は 地震の活動期に入ったと言う説が有力です。世界の各地で洪水が多 発しています。これが普通なのか異常気象なのか、怖いことですね。  日々安穏であっても、予想も出来ぬ事態に巻き込まれる。可能な 限り慎重に、心を平安に保ち、公序良俗を大切に次代へ伝え、世の 中が平和であるように祈りたいと願っています。  二十一世紀が平和な世の中になりますように、御佛様のご加護に 包まれて、無常の中にあっても、出来るだけ平安に、健康で、無事 故で過ごしていただきたい。そのように願いながら年中無休三座の 法要を執行致します。

月刊 観自在 目次2000-11|2001-1|

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